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美の特攻隊

てのひら小説

青春怪談ぬま少女〜18

連載小説 怪奇 幻想 ロマン

きのうのこともあり校舎が近づくにつれ多少は緊張するのかなって思ったけど、なんか日々の流れに乗っかっているようで、わりと気安い足音を意識していました。
早くも習慣に毒されたのでしょうか。まあ、わたしの場合10年学級とやらにも在籍していたみたいだし、通学は日常のひとこまなんだろう。
しかしこの森閑とした空気はいただけませんね。大勢の生徒がおしゃべりしながら校門をくぐる光景からあまりにかけ離れている。気がかりといえば人気のなさには不穏な秘密がありそうで、捨てておけなかったけど、考えこんでも仕方ないのでそのまま直進するしかありません。
「やあ、おはよう」
まえの日は見落としていた犬の石像にあいさつした。
たぶん等身大で変哲もない犬種はわからないけどいかにも犬らしい風貌だ。そこは片隅というほどじゃない場所だが、特に目立つ位置でもなかった。それにあまり可愛くない。
けど数少ない教室の他におはようと言える者が見当たらない以上、たとえ可愛くなくとも、ありふれていようとつい近寄ってしまう。好奇心かしら、そうね、そういうことにしときましょう。犬くんまたね、あっ、メスかも知れない。今度たしかめてみよう。
廊下を歩く途中もまったく人影に出会わず、安静患者が息をしているみたいな教室のまえに立った。
はあ~、ほんと深呼吸がよく似合います。おもむろにドアを開けるれば、ちらりと視線が、、、みんなもう着席している。
「おはよう」
「おはよう」
相変わらず3人とも気迫がないけど、幽霊仲間の朝のかけ声としては上等でしょう。
けど、この席どうも落ち着きが悪い。幽霊が幽霊を背負っているみたいな不気味さとでもいうのかな、いやさほど気味悪くないですが、洞穴を背にして立ちすくんでいる冷ややかな圧迫感があって、ようはみんなの目線がわたしの背後に集まっているかぎり、これって居心地はよくはないでしょう。

さて先生のお出ましだ。
今日も思い浮かべられないよく似た女優の名前にとまどっているうちに、清潔な笑みが教室全体へ投げかけられた。絶対に刺のある一瞥をもらうとハラハラしてたんだけど、考え過ぎでしたね。
先生はもし腹にいちもつあってとしたところで表面上は毅然としてるから、わたしは自分の小心に増々縮こまってしまうのです。
不要だと思う点呼を行っていよいよ授業開始、黙って拝聴しますか。わたしの仮装の件は遅かれ早かれだから、どんなお勉強か興味がそそられる。教科書だって配られてないくらいだからね。
「みなさん、今日も昨日の続きです。予行演習ならびに心構えの問題です。あっ、志呉さんは早退したから人一倍精進しなくてはいけません」
精進ですって、大層な言い方ですね、自分から望んで早引けしたわけじゃないのに。それに文化祭ときた。一番目はとにかくわたしでしょうが、早く質問してよ、こっちはしたくても出来ないんだから。
「では志呉さん、仮装の企画はまとまりましたか」
やっぱりはなから直撃です。待ってましたと言うのはどっちなんだろう、なんて下らない念をよぎらせながら立ち上がりました。
「はい、よく考えてみました。睡眠学習もやりました」
すると先生は目を大きく見開き、
「えっ、睡眠学習ですって」と言ったまま、じっとわたしの顔を見つめてる。
一瞥どころじゃない、それは後ろの席にも伝播したのか、声にならないざわめきが両耳を囲い、さらに冷ややかな沈黙へと落ちていった。
威厳でしょうかね、気位かな、それともとまどい、先生はわたしの話しをさえぎったのではなく、とても関心を寄せているのか、詳細を知りたそうな様子があきらかにうかがえた。
しかしですね、わたしはだんまりを決めこみましたよ。質問が御法度なら相手に喋ってもらうしか手はない。
ごほんと咳払いしたのはご愛嬌か、先生はこう尋ねてきた。
「高度な学習法ですが、それでなにを学びました」
真正面からの問いかけだ。
それだけ注意をひく発言だったのだろうか、なんか主導権がこっちにまわってきたような気分になり、瞳にひかりが灯るのを覚えた。といっても後ろの3人のほの暗い気配が束になってどんより足許まで垂れこめていたから、差し引きゼロってことになるわね。
「先生から指導された缶詰理論を考察してみました」
「えっ」
今度はまぎれもなく先生の目が輝いた。
「わたしに言ったじゃないですか、冠は冠、缶詰は缶詰、そこでかなり反省しまして、行動原理主義にたどり着いたわけなのです」
「それはすごい飛躍ですね。で、企画は」
「はい、地縛霊がありきたりで不毛なら、祟りはつきもの、そうはいかぬぞよ、うらみつらみの人情よりか、咲かせてみせましょう、恋の花、散らせるものか、助けておれくなまし、っていう感じなんですが」
いやはや自分でもびっくりするほど、古風な弁舌だったけど、これはおじいさんがよくラジオで聞いた番組だとなぜか記憶しており、不意に躍り出たの。これこそまさに憑き物ですね。
「志呉さん、それって何のまね、昔の旅回り役者のつもりかしら」
「はあ、おじいちゃんのですね、いえ、みなさんが幽霊の役割に忠実ってことを悟りまして、わたしも見習おうかと。そこで怖がらせるのが神髄なら、その反対はどうかと思案したんです」
「なるほど、役割が行動原理だと気づいたわけですね。なら反対とはどういう意味なのです」
「恐怖にも段階があると思います。突然の驚きや、じわじわしのび寄る不安感、得体の知れないおぞましさなど、わたしの恐怖はひとにあたえるのでなく自分の訴えそのものとなるのです」
「どういうことですか」
先生の語勢がかわった。同時に眉間がすこし険しくなる。
「助けて下さい、そうひたすら叫ぼうかと考えました。どうぞここから出してくださいとも。これが真の恐怖じゃないでしょうか」
「まったく、あなたというひとは、、、今日も早退しなさい。今の発言は非常に問題があります。謹慎処分だわ。わかっているの、10年学級に戻ってもらいますよ」
「わたし、そんな悪いこと言いましたか先生」
「とにかく教室から出なさい。追って連絡を待つこと、以上です」
一瞬、目のまえが真っ暗になったけど、思えばすすんで墓穴を掘ったようだしここはあきらめが肝心。
不意に犬の石像が脳裏に鎮座した。そしてメデューサの髪の毛が逆立つ幻影が現れたのです。

青春怪談ぬま少女〜17

連載小説 怪奇 幻想 ロマン

空腹だったのかな、いや違うわ、それほど食欲はなかった。
ならどうしてなんだろう、食べもので釣られていないはずなのに。
ヤモリさんの顔つきはあの優しい笑みを取り戻しているし、わたし自身の気持ちがあやふやなままなら、冷徹な目線はとりあえず引き下げたほうがいい。
学校だけでなく何もかも懐疑だらけなのはやはり負担がありすぎて疲れてしまう。
とうに開き直ったつもりでいたにもかかわらず、そして野となれ山となれなんて古くさい言葉をかつぎだしてみたけれど、所詮は悪あがきしてたのね。
とらわれの身だとしたところで、また恐ろしい策謀のさなかで息をしていたとして、帰りを待ってくれている人がいてくれるのは救われる。たとえ飼い殺しにされる運命であったとしても。
なんか牛や鶏の気持ちが乗り移った気がする、それはあくまで一瞥をくれたあとの残像にからみつく、不確かで逃げ切りやすい、すでに過去形を抱え込んでいるような感じだったけど。

ソース焼きそばはとてもおいしかったわ。
紅ショウガの赤みはただ単に彩りだけじゃないのね、口のなかで少しピリッとしたとき、わたし泣きだしそうになってしまった。それにワカメのお味噌汁を味わったら、急におにぎりが思い浮かんできて、もうお腹いっぱいなのに食いしん坊らしく自分を微笑ましく思ったりしたの。
で、あとはすでに日常の仮面に覆われ時間は淡々と過ぎていった。
お風呂も沸いてますからって、ヤモリさんの柔らかな布でくるまれたような声を聞きながら、どうしたわけか、その顔から目をそらしてしまい、すねた子供みたいに膨れっ面をし反感からの距離を意識しているにもかかわらず、どうか独りぼっちにしないでほしいって淡く願っていたわ。
青白い炎がそのゆらめきを瞬時に覚えたがらないごとく。
しかし職務をまっとうしたあとの踵の返し方って、嫌になるくらい理解していたつもりだったので悲嘆にくれるほどではなく、明日のことを考えると些細な感傷に溺れている余裕がないのがはっきりして、そう、この先々の気がかりを留め置きたい心細さに他ならないって思えたから、歯をかみしめる調子で黙ってヤモリさんのあいさつにうなずき、遠ざかる足音にうなずいた。
ドアが静かに閉まる音はすでに切り替えの合図らしく耳に届いた。
さあ宿題しないと、、、でも授業内容を聞かないまま早退してしまったんだ。う~ん、仮装は次回までって先生は言ってたけど明日だったらどうしよう。何事が起こるやら分かりませんからね、しっかり案は練っておかなければいけません。
とか念じながらお風呂に入りました。
長々とからだを沈められるかなり優雅なバスタブ、これはお気に入りですね。うっすら額に汗がにじみだした頃にはまだ形をなしてないけど、どうやら投げやりな気分とリラックスが相まって、湯気や水滴にこもったひかりの粒子が微かな色彩を帯び、まあ楽観的に落ち着き始めたってことでしょうが、とにかく仮装の構想を稚拙な手つきながら描かれそうに思えてきた。クレヨン画でなぞる他愛もない落書き。
地縛霊が禁忌でそんなに生々しいのだったら、もう少しくだけた感じがいいわね、妖怪ウォッチとか口裂け女っていうのはどうかしら、でも既成のキャラを使うとまた文句言われそうだし、ここはひとつシンプルにシーツをすっぽり被って、うらめしや~ってことでお茶をにごしておきましょうか。
まてよ、たしか他の生徒ってあの男子以外は特に変装なんか口にしてなかった。たたずむだの、脱ぐだの、抱きつくだのってけっこう行動的じゃない。やはりそこに意義があるのかも。男子は怪しい雰囲気づくりをって話してたもんね、わたしみたいにただ漠然と地縛霊じゃ、ひねりがないと叱られて当然かもしれない。
そうか、なるほどそれで先生は目くじらをたてたわけなんだ。だとすればですよ、シーツを被っただけじゃ能なしってことになりますね。
よく考えてみるとみんなふざけた趣向をもの怖じせず発表してたけど、それなりに気合いが入っているように思えてきた。
つまるところ幽霊としての存在感をアッピールしよう、そう努めていたのだから、わたしの言動はふてくされたいい加減な気持ちしか含まれてないってことになりますね。これは根底から意識をあらためなくてはいけません。文化祭です、たぶん多くの見物客が訪れるに違いない、えっ、早とちりではないです、生徒4人だけの学級祭りなんて想像できないし、先生の意気込みだってあきらかに来賓とか念頭に入れてのことだろう。
まっ、明日学校でそれとなく探りをいれたら、おっといけなかった、探りは質問と同様でした、ここは隠密に悟られないように窺うしかなさそうね。
あれこれ思惑をめぐらせていたらお湯にのぼせてしまったのか、少しめまいがしたので早々にベッドに横たわり、行動的粉飾の詰めをしながら眠り落ちたのでした。
はい、企画倒れをまぬがれそうな考えが一応まとまり、スヤスヤと深い闇にのまれていったのです。
ひょっとしたら夢が窮地を救ってくれたのかも知れない。うとうとし始めるまえにひらめいたのか、その後なのか、実際よく覚えていなかった。まあでも案ができあがったからよしとしておきましょう。

翌朝の目覚めは爽快でも不快でもなく、おそらく生きていた頃の朝とかわりない日差しが朗らか過ぎて、どこかよそよそしい空気をまとっているあの感覚を想い出しました。
そしてヤモリさんが来ていないことに心もとなくなり、昨日あんなふうな言い方をしてしまったからだと後悔しながら、お味噌汁の残り香が一層静まりかえったこの部屋にこもっているようで、朝の光景は決して元気をさずけてくれはしなかった。
でも仕方ないわね、自業自得ですから。帰ってきてヤモリさんがいてくれたなら、ちゃんと謝ろう、うん、それで決まりだ。
では支度して学校へ行きましょう。さすがにもう早退はないと思うとなんだか可笑しくなってきました。

青春怪談ぬま少女〜16

連載小説 怪奇 幻想 ロマン

「地縛霊ってそれ、、、」
わたしは挑むような目つきで先生の顔をうかがった。
「志呉さん、あのね、さっきもお話した通り、あなたはすでに霊なんだから、その言い方は少し変だと思います」
「じゃあ、人間を人間って呼ぶのもおかしいのでしょうか」
「人間は生きてます。まったくあり方が異なってるの分かりません。先生はふざけたことは嫌いなの」
「そんなつもりで言ったんじゃないです。霊にだって色んなタイプがあるだろうし、地縛霊を選んだにすぎません」
「でもねえ、わざわざ、冠を被りなおさなくてもいいのでは。文化祭のテーマが変容ってくらい分かっているでしょう」
「わかりません」
自分でも語気が荒くなるにつれ、高ぶる感情が反抗的な方向になびいてゆくのを感じる。
「困りましたね、扉学級で体得したものは意識の表層に上ってなくとも、しっかり根づいているはずなのに」
「そんな自覚なんか、わたしにはないです。10年間の結晶があるのなら、しっかりこの目でひかりを浴びてみたい、それとも光源がない代物なんですか」
先生の面にやや焦りの色が出てきた。
悟られまい素振りをしてるけど、眼球がキョロキョロしはじめた。それを懸命にこらえ返す言葉を探し求めている。大丈夫、巻き返しを受けるまえに今度はわたしが攻める番だわ。
「それに他のひとたちの意見だってふざけていると思います。抱きつくだの、裸になるだの、女装するだの、仮装のおちゃらけが常識なら、わたしの言い分はかなりまっとうじゃないですか。どうして霊らしく神妙に振る舞ったらダメなんでしょう。当たり前すぎて面白みに欠けるから、それとも何か不都合があるからなのですか、先生」
ひと息止める。
なだめすかすふうな声色で返答されたらすぐに言葉をつなぐ用意はあった。でも先生がどう崩しにかかるか具体的に考えてはなかった。それでいい、衝動はわたしを奮い立たせ、底力を発揮するに違いない。これでこそ修養の結果よ。
「よく聞いてほしいの、面白みの問題ではないのです」
予想した声遣いだ。
「なら何の問題ですか、問題には答えがあるはずでは。わたしが地縛霊だといけない根拠を教えてください」
ふたたび先生は間合いをとった。内心怒りに震えてると思う。ただ単に我慢強いだけなのか、それともプライドが邪魔してるのだろうか、考えは突風にあおられた洗濯ものみたいにはためき揺らめいたが、そんな推測に凱歌の訪れを先取りしてしまったのがいけなかった。

無鉄砲な態度は所詮、不安要素のかたまりに点火した冷たい炎、熱くなっているのは空まわり寸前の胸のうちだけ、あら探しでもなし突き抜けられない言いがかりには限界がある。
わたしの不穏なこころの動きはまるで障子に透ける影絵のように、駄々っ子が放そうとしない怖れを、取落ち着きのなさを映していたのだろう。自分でも気づくくらいだから先生からしてみれば、さぞかし勝機を得たと息をのんだはずだわ。
そして抵抗を演じなければならなかった心細さが露呈するに及んで、形式であるかのごとく敗色に青ざめるより仕方がなかった。
叱責の文句は教科書を読み上げるよりたやすくあたまの中でなぞれたから。
「あれこれ質問してはいけない」
いえ、決して忘れてはいなかった、逆に過重な教えとして念頭に居座っていたから、摩擦熱を欲するに似た投げやりで甘えを含んだ気構えになってしまった。やっぱり幽霊って冷たい感じがしたほうがお似合いね。

急に目線を下げたわたしに対する処罰は美しい様式に則っていた。
他の生徒たちの吐息が微かに背中に届いてくる錯覚さえ生じ、教室内にはもとの厳粛な空気が流れこんでいる。それは先生に最初に出会った場面へと立ち戻された緊迫をはらんでいた。
「志呉さん、ちがう仮装を考えなさい。悪いとか悪くないではないの、さっき言ったように冠は冠、缶詰は缶詰、中身はそれぞれよ」
ひどいたとえですね。はい、わかりましたよ。すっかりしょげきった振りをするのが精一杯の反撥、
「すいませんでした。でも今すぐには思いつきません」
「次の授業まででよろしいわ。今日はこれで帰りなさい。気にしなくていいのよ。今日は始業式みたいなものですから」
みたいなものってどういう意味、邪魔者、敵対者はよからぬ影響をまわりに与えるってこと、ええ、そうしますとも。ただしあくまでわたしは地縛霊になりきるつもりですからね。
「みなさんに挨拶を忘れないで」
「それではさようなら」
「さようなら」

なんなの、どうしょうもない気抜けした調子、でもよかった、あれからの時間は針のむしろだったかも知れない。そんな思惑と一緒にたちの良くない悪戯をしてしまったあとの後悔が、じんわり押し寄せてきた。
すると疑心が待ってましたという調子で登場して、あの10年学級はやはりお仕置きだったではとか、問題児専門の収容所に相当するのだろうなんて暗雲を呼び込んでは、明日からの登校が早くも気怠くなってくるのでした。
こんな日って過去に経験した悔しさで後押しされ、無性に寄り道したい衝動が立ち上がったけど、どこへ行くわけにもならず、ひたすら夕暮れには早すぎる足どりへ憂心をまぎれこませながら、まっすぐお家に戻ったの。
心痛は心痛なのです。が、行きも帰りも決してさかさまじゃない無機質なこの風景を背にしては、痛みのありかさえ芒洋でたどり着けず、善くも悪くも曇天の鈍さにのみ込まれていった。
やがて玄関先にわたしの影がうずくまると、家の中にひとの気配が、、、

「おかえりなさい」
えっ、ヤモリさんだわ。たしか初日だけって話していたはずなのに、どうしてかしら。
疑問符が飛び出すと同時にあの野菜スープの匂いが鼻をくすぐった。で、家に入り鼻をこすりながら訊ねましたよ。学校での件も手伝ってか自分でも感心するほど冷淡な口調で、
「おかしいですね。帰りを待っていてくれるなんて。どういう風の吹きまわしなのかしら」
言葉がついて出たとたん、ヤモリさんのひかえめな顔にすっと暗い影がおちるのが見てとれた。
指令とも演技ともつかない哀しみを帯びた表情が床に映りこんでいる。後悔なんかしない、そう意思を強く抱いたけど、騙されてもなお異性に委ねる心情みたいなものが妙にまとわりついてくる。ずいぶん大人びた言い方ですけど、そうなんだから仕方ありません。
「今日は早退されたと聞きましたもので」
ヤモリさんは消え入りそうな声で返事した。
「はあ、それにしても」
わたしの受け答えもトーンが下がる。
結局信頼にまで至らないのは、彼女もまた沼の支配人によって派遣されていると考えてしまうからで、かといってまったく疑心暗鬼のまま油断なきよう構えているわけではない、逆に不審を募らせる悪心がうまく緩和されていたと思う。
すでに何年もこの家で暮らし続けているような口ぶりだけど、まさに日没間際のおだやかな気配に辺りが包まれだした心持ちをこばめなかった。あれほど荒涼だったのに。
「今日の夕食は肉と野菜がいっぱいのソース焼きそばです、ワカメのお味噌汁と」
してやられた。
なんなの一体、気分なんてまったく当てにならないわね。すべてはぐらかされたんだろうけど、不思議とお腹から胸にかけて、じんわり暖かなものがこみあがってくるのが怖いほどよく知れたのでした。

青春怪談ぬま少女〜15

連載小説 怪奇 幻想 ロマン

着席とともに授業がはじまる。薄霧に被われたような沈黙が教室全体をゆるく束ねだし、わたしは貯めおいたつもりだった余裕をなくしてしまった。
そんなもの元々あったわけじゃない、なんて自己弁護してみても粛然とした空気は時間にブレーキをかけたのか、微かな震えだけが授けられる。
先生は教科書を片手にしたまま、黙読の姿勢に入り込んでいたから、なおさら誰か咳払いのひとつでもとか願ってみたけど、まわりはあたり前のように静まりかえっていた。考えようによれば先生は問題を思案中で、いきなり隙を狙い質問を石つぶてみたいにぶつけてくるなんて、まあ、それが妥当なところかもしれない、というわけで向こうまかせの秒読み加減にあぐらをかいたの。
すると思ったとおり、眉根を曇らせることで愁いを際立たせ自らの美貌を意識してやまない先生のことばづかいに小さなな変化がうかがえました。
「そろそろ文化祭が近づいてきたことですし、みなさんに伝えておきました課題はどうでしょう。あっ、志呉さんには説明が入り用ですね」
その目には一瞬だけ怪しいひかりが灯り、瞬きとともに秘密の合図が送られたような気がした。
「他のみなさんももう一度よく聞いて下さい。それと10年学級での経験を踏まえないといけませんね」
ついに来たわ。
わたしの背筋はさらに伸び、眼球が何ミリか飛び出したような感じがする。
「志呉さん以外は初めてですね。10年学級、選ばれしものだけが進める特別教室」
生唾を飲む。
急展開のアクション映画を観ているみたいな、そして目を凝らすほどに物語の展開を遅らせたい願望がもたげてくる。あの物悲しさを含んだまなざしと微かな音階に支えられて。

「この制度が実施されたのはもうかなり昔のことです。どれくらい昔かといいますと、わたしも生まれてなく、こんないいぐさでは解説になっておりませんが、なにぶん神話的要素に満ちていますので、具体的に述べることが出来ません。別名では扉学級と呼ばれています。志呉さんはよく分かっているはずですね」
冗談じゃない、魔のトンネルでしかない地下道、ひたすら暗く、、、いや、はっきり思い出せない、ただ、ひたすら怨念めいた気持ちを長引かせていただけなような、もしくはひょっとしたら自分自身について誰にも邪魔されず徹底的に考えこんでいたのかも知れない。
とにかく先生に指摘されても明解な返事を言えるはずがないので、わたしは困惑した表情をつくってうなだれていました。すると先生は、
「いいんですよ、つらい修養だったのでしょうから」
なんて言い出すものだから、こころの内を読まれている気がして鳥肌が立ち、同時にヘナヘナとからだの力が抜けてしまったの。
「は、はい、長すぎて、どうにもあやふやなんです」
ええ、正直だったと思いますよ。反応も返答も。
わずかな波紋みたいなものが粒子状になってまぶたの裏にきらめいていたけど、それすら遥か彼方の星明かりのようで仕方なく、想いは儚く散ってゆきました。
「それでいいのです。忘却の道として歩んできたわけですから。と言ってもよくのみ込めないでしょう、当然です。大事なことは結果であるより残骸のほうに価値を置くべきで、それは幽霊の基本姿勢でもあるのですね。志呉さんはとても貴重な体験を積みました。さあ、ここで基本に戻るべく意識を純化させなくてはなりません。分かりますか、記憶の解体と構築です。あなたたちは生前の想い出をいくらか保ち続けています。なぜなら会話を理解するにも、食事をするにも、掃除をするにも、つまり日々の暮らしを失ってしまっては困りものだから。
記憶喪失者が最低限の行動を保持している情況を思い浮かべてみてください。いわば基本の記憶はきちんと残存しており、それはあたかも骨格に似て土台となり肉付けはこれから行われる為にとも言えるのです。よろしいですか、みなさんは人間であって人間ではない、新たな生命が付与されている人造人間だと思ってください。本来は無なのでした、宙を舞うこほりにさえ及ばない浮遊する霊だったのです。それが今この教室においてはどうしでょう。胸を張るまでもなく生きていると断言できるではないですか」
先生のもの言いには震撼とさせられる箇所もあったけど、意気の高揚も付録みたいなかたちで後追いしてきた。
いえ、むしろ詭弁と感じられたにせよ、進んで騙されたいような内部侵略を認めたい気持ちが優先していたと思う。わたしは口答えする意義をすでに放擲している。もうどうでもいいとかじゃなくて、自分の居場所がようやく感取できそうになってきたし、命を吹き込んでもらった事実はそれこそ夢見であったとしても、ここに新たな生命の息吹を見いださないで、どこを見るのだろうって強い念が生じていた。
聞く耳はきっちりしてましたね。さて先生の話しは続く。
「文化際の件なんですが、みなさんにはそれぞれ自分で似合うと思える姿を演じてもらうわけですけど、考えてきてくれたかな。4年に一回の催しですから、ぜひとも奮起して欲しいのです。志呉さんは記憶こそ薄れていますが、ある意味において修養を積んだことになりますので、割とすんなり聞き入れられると先生は信じてますよ」
ふたたび緊張に襲われた、でも軽い、すでに浮ついているから。
「志呉さんには初耳かも知れないけど、実はそうではないのです。文化祭に参加したことがなくてもその意義は理解していると思うからで、もし疑問があれば詳しいお話しはあとからにしましょう。
ではベロニアさんからどう工夫したのか聞かせてください」

思わず振り向いた目線に連なるよう先生の意識が背後から被さってくる。
どうみてもあまり年齢差のない後輩の顔かたちにふと感心しつつ、凝視を強制されているような気分にとらわれた。
「はい、わたしはひたすら薄笑いを浮かべながら佇んでいようと、それで」
「それで」
「向こうが逃げださなかったら、抱きついてみようと思うのです」
「まあ、いい発想ですねえ。前向きでよろしいわ、衣装はこちらで用意しておきます」
目尻がやや垂れているけど、端正に切りそろえた前髪とよく調和した涼しげな瞳は清純な雰囲気を訴えるに十分だ。呆気にとられている間もなく、
「次はマリアーヌさん」
と、まるで掃除当番の割り当てとかされてるふうに応答される。
わたしは椅子を斜めにずらして後ろに並んだ生徒たちの言動に魅入っていた。
「なんでもよかったんですね、先生」
「その通りです、自由な思いつきが大事ですからね」
「上半身を露出してもいいですか」
刹那、先生のとまどいを横顔に感じたけど案の定、沈着な口調で、
「よろしいですとも、潔くて感心しました」
と切り返えした。
このマリアーヌという銀縁めがねをかけた勉強に真面目な姿勢の少女、えらいこと言い出す、それに先生も先生だよ。しかしまだ唖然とする猶予はあたえられてないみたい。
「ではフランツくん」
ただひとりの男子だ、わたしの記憶にある限りみどろ沼で最初の男子、あまり目をあわせなかったのは実を申せばなかなか格好よかったからなのです。彼はさも面倒くさそうにちょっとあごをなでたりしてからこう答えました。
「女装して、怪しの趣きを醸し出すつもりです」
なんと、、、わたしはずっこけそうになったけど、不思議なことに声が野太いにもかかわらず、その意見をすんなり認めている。これはひいきめでしょうね、きっと。頬にさっと暖かいものを感じましたから。
「大変おもしろい企画ですね。先生がお化粧してあげましょう」
もう勝手にしてよ。
お化けの仮装大会なわけ、文化祭って。あっ、いけない今度はわたしの番だった。
「志呉さん、おおむね理解されましたか。先輩として一言どうぞ。企画の方は次回までに考えてもらえればいいのよ」
理解なんかしてません。なによ、ひとを小馬鹿にして。と口にしたかったけど、どうした作用が働いたのやら、
「変装してなにかを行うと推測しました。企画なら思いつきました。わたしは地縛霊になろうと思うのですが」
そのときはすでに真正面へ向き直ってました。そして先生の顔色に陰りが射したのを見逃しはしなかったのです。

青春怪談ぬま少女〜14

連載小説 怪奇 幻想 ロマン

学校の廊下ってこんなに静かだったかしら。
今はわたしと先生だけだからそう感じてしまうかも、しかし実際には人数の問題ではなくて、これは変かも知れないけど何者かがこの廊下を、いや、おそらく教室を学校全体を制圧しているような気配がする。
管理者らしき沼の支配人がわたしをじっと観察しているのだわ。
そう感じてしまうのだから仕方ない。でも平社員の分際で社長と会談するなんて恐れ多いなどという考えに導かれまして、はい、学生なので就職が念頭をよぎることもありそうな気がし、そんな類推で自分をなだめすかしてみたのでした。
門前より眺めた校舎の造りからするとこの廊下はいやに長く、時間が床を這ってそうな実感にとらわれてしまう。けど無限なんかじゃありませんよね。わたしの足音はたやすい逢着のひびきをたてている。
それより先生けっこう早足でして、わたしの気分はまだまだふさがっているようで、へだたりが響きに歩み寄っているのか、それとも響きがへだたりをひろげているのか、とにかく安易な心持ちに蜘蛛の糸が絡まったみたいに足取りがもたついてしまうのでした。
右手にはガラス窓が間隔を置いて並んでおり、見慣れたのやら珍しいのやらよく分からない光景が収められている。教室らしき扉に行き着いたのは、ぼんやりしたあたまがからだをふわりと浮かべてくれたからであって、わたしの意志はあらぬところをめぐってたようですね。
とにもかくにも11年ぶりなのです。
記憶がない分まっさらの新入生として意気込みは必要だから、空元気でもいい、きちんと挨拶しよう、そう念じたものの鞄を握った手は汗ばんで、顔がこわばっているのが不自然な感じがし、軽く深呼吸してみました。

「みなさん今日から転入することになりました、志呉由玲さんです」
吸気が知らぬ間に距離を縮めたのか、すでにわたしは教壇の脇で先生と並んでいました。
それまでの場面はカットされたみたいで、たぶん肉眼を通して映りはしたんでしょうけど、脳内が編集してしまったようですね。まあ、この場合それでよかったのだけど。
さて教室のみなさんです。これは編集しなくてもよさそうでした。生徒は3人だけ、男子1名、女子2名。いっせいに直線を走る冷たいまなざしがわたしに向けられると、決して好意的な顔つきを見せないのに興味あるくせ表情の裏には、別の普段着へ袖を通しているような、意味もなく冷蔵庫のドアを開くふうな、何かありきたりなことだと見下している面を張りつけているのがまざまざうかがえた。
面倒くさいんです、そういうの。
あなたたちがそうであるのと同じく、わたしの面持ちだって歪んでいると思う。そして気取りと小胆が表裏一体のうちに袋小路へつき進むことを忘れ去り、さっき廊下の果てに想いを運ばせた心情を読み取ろうとしないのも一緒。
最初の場にはなじみという枠組みがあらかじめ解体されたまま散らばっていて、軋みを気取られない素振りで新たな人手を、自分たちすら棚上げした情況に引き込もうと待ちかまえている。ちょうど呼気が声なき声をふくんではちいさなほこらに吸い込まれるように。

「転入生の志呉です。よろしくお願いします」
わたしはいかにもあかるい素振りでペコリとあたまを下げました。
すると思ってもみない反応が、、、笑みこそ浮かべてはいないけど、ポテトチップスをかじったくらい軽い拍手で迎えられたのでした。こうなれば少しは元気がわくもの、本来20人くらい生徒がいそうな教室の閑散とした空気は遠のいて、小走りしたい自由な雰囲気がひろがったのね。
わたしは3人に近寄ってもう一度、ちょっと真面目くさった顔つきで会釈した。で、さらなる反応を得るより早く先生のもとに引き返し、まるで軍隊式の直立不動の姿勢で指示を仰いだわけ。
まあ精一杯の印象づけってとこかしら、ニコニコしてるだけじゃいけないって怖れに支配されていたのね、きっと。
3人は机をひとつづつ空けて並列に座っていた。わたしは左右のどちらかね、そう案じてたら、
「志呉さんは一番まえに」
って言われて、それまでの華やぎなのか投げやりなのか、わからない気分が吹っ飛んでしまった。
結局ありがたみのなくなった謎めきに舞い戻ったってこと。
学生なんです、規律は守ります、勉強だってしっかりやるわ、なのにどうして差別されるわけ、先生も他の生徒も幽霊なんでしょう。よほど11年生は不始末を犯したわけなの、だったら今すぐにここで説明してほしい、洗いざらいすべてを。
わたしの憤懣を見て取ったのか先生は温和な目色で、しかしもの憂い瞬きを用いながら、こう話しかけてきた。
「あなたは学年では先輩だけど、お勉強に集中してもらわければいけないの、ブランクを取り戻すのは簡単じゃないわ。よそ見や私語なんか無論ないとは思うけど念には念をいれてその席でがんばりましょうね」
ブランクって言葉が波紋のようにひろがった。同時に底しれない空洞を作り出し生理的な悪寒が走った。
もう反抗する気概はうせていたわ。悪意に満ちた沼底では怒りの感情が、炎と熱風を模した関係におさまってしまい、鎮静を望むまえに災禍に立ちすくむ放心へうながされる。
あれこれ質問してはいけない、、、わたしはあのとき強制労働者の心境を裏ごしし卑屈な気分にはまってみたけど、現実に降り掛かってくる火の粉は恐ろしい勢いをふるって、すかした思いなんかあっと言う間に焼き払われた。
渋々じゃない、自動装置に流されるれる体勢で指定された机に着いた。いよいよ授業が開始される。出席簿なんてとらないわよね。えっ、規律、礼、こんな数少ない生徒なのに、まさか、、、

「ヨゼリ・ベロニアさん」
「はい」
「マリアーヌさん」
「はい」
「フランツ・カルフくん」
「はい」
「志呉由玲さん」
「は、はい」
やや脇が汗ばんだけど、これで3人の名前を知った。つまり先生は最低限の自己紹介をわたしに示してくれたんだ。なんて勝手に考えているうちが救いだったと思います。
ちょっと待ってよ、なんでみんな外人の名前なの!どうみたって日本人でしょう。
脇の下が冷たくなるまでいかに早かったか、めまいの訪れをこばむ間もなく、けれども目の奥のほうでは万華鏡に似た鮮明なかがやきがやんわりと渦を巻いているでした。

青春怪談ぬま少女〜13

連載小説 怪奇 幻想 ロマン

燦々と降り注ぐ太陽、まぶしそうに目を細めたりしてみる。
朝食をすませ身支度を整えたわたしは、いつも迎えてはちょっとだけ背伸びする朝のように玄関をあとにした。
見送りのヤモリさんは口ぶりのわりには淡々とした態度で、もっともこのひとはそういう気質なのか、職業がらなんていうと生意気だけれど、多分そんな感じがしたのね、本来なら物足りなさに胸が波打ったりするんでしょうが、なぜか落ち着きを保っていた。このひとは家政婦さん、見つめ直すまでもなく几帳面なアイロン掛けみたいにわたしの意識は折り目がついた。
あらためて眺めまわしても外はまるでアメリカ映画に出てくるふうな荒涼とした景色がひろがっている。学校までの道のりは分かりやすいといえばそうなんだろうけど、どうも方向音痴だった気がして何度も地図を見返したの。ついでにうしろを振り返ったりしたのは、やっぱり心細かったのかな。ヤモリさんのすがたはもう消えていた。
道らしい道はきちんとあるからそれをたどれば間違いないだろう、この赤ペンに沿って行けばいいんだ。広大な土地なんて思いこみかも知れない。ここは閉じているはずよ、うん、この直感には信頼が寄せられる。
ところどころに緑はあるし、ひょろ長い木だってちゃんと目印になっていた。それほど殺伐とした風景ではない、だって当初は牧歌的な気分がよぎったくらいで、結局わたしのこころが渇ききっているからでしょうね。辺りに親しみが湧かないのは仕方ないとして、とにかく遅刻しないで行けるかってことに専念せねば。

で、沼が沼でなくなったと感じた時から、絵の具を溶かしたような、着色料たっぷりの飴玉を無数に敷き詰めたふうな青空がわたしを軽薄な方向へなびかせてくれたのでしょうか、さっと吹きゆく心地よい風も手伝って、胸騒ぎは静まり、まさに行軍の勢い、ひたすら早足で通学路を急いだのでした。
ええ、見えて来ましたよ、見たくないなんて言いません、これが宿命ですから幽霊の、、、はあ、どうも歯切れがあまりよくないですね。
それはさておき、校舎もわたしの家と同じくこじんまりしていた。即座に生徒数が読みとれそうな建物、昭和モダン風でけっこう古びていて、なにより陰気くさい雰囲気が全体に漂っている。
これが10年学級だと思わず口をついて出そうになったくらいで、でもよく考えてみれば、それは過去形であり、わたしはいわゆる復学になるわけですから、あんまりビクビクばかりしてられない。
背筋をのばし、くちもとを引き締め、まなじりはちょっと自信ないけど、とにかく勇み足で校門をくぐりました。
しかし緊迫の糸にまだ絡まっていたみたい、だって他の通学生徒の影をお日さまは照らしてくれてませんでしたから。そう気づいたときにはせっかく正した背筋に怖気が走りました。
ひょっとしてわたし独りだけしか通わない学校かも知れない、やはり味到の孤独から解放されることはない、なんて念いに苛まれ腹を据えていたつもりが一気に萎えてしまったのです。
凝視する気概さえなくしてしまうと、うつろな目が辺りにさまよいだし、でも両足は呪縛にとらわれてないようで勝手に校内へ進んでいったわ。さながら悪霊らに不敵な態度をしめすごとく。

さてさて、げた箱に複数の上履きを見いだしたときの安堵といったら、ここは想像してみて下さいな。
その方が如実に得るものがあるでしょう。とかいってみたところでも誰もそんなことしてくれませんが。
ではどうなのか、それがですよ、案外すんなりと了解したのであって、いら立ちと悲嘆がないまぜになった気分が当たり前みたいに氷解してゆくのでした。いわゆる独り相撲って奴だったのですね。
ここに至ってわたしは悟ったの、なんだかんだで怖くて仕方なく救いの手を差しのべてもらいたい、登校拒否したい、お家に帰って布団にもぐりこみたい、そうした弱腰を思い知った。
同時にただ端然と立ち尽くてしまっていることを、こころの片隅では否定していたのでしょう、わたしはガランとした空間に向かって大声で張り上げこう言った。
「おはようございます。志呉由玲です。11年生なんですが、これからどうすればいいのですか」
反響音、いわゆるこだまですか、はい、耳鳴りもしたし、すぐさまのどが痛くなりました。こんなに大声を出した覚えがないから。
校内で騒いではいけない、これは規則だ。ところがお祈りでもないでしょうけど、ご利益はてきめんだった。
「目のまえの上履きが見えないですか、志呉さん」
この口調、振り向くより早く、わたしは電話の先生だとすぐにわかった。ところが世のなかには、ええ、実際には大してよく見つめたわけではないですけど、こんなに予想を裏切る場面があるものなんですね。
あのいけずで高圧的な声色とはうってかわり、まあなんと優しげな微笑を満面にたたえ、しかも清楚ながら凛とした空気をなびかせているではないですか。それだけじゃない、女優の誰かさんによく似ている、名前は思い出せないけど、あのひとよ、あのひと。
「自分の名前が書いてあるでしょ、さあ履き替えて教室にいきましょう」
声色は昨日と同じだ。響きも決してやわらかではない、しかし本人をまえにするとあの声の持ち主とは到底結びつかなかった。
「はい」
わたしの返事もなんだか自分のものでなくうわついている。半信半疑な心持ちにつつまれ適当な受け止め方しかできない。
「遅刻ではないけどもうみんな教室にいるわ、あとはあなただけ」
あくまで表情に険しさを刻まず、まなざしは淡く、事務的なくちぶりだけがそつなく緊張を強いる。親しみやすいのか、取っつきにくいのか、どちらちとも言えないわ。
「すいません、時計が壊れているので」
この期に及んでまだわたしは運命の時刻を凍結させた腕時計を外していない。先生は一瞥をくれることもせず、
「一緒に行きましょう」
とだけ言って背を向けて廊下へ促した。うしろ姿まで優美で気品があって、しかも教師らしい知性が薫ってくる。
参りましたね、内心そんな印象を抱かざる得なかったのだから、つまりです、まんざらでもないということでしょう。
ハラハラドキドキ、もじもじ、どうしてわたしは幽霊になってまで小心翼々としているだろう。
先生のあとを追いながら考えこんでしまいました。で、めげたと言いたいところですけど、なかなかどうして素晴らしい矛盾を感じたのですね。
青臭くも初々しい女子高生らしさが蒼天を旋回する黒っぽい鳥のように舞い戻り、涙なく胸をつたいました。人間くさい、わたしは生きているんだと。

青春怪談ぬま少女〜12

連載小説 怪奇 幻想 ロマン

今日一日はもう語らなくていい。あっ、違うんです。取り澄ましたふうな口調ですけど、そんなに覚めた感情ではありません。
始まりの一日だからとても大切なのは承知してるし、気構えだってちゃんと備わってます。それに家のなかを隅々まで探ってみたあげくの果て、う~ん、これは失意でもないんだなあ、つまり割り切りなんです。この家はわたしのもの、明日から登校し帰るべきところ。そしておそらく単調な日々が続いてゆく。
誕生日にいつまでもしがみついているのと同じで、記念日にはさっとお祝いして翌日から平均値を保っていくべきなんです。毎日が祝祭ならきっとあたまが爆発してしまう。
納得したのでしょうね。なにやら家政婦さんつきの妙に優雅な待遇みたいだし、もっとも高級収容所なぞと呼べそうだけど、それはやめておいて、家なき子の境遇とかに比べたらありがたき暮らしですから、とにかく幽霊だろうがきっぱり生きている、餓死はしません、日々の糧にあくせくすることなくやり過ごすまで。
なんて一丁前な口をたたいておりますが、実のところ思考をストップさせたかったのです。ちょうど分厚い小説を読み続けるのをやめてしまうように。
あれ、この覚悟さっきも言いましたっけ。やれやれ自覚している以上に困惑は隠せませんね。
ともあれ、お昼ごはんも夕ご飯はそれなりに、お風呂も着替えも、それに物思いすら日常生活の流れとしてやり過ごしました。

問題は厳めしい先生から促されたたユメだった。
考え尽くしたのは謎めいているってことだけで、いざベッドに入ると眠気を駆逐する勢いでユメのあれこれが浮遊してくる。
あれこれって変な言い方だけど、とりとめない映像や画像が飛びまわってみたり、かと思えばじっと一点にとどまってもじもじしたり、それらは不思議な技で重なり合い、乱れ散り、暴れながらも妙な静けさに包まれどこか遠い場所へと運ばれて行った。
まぶたの裏に映しだされている。今度は天井がはっきり見えた。首を少し傾げると壁紙やカーテンの色彩が鮮やかに、しかしどこか物寂しげにささやいていたわ。
えっ、ささやく、、、耳鳴り、透明なガラスに水滴がしたたり、やがて視界をはばむよう記憶の粒子はゆくえをくらますと薄靄にわたしは取り囲まれた。
意識の底辺が心地よく揺れ、次第に夜の吐息を感じていたわ。絶え間ない連鎖、だが網膜はやわらげに役割を成し終え、鼓動のみがベッドのうえを軽く、薄く、羽蟻みたいに這っていく。浅い呼吸は決して鼓膜を刺激しない。
霧の形状はわたしのマント、覚束ないまま見通しのよくない光景を知った。夜気にとらえられている。はじめてのようであってよく慣れ親しんだ暗さ。
死んだ自分で言うのもおかしいけど、生まれてくる以前から常に抱きしめられていて、それは寒気やぬくもりでもなく、風でもない、あたりまえに土や草なんかじゃないもっと違う、でも間違いない何か、暗黒の夜空を突き抜けたどりついた願い、、、あれ、生まれてないのにお願いなんてありっこないはずだ。
文章ならきっとこんな常套句が使われる「そのときだった」でも、そんな感覚とも別な不意打ちに襲われたの。
時間がかかりそうね、なんてつぶやきが絹糸をよじったふうに消されてしまうと、一気に夜のしじまが全身を緊縛し、そのまま宙に舞い上がった。
抜け出たのね、沼底からやっと水面に浮上した。
夢にまで見た異界からの脱出、これは矛盾してます。願望と夢幻がよくかみ合っていないのに、いびつな歓びに溺れようとしている。
それでもいいわ、これこそ高見の見物よ、そんな横柄な態度に踊らされるよう、まわりを眺めてみれば、やはり暗いです。外も夜なんですね。視界がさえぎられているというより、ひたすらまぶたが閉ざれた感じがして、しめつけられるような苦しさばかりに気をとられていました。
そんなものでしょう、いくら悪びれてみたところで唐突な情況をさめた目で見まわすなんて無理、なすがまま夜の深い世界にぽつりとたたずむだけ。
えっ、わたしの足もとはどこに立脚してるの。
そうなんです、外界をつかみとろうと躍起になり、肝心な事態をよくのみ込めてなかった。浮かんでいる、水面に、裸足でした。
パジャマ姿のそれなりの格好、たぶん寝たときのままです。浮標みたいな責務を担ってそうで波間と戯れているような心持ち、必要とされる最低限の意思表示、ああ、なるほどこれが幽霊の身体感覚なんだって思った。
すると蒙昧な目にわずかだけどひかりが灯ったの。あたかも闇夜の海原を航海するひとたちに届けられるだろう少しの明かりが。
きっと誰かがわたしを見ている、いえ、見つけてくれる、そして声をかけてもらえるだろうか、でも手は振ってもらえないだろうな、だって気色悪いし怖いもんね。
あっ、分かった、お化け屋敷と同じ原理なんだ。わたしはみんなから好かれ慕われる存在じゃなくて、怖がられる使命を背負ってるんだわ。
急流を勢いよく下るボートのごとく意想が駆け降りてゆく反面、なんだかとても悲しい気持ちが後追いしてきた。顔さえ覚束ない家族にもし出会ったら、それにとても仲良しだった友達、いたかも知れない彼氏、なんて望郷の念が波打っている。
またもや引き裂かれるんですか、わたしは自問自答しました。ということはこの意識はユメでありながら、覚醒していますね。なんか変だなって思ったけど、それほど不思議ではない。
ユメはめちゃくちゃだけど、会話だってそれらしく成立する場合もあるし、なにより現実の影絵だと思い描けば、迷路へあえて足を踏み入れる危うさは魅惑の道しるべに違いない。
そんな考えがよぎるとこをみると過去の記憶が全部ぬぐわれたわけではなさそうね。やはりどうしてもそこに立ち戻ってしまうのよ。
里心はさておき、頼りない風車のようにまわりだした意識はとびきりとまではいかないけど、新鮮な感情をはらませていたわ。
よく目を凝らす、しっかり耳をそばだてる、口を閉ざす、無心になる。
からだが微かにゆれている。冷えきっていた頬に朱が返ってきたのか、冷気が気持ちいい。髪がそよいでる。

「おはようございます。志呉さん」
「あっ、はい」
ヤモリさんだ。慣れてないにもかかわらず瞬時に目覚めたわ。
「ひさしぶりの登校ですから見送りに来ました。朝食の準備できてますよ」
「わかりました、どうも」
さてとでは新たな人生の、ちょっとオーバーかな、清らかな一日の、うん、これでいい始まりです。