美の特攻隊

てのひら小説

掌編小説

燃える秋

俊輔は尾根から麓までまだらながらも色彩が植えこまれた山々の威容を想像していた。 遠目には種類は判別出来なくても木々が燃えさかるようにして色めきだち、しかも枯れゆくまえにして鮮やかな変容を遂げる情念を静かに夢想すれば、山全体を眺めやるまなざし…

秋雨

指先から指先へ、綱渡りの危うさで近づいては遠ざかる。 まどろむ皮膜のむこうには秋雨が聞こえている。散漫な意識の陰りは湿気ることなく、蒙昧なままの情況を伝えようとしているのだろうか。雨音は何故かしら乾いた響きを持っていた。 いつの頃からか私は…

さわ蟹

生家の裏庭に面した流しの下はちょうど水たまりに似て、心細げに類家の畑の溝へと通じており、春さきともなれば白や黄色い蝶蝶がふわふわ舞うさまは身近でありながら、陽光の届けられるまばゆさに名も覚えぬ草花が匂いたつようで、見遣る景色はなにやら遠く…

蛇女の怪

頬をなでる冷ややかな風に引き締まった美しい弦楽の奏でを感じるよう、僕にしてみれば子供らの奇妙なうわさ話は、秋の空から舞い降りてきた贈りものだったのかも知れない。 最初耳にしたときから聞き流してしまう理由をあげてみるより、風のなかにひそんでい…

夜景

旅ではなかった。生まれ育ったまちだったから。ひと時だけ帰省しているようでもあり、もう長く住んでいるようでもあった。 散歩ではなかった。なにしろ、宵の口から指折り数えてみるとかなり夜が深まっている。 所用があったにせよ、今時分そぞろ歩ているの…

名画座

雑踏からはぐれた感情は置き忘れられてしまい、すでにその光景の中へと包まれていた。 都会の夕陽を背に十年以上を経てその空間に佇んでいる。 胸いっぱいにひろがった得体の知れない気持ちは、ときの推移に抗わず、一定の場所に立ち戻るために、滑走路のう…

フランケンシュタイン

夏を夢見る。 部屋の中をしめやかにさせた陽の陰りに午後の衰退を覚えれば、うつらうつらとした意識は更に心地よく、このまま眠りに落ちていく軽やかさがかけがえのないようなものに思えてくる。 が、陽射しは白雲に暫しさえぎられただけで、海水浴場を輝か…

青いまぼろし

なだらかな山裾がぼんやり映りだされると夜の空気は流線になった。 眼を凝らすまでもなく、木立から離れてしまった寂しげな枯れ葉が幽かに揺れているのがわかる。その先に静かなみずうみを見いだす予感も訪れて、葉ずれとさざ波が月影へささやき始める。 し…

なべ焼きうどん

今日の空模様、窓の外にはやわらかな針のような雨脚、それほど嫌いでもない、煙る町並み。 寂しげな電柱だってよく目を凝らせば、いつもと居場所はかわらない、当たり前か。 でもモノクロ写真としての風情を欲している電線には同情してしまう。どうしてそん…

タンタラスの丘

実際の地であるはずがなく、又かの名勝を模したのでも、あるいは似かよりとも無縁の、ただその名だけがひとり歩きしていたに過ぎないと思う。 どこかで聞きかじった覚えもないところから、感性に疑いを抱く謙虚さは遠のき、自然にわいて出た単なる文字の羅列…

伴走

その話しならこの頃そういう気分じゃないから今度ゆっくりね。 それはそうと、あんたこのまえ訊いてたでしょ、ものごころのうちではけっこう鮮明な方だと思うんだけど、犬の名前はたしかペロだったわ。あたし保育園にも行ってない時分だったし、あんたはまだ…

輪花 (りんか)

石ころを蹴りながら下校した記憶が不意によみがえった。 連れ立った帰り道は透けてなく、意地らしくひとり、うつむき加減でやわらかな陽射しを受けている光景が振りかえる。 微笑みで、いえ、気難しそうな表情で、そうじゃない、寂しげに、どれもしっくりこ…

桜唇記

桜唇 春雨の領分なぞ取りとめなき想いかすめし今朝の庭、浅き夢にて見遣る心持ちなれば、蒙昧たる証しおのずと雲散霧消されよう。げにも寝ぼけまなこへ映りゆく風物かや、東雲さずけし恩恵と認めるは長閑なるも頑是なき。然るにそぞろ哀しき面影の由縁、何処…

まどろみ

今日も星がいっぱいだ。 江波純也は今しがたまで、グラス片手に気分を広げ、又特異点のような空間に去来する自分自身へと酔うにまかせていた。 そして、気がつけば酒場を後にコートの襟を立てゆったりとした足取りで、帰途につきながら夜空を見上げている。 …

ゆうれい

不思議な色合いのまちなかにいる。 紙芝居みたいにこじんまりとしていそうで思いのほか、にぎやかさは収まりつかない気配を仰々しく伝えてくれるので、胸の奥に温かいものが湧き出て来て、辺りを一通り見回した頃にはじんわりとした感情に包み込まれてしまっ…

逆光

頭上から鳴り響く爆撃音は勇ましいワーグナーの楽曲をより一層身近なものにしつつあった。 ベルリンの総統地下壕の強固な造りはソ連軍の肉薄を見届ける必要に駆られながら、どこかほど遠い位置をしめいていた。 ヒトラーの罵声は狂乱に裏打ちされいることを…

くらがり

季節は思い出せません。しかし黴の匂いは今でもしっかり鼻に残っています。 夏の盛り、押し入れに畳まれた布団のなかへもぐりこむのは快適な遊びでないはず、とすれば小雨に煙る春さきだったのか、湿気が立ち退いてゆくのをどこか心細がっていた秋の頃なのか…

老人とわたし

いつかの続きね、あら違うの、でもわたしがそう思うんだから別にいいんじゃない。 連続性は意識のほうにあるんでしょ。室温より冷蔵庫のなかが冷たくないってどこかで聞いたことあるわ、どれくらいの温度なのかなあ、缶コーヒー入れといたらホットにはならな…

火炎樹

熱帯夜、そうつぶやくといいなんて前にあなたから言われたことあったわ。 すると、魔法の呪文みたいに異国情緒を携えた時間が一瞬だけ訪れる、、、なるほど一瞬だけね、総天然色映画のワンシーン、南国の海と人気のない森林、暑気は払われているのかしら、た…

ドッペルゲンガー

極寒地では室内より冷蔵庫のほうが温かいそうだ。窓を開けるのは自由だが冷気とは関係ない。 ここで私の語るべきこと、それはもうひとりの自己像をどう認めるかという、心構えの問題に他ならない。では早速窓と共にに奇妙な扉に手をかけてみよう。 ウィリア…

霧の吸血鬼

陰にこもった雨が降り続けているとか、午後の日差しが際立って秋めいているせいだとか、夕闇がせまってくるのをまるで深い洞窟へと踏み込んでいるように錯覚してしまうとか、虫の音がか細く仕方なく感じてしまうやら、別に季節がはぐくむ時間のうつろいによ…

イノセント

一席おつきあいのほどを。 なんでございますな、ちまたでは草食系などと申します男子が増殖しておりますそうで、どうにもあたしらにはピンときませんがね、色恋を避けているって風潮ですから、世も末なんでしょうか、はたまた少子化を担うために人類がとち狂…

あんかけ焼きそば(パワーアップ編)

夜が更ければなにかいいことがあるのだろうか、なんて普段あたまに思い浮かんではこない考えが、薄ぼんやりしながら静まりかえった深夜の気配にとけ込んでゆく。 休日なので夕方近くまで目覚めつつもふたたび眠りおちるままでいたから、いつもに比べ遅く布団…

赤く染まったまぶたをそっと開いた。 目覚めは変わらない。 何が。 世界もそう大きく変貌したと思わない実感。そう特に変わらない。 あれから数日を経て職場にも復帰し、今日も又、何も変貌がないだろうと軽くまばたきをして、こうつぶやいた。 「夢は見てい…

ハンスの物語

「その時間なんだよ」 皆の注目を一身に浴びたハンスは得意気な顔を浮かべたのでしたが、雲間から覗いては消える太陽にほほ笑みかけてるとも思われました。一方飼い主のオステンは驚嘆する人たちに応える表情を最近くもらせ勝ちです。 算数の出来る馬として…

午後3時

隣町まで遊びに行ったのはいいのだが、どうにも帰りの時間が気になって仕方ない。 たいして親しくもない連れは端正な顔立ちをしていて中折れ帽がよく似合っている。 もうひとりも色違いを被っていて、ここのところ洒落っ気がない自分に舌打ちしつつも、やは…

日向

何気なしに壁に片手をつきもたれかかってみた。 固さも手触りも特に意識されない。 いまどき珍しいというより、ここが相当古い家屋である思いは、舗装される以前によく目にした雨上がりの水たまりに向けたまなざしと重なりあっている。 ふざけながら足を入れ…

惜別

「暮田くん、、、暮田くん」 そうくり返された声が自分を揺すぶっていると知るまで、いえ知ったあとでさえ、次第にかき消えてしまう余波は何故かしら、空耳にも似た微かな実感でしかありません。 春休みをまえにして先生より手渡される通信簿にまごついてい…

鉄橋から来た少年

社会人になった夏のこと、そう記憶しているのは初々しくも溌剌とした心境と燃え上がった太陽が互いに認め合っていたという強引な解釈なんかではない。あの日の光景を振り返れば、自ずと勤務先の会社の窓ガラスに張りついた天候がまず一番にまぶた焼きつけら…

初恋

冬の空をよそよそしく感じていたのは、日の光とそぐわない冷たい北風のせいだったようです。 情熱的な蒼穹に躍らされた夏の日々から随分へだてられた気がするのも、やはり肌寒さが身にしみてしまい、折角の晴天はどこか取り澄ました高さで見おろしていると覚…