美の特攻隊

てのひら小説

広場

性懲りもなく隣町の隣の町へ遊びにやってきた。今回は案内人がいる。なんでも一風変わった建物があるとかで同行を引き受けてもらったのだが、実はそんな風聞などまったく耳にしたこともないまま、半信半疑でNさんの言葉に従ったわけで、そうかといって期待にときめく大仰さはやんわり鎮静され、あらかじめ見届けているような失望にくじかれる土台も放棄し、のびやかな気分だけがこの眼の行方を後押ししている。夢は保証を必要としていない。

大丈夫、今日は腕時計を外してきた。玉砂利を踏みしめながら歩いてゆけば、なるほど寺院とも美術館ともつかない奇異な建築物がまざまざと我が身に迫ってくる。カメラを持ってこなかったのが悔やまれたけれど、灰色にそびえ立つ尖塔は曇天と気脈を通じているようで苦笑いさえぼやかしてしまった。不穏な空気と断定は出来ない、薄い霧に包まれているのがとても心地よく感じられたから。

「なかには入れないのですか」と、Nさんに訊いてみれば「誰もいないからとかじゃなくて、厳重に鍵がかかっているのです」声を低くしそう答える。鉄壁に囲まれた響きが含まれている気がして納得してしまった。

それにしても眺めるほどにつかみどころのない建物で、どうにも形容しようがない、豪奢でもなく倹素でもなく、かといってありきたりでもなく、身勝手でもない。ただ異様な感じだけが見定める思惑に裏ごしされ、正午の影のように、かたつむりの抜けがらのように明確に示されている。

足が地についてない感覚もまた、この周辺に磁場となって眠っており、緩やかな作用のもと早々に立ち去ることを奨励していた。Nさんの薄ら笑いが風に流されてゆく。うなずきながら落とす目許に一瞬、光線がよぎった気がし、微かな歓びの訪れを知る。

「奥の林を越えたところに行ってみたらどうです」Nさんの口調は風を含んでいるのか、懇切ではあるもののどっちつかずな振りに聞こえ戸惑っていると「気にいると思いますよ、わたしはこれで」そう言い残しこの場をあとにしかけたが、引き止めたり、詳細をうかがいつつ別れの挨拶に寄りかかるのは、少しとはいえ時間を引き延そうとする行為にでしかなく、迷宮の意志に反してしまうので黙ってNさんの後ろ姿から眼をそむけた。思考する余裕があたえられていないわけじゃない、速やかに歩を進めるのを優先しただけであり、それはまったく脇目も振らせない空間の歪みに忠実だったからだと言える。瞬間移動したに違いないこの身には、林を抜け出た意識が脱落していた。空の色はこの丘でも同じにくすぶっていて、木々の合間に透ける寒色が思い出されそうになったが、過去を振り返るより眼のまえに広がる廃墟みたいな工場へと視線はのみ込まれていった。

丘陵地帯がそっくり要塞になったような土にまみれた工場は稼動していなかったけど、全体を被う油分のぬめりは生き生きとしており、風雨に耐えて来ただろう錆びた鉄筋造りの構えも今だ現役である重量感を失ってはいない。凹凸の激しい地面にへばりついて、あるいは埋め込まれている機械類は精緻でありながらどことなく温かみがあり、土気色で染まった単調さのなかにほんのりとした明るみを見つけ、それが無人の雰囲気を漂わせながらも廃墟に朽ちることがない証しだと悟る。

そこに無邪気な顔をした子供ら数人が現われ出たのは約束ごとであり、胸を熱くさせ、増々この風景に確信的な親しみを覚えさせた。まるで秘密基地の風貌をたたえた丘の頂に駆け上がるべく、土ぼこりの舞う石段を軽快に踏みしめる。

子供たちの表情には素朴な警戒心が張りついていたから、大げさな身振りと明快な声色が適切だと感じ、足を止め距離を保ったまま「今日は日曜だから工場は休みなんだろう、一緒に遊ぼうよ」そう投げかけると、一番眼をまるくしていた男の子が応じてくれた。

「おじちゃんも休みなの」

「そうさ、だから隠れてないで出ておいで」

「だめだよ、かくれんぼしているんだから」

「これはまいったな、もう遊びは始まってるってことだね」この問いに返答はなく、子供らはいっせいに飛び出したかと思うと、てんでに散らばり再び姿をどこかへ潜ませた。突風が吹いた。酩酊にも似た恍惚感に襲われ、辺りをゆっくり見舞わしてみれば、小高い丘に思われたこの場所が雲海と居並ぶほどの山頂であることに気づき、高らかな笑い声をあげるのだった。

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