読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

美の特攻隊

てのひら小説

ペルソナ〜24

「それでその長沼砂里さんは何と言ったんだい」孝之はすかさず初めて耳にした名前を口にして問いただした。「さっき話したように彼女のお母さんもこのまちが出身なんだけど、生まれは東京だし、その辺がぼくと似てるでしょ。そうしたこともあって学校の親睦…

ペルソナ〜23

寄り合いに行っておりつい今しがた帰ったばかりだと言う三好に挨拶したところ案の定、純一をいたわる声色はとどまることを知らず、萎縮してしまいそうになるほど厚い気遣いなので、「こうやって元気な顔を見てもらいに来たんですから、もう本当に大丈夫です…

ペルソナ〜22

駅に着くまで眠りこんでいた純一を揺り起こし、改札を抜けたときにはすっかり宵闇が地面から立ちのぼったふうに上空まで充たされていた。「やっぱり匂うよね、潮の香りほんの少しだけど」純一にしてみれば苦い経験を回想させる帰省となるはずだったが、妙に…

ペルソナ〜21

陽光はいっこうに衰えを見せなかった。十月も半ばに差し掛かったが蝉時雨はまぼろしの音色で真夏を留め置こうとしているのか、季節の実感は剥奪され異形な晩夏に席を譲り渡した。倦み疲れたからだを左右にずらすよう、いら立ちを噛みしめながらときのうつろ…

ペルソナ〜20

切手帳から取り出す慎重さが、それほど重要でもないように感じてしまうのは特に高価な一枚でもなく、ただ同じ紙質によってかたち作られ印刷されただけの類比では例えようない、哀れさみたいな親しみが「髪」の価値を本来の場所に戻すよう静かに願っているか…

ペルソナ〜19

小林古径の「髪」の魅せるものが、幼年の孝之を禁断の道筋へと案内しかけたのだとは言いがたい。深沢久道が語った妹と同じほどの年齢、まだ性が芽生えうるもなく、この絵があらわにしている乳房のなめらさから類推されるのは、湯船のなかで間近にされる母の…

ペルソナ〜18

孝之も熱心に収集したには違いないのだったけれど、小学校に通いだした矢先であり、折からの切手ブームの余波がいつの間にやら到来していたのか、思い返してみてもよく定めきれない期間に訪れた没頭であったから、それも心底から欲して小さな絵柄のとりこに…

ペルソナ〜17

息子の口ぶりにあらぬ気をめぐらせてみる疑心はどこへやら、怪訝な目つきを投げ返す素振りは、空っ風に吹かれて舞い上がる木の葉のように軽やかであった。片方の視力を失ったにもかかわらず半ば虚勢を張っている面持ちが痛々しくもあり、逆に初々しくもあり…

ペルソナ〜16

そっと静かに聞こえてくるはずの虫の音まで消し去られたのか、どれだけ耳を澄ましてみても孝之の耳に伝わってくるものはなかった。書き記されたもの、断片的でいいから、とにかく何かの手がかりになるようなもの。「主人は読書の割合からしまして、不思議な…

ペルソナ〜15

「果たして深沢はすべてを語り尽くしたのだと了解するべきなのだろうか。少年時の恥じらいで清らかに擁護された記憶が奏でる綾を」孝之は自分の小首を傾げる仕草さえどこか見え透いた演技に思われ、淡い不快を感じた。 彼と妹との関わりを何もかも把握するの…

ペルソナ〜14

「さて磯辺さん、これまでの追想から実際に醜聞となってしまった美代の行為をある程度、結論づけることは不可能でないでしょう。動機はさておき、幼くしてかくも果敢な振る舞いをなしうる天稟には目をみはるものがありますし、兄妹であろうとも年長の私を見…

ペルソナ〜13

「吸血鬼が首筋に残していくふたつの穴を説明するのは簡単でした。喉にかじりつくと云っても肉に食らいつく野獣みたいな手段とは違って、あくまで優雅に鋭い牙を食い込ませて血を吸い取ってしまう、どれくらいの量と聞かれたときには、それは本人の腹具合だ…

ペルソナ〜12

「まったく何が探偵だと、聞いて呆れる始末でしょう。しかしですね、けっこうあります。探偵自身が真犯人だったと云う小説。未読だったらいけないので題名は申しませんけど。怖がる妹をもっと怖がらせる増長の隠れ蓑に、どんな思惑があったのかはたやすく推…

ペルソナ〜11

「すでに問題の糸口が一気にほどけてしまった、そう思われても仕方ありませんね。磯辺さんの顔色にだって出ておりますし、原因究明に向っているなら、あまりに単純すぎて張り合いないのが当然です。しかしですよ、さきほど申しましたように私はあくまで補足…

ペルソナ〜10

「怖いもの見たさなのでしょう。私が現在不可思議な現象からあたまを切り離せないのはおそらくその延長だと思うのですが。磯辺さんのおっしゃられるよう、多分に妹へ知らず知らずのうち影響を及ぼしてしまっていたかも知れません。ご質問には正直に申し上げ…

ペルソナ〜9

「ところで磯辺さん、美代の顔はごらんになったことありますか。新聞に顔写真は載っておりませんでしたが、ある週刊誌ではきわもの扱いで掲載され、しっかり実名で紹介されていたのです。紹介などと云うと軽卒に聞こえるかも知れませんけれど、見出しからし…

ペルソナ〜8

「驚かれたみたいですね。ひとまず少女の件はそれくらいにして、いえ、取り急ぐわけじゃないのですけど、別に時間がないとかではなく、息子さんの関わった事実もわかりましたし、何よりあなた自身が恥辱から抜け出せないご様子に見えておりますので、こう言…

ペルソナ〜7

「順序よくと申しますと、、、」喉元から流暢に滑り出させたい気持ちを精一杯いだきながら、滑舌とは明らかに隔たりのある実感に苛まれた現状を、孝之は苦々しく覚えつつも半面ではしかるべき安堵に即しているようで、錆び付いた金具を手にしたときに思いな…

たなからぼたもち

【第3回】短編小説の集い 参加作品 「今日はえらい人出やな、クリスマスやからかの~、おやっ、べっぴんさんもぎょうさんおるわ」じいさん、いつものようにパチンコ帰りかと思いきや、「年金生活のわしらにケーキなんぞいらんわい。ばあさん、みょうなとこ…

ペルソナ〜6

この店で形作られたものなのだろうか、一見ありふれた透明な硝子の器。すでに箸をつけながらその素朴な風味に、刺々しい感情や上昇する熱意など一切洗い流して、ここが夏日から遮断された屋内であることをはなから承知させる冷麺の涼味に、身もこころもさら…

ペルソナ〜5

真夏の幻想であろう汗ばむ想い出を払拭するに正確な涼感が伝わってくる五目冷や麦とやらは、現実には冷や汗となって居場所を確認していた孝博に良好な印象を授けた。もはや冷や汗は引いた。ほどなくすると湯気を立てたスープを盆に載せて現れる久道に対峙す…

ペルソナ〜4

緊張の糸をほぐしてくれたら、そんな久道の配慮が込められているのか、思わず頬をゆるめてしまったいかにも中華飯店ふうの皿にこじんまり、おそらく出来上がりを一度茶碗に盛って逆さにかえしたのだろう、どこかこぶりな乳房を連想させる形は色合いまで似通…

ペルソナ〜3

思いもよらなかった昼飯のもてなし、しかも初めて訪ねた家で本人が腕をふるってくれた焼き飯の味。深沢の言うよう段取りがなされていたのか、室内を見渡している間がかりそめの裡へ過ぎてしまったことに即すほど、手際よく並べられた新鮮な驚きは、布張りの…

ペルソナ〜2

期待以上の思惑をはらんでいたからには、初対面の人物を果たしてどういった印象で受けとめるのやら、気早に波立つ久道の眼に映じた男の年格好や人柄は、挨拶を交した時点でなにやら顔見知りに思えたりして、しかもよりどころのないままに胸のあたりに充満す…

ペルソナ〜1

その朝も残暑のきびしさを予感させる日差しであった。いつものよう九時過ぎに目覚めた深沢久道へ最初に届けられたのは、聞きなれない名前の人から電話がと云う、妻のどこか慌ただし気な一声だった。「誰だろう、電話で起こされるのもそうないからな」たしか…

霧の告白

もうどれくらいの歳月が過ぎ去っていったのやら、目の前の君にはどのような風貌が映っているのか、考えただけで気が遠くなりそうだ。で、私を訪ねるにあたってお断りしておいたとおり、何ぶんひとに喋るという機会は皆無でこの住まい同様、まあ手狭な家だが…

夜の河〜27最終話

短い突風が去ったあと、ひとりになった初恵はぼんやりと窓外を眺め、言葉を置き忘れたかの面持ちで呼吸をしていた。しばらくして憔悴の色を隠しきれない孝之が席に戻ってからも、この居住まいがもっとも適度な距離感を保ていると思い、網棚に荷物を置いたま…

夜の河〜26

太陽の意思ではなく白雲のわだかまりと、千切れ雲の気まぐれが光線の配分を決定し、車両の縁どりを見送ってゆく山々の夏木立が使命感に萌え、陰りのときを創出した。初恵のからだは陰陽に引き裂かれ、ことが過ぎてしまったあとの陽のひかりは白々しいばかり…

夜の河〜25

太もものつけ根まで左腕を忍ばせるにはどうしても半身を窓際へとひねりこみ、通路側へ背を向けてしまう恰好をとらざる得なかった。となりや斜めうしろの乗客の目がこちらに注がれてないにもかかわらず、きれいさっぱり拭いさることが無理だったのは、これが…

夜の河〜24

夢の偉大さは、なにより空白と沈黙をもたないことにあった。それが思考空間であれ叙情光景であれ、ゆらめく旋律も歯ぎしりのような騒音も、すべて見て聞かれることを大前提に上映される物語であるからだ。もっとも停電みたいに視覚が奪いさられるときには、…

夜の河〜23

初恵の瞳は繊毛を想わせる微細な感情で揺れているようだった。孝之から見れば、その姿はけっしてさまよい出してはいけない閉じられた押し花だったのだが、それは夜の夢とは異なるところ、濃霧によって秘められた隠れ里の様子が、年に一度うかがい知ることを…

夜の河〜22

流れゆくはずの窓のむこうに時間は生起していない。孝之の目は特異点となることで後退する背景はむろんのこと、初恵の残像さえもその場からにわかに消しさった。するとひとこまが次のひとこまに瞬時に移り変わるようにして、あらたなの姿態が形作られるのだ…

夜の河〜21

もの思いが唐突であれ、緩やかであれ、訪れるやいなや脳裏から振りはらおうとするとき、ほこりをはたく調子で軽やかに速やかに消えてなくなればと、あらためて念を押すような心づもりがあるわけでもなく、しかし、念押しされる特定の箇所がきわだって、そう…

夜の河〜20

山腹をきわどく縫いながら列車は走行してゆく。時折、山林が切り開かれたところから下界を見おろす場面が現れるのは、かなり高所であることを実感させ、そうかと思うと次の瞬間には漆黒のトンネルへと吸いこまれてしまい、またもや車窓に浮かび出る自身の半…

夜の河〜19

春の陽は長く感じたが、気がつけば宵闇はすぐそこにせまっていた。孝之にも家内にも暗影は忍び寄る。息子はと見ればまるで光源を背にした独裁者の孤影のように、危うさはらみつつも飛び立つ鳥に似た警戒心を先取りしており、それが一種の確固とした信念にも…

夜の河〜18

同郷であること、確率的に考えてもこの特急に居あわせる乗客の比率は高いはずだった。車両のなかには他にもまだ幾人かは乗りこんでいるかも知れない。もっとも孝之は町外れの山村で生まれ育ち、高校からは東京で過ごした為にあまり顔なじみはいないのだった…

夜の河〜17

孝之から発している独特の雰囲気が初恵を朝もやのように包みこんだのは、彼自身の接しかたによるところも貢献したのであるが、初恵からしてみれば現実の大人たちに否応なしに結びつけていることとは、絶えず日常のくり返しと些事によってでしかなく、大学教…

夜の河〜16

偶然とはいえ故郷に縁のある大学教授と隣り合わせの、しかも列車内と云う情況が初恵を高揚させた。もともと権威や勢力などへの興味は薄かったのだが、義務教育の地続きである高校生活から社会への前哨戦とした旅立ちにも似た専門学校への入学を経て、そこで…

夜の河〜15

「じっとわたしの顔見つめてたからどうしたんだろうって、誰かと勘違いしているんじゃないのかなとか、よく似たひとだと思っているのか、それから、、、ひょっとしたらわたしのことが気になっているのかなって」「たしかに気になってました。さっきも話しま…

夜の河〜14

特急列車の走行音と振動は懐かしさをひかえめに響きわたらせてるように聞こえる。所用に手間取ってしまい駆けこみに近い勢いで乗車してから指定の席を見つけ、このまま乗り換えなしで到着する町までしばらくのくつろぎが約束されている気がした。目を閉じあ…

夜の河〜13

墓所がもし貯蔵所であったなら、、、暗色にひろがる荒涼とした無限に約束された眠りの遺骨は屍であると同時に、爛漫たる躍動に満ちあふれた大いなる沈める帝国かもしれない。わたしと云う君主を戴き、風となって野山を駆けぬけ、山稜に飛びあがり白雲をかす…

夜の河〜12

夜霧が何のためらいもなく晴れていくように、漁り火が静かな別れを告げながら遠ざかっていくように、めざめはいつもと変らず待っている。谷間をつたう清水に足もとをひたす感触が、ちょうど冷水で顔を洗う手間を先取りしてくれていればなおのこと、いつにな…

夜の河〜11

久道の大きな危惧の念とは、とにもかくにも彼の主張する神秘の扉が開かれたとき、果たして人々、軍事大国首脳らが、どのような対処をもって未知なる存在を受け入れることになるかと云う事態にあった。だが、長年の考察によれば世界各国にはすでに異星人の塁…

夜の河〜10

ことさら世情に造反したかの態度で今夜自室にこもり、コリン・ウィルソンの大著「オカルト」を耽読していたのは、傍目から見れば少しばかり奇特な様子に思われるかも知れないが、深沢久道にとってみれば、きわめて明快な意味あいしかそこになかった。花火大…

夜の河 〜 9

陽光がまぶたのうらに赤く染みこんだかの記憶は茫洋としたまま、しかし追想される、きれぎれなひとこまのなかに於いてひび割れのように引かれた、あるいは二枚貝がわずかに海水をあらためて含みいれる様相で、薄目をかすかに開くと、月あかりの有為転変を眼…

夜の河 〜 8

洞穴の出口にようやく近づいてきたのか、ほの暗いなかをいつか想い出のうちに印象づけられた淡い光線が、まぶたの裏に幽かに甦ってきたのがわかり、ためいきに似た気休めをもらすも、しかし軽微な希望であることを決して忘れ去ろうとはしなかった。意識の黎…

夜の河 〜7

酒の肴にと奥さんがさばいてくれた、あじととびうおの刺身をつまみながら、口中に新鮮な青りんごをかすかに思わせる白ワインを含めば、潮の香りが風に乗って遠くまで運ばれ、人気のない山村に生える果実の木のしたへと、まるで眠りをもとめてそこへ安息する…

夜の河 〜6

いつの頃のものかはわからないが、十分に時を経た木桶は、この畳部屋に備えられると見事なまで風趣に富み、恰好のワインクーラー代役を、いや、それにとってかわる役柄としての調和をみせていた。 あべこべに孝之が持参したフランス産ワインのほうが、浮いて…

夜の河 〜5

古びた佇まいながら、玄関のガラス戸や格子が醸し出す風情には泰然とした郷愁が備わっており、屋内の印象も同様、あらたに増築された部屋は別としても、木目を土色にくすぶらせ、天井があたまの上に張りついているかのこじんまりとした造りは、現代からみれ…

夜の河 〜4

その日、深沢久道は所用で車を走らせながら、昨夜みた夢がどうしてこんなに印象深いのだろうかと首をかしげ、川沿いの道に出たところで浴衣すがたの若い娘とすれ違ったのだが、次の瞬間、ふとサイドミラーに目をやった時にはすでに距離を隔てており、しかも…