美の特攻隊

てのひら小説

回廊

吐息は気だるさを知るまえに冴え冴えとした方向をめざしていた。特に目的があるわけでもない、尋ね人や宝探しや意趣返しでもなく、誰かの指令を受けている自覚もなかった。

秋口の呼気がひときわ爽やかに感じられることを忘れていなかったし、季節のめぐりを実感しようと努めるあの静かに横たわった意思もなくしていない。しかし、焦点が定まってないよう肌に触れる空気は四季の特定を願っておらず、あれはいつの日だったかと半ば放心にさらされる粗雑さへ歩み寄っていた。逆光を見つめる眼は醒めた意識を背景にしている。だから風景はこんなに冴えているのだろう。薄皮一枚に隔てられた赤褐色に被われようとも。

親しみがはね返されてしまいそうなくらい気色のいい飴色した廊下をずかずかと進んでゆくのは心地よかった。大名屋敷とも広い寺院とも識別されない混迷だけが宙に舞い、吐息は白濁した霧にのみ込まれながらも先行きをかき分けている。

「あの、いつの時代なんでしょうか」不意にもらしかけた言葉を唾と一緒に喉へ戻し、歩幅に流れる光景を見送っては、一齣一齣が鮮明に飛び込んでくるときめきを忘れられないなどと念じて、感傷を同時進行させてしまう。

どこかで見知ったのふうな寺子屋を想わせる一室がうかがえた。燭台からの灯りにしてはまばゆい気もしたけれど、数人の子供らの顔つきを見比べる余裕なきまま、歩を止めはせず廊下を過ぎてしまうと、あとに残された火影がぼんやりまぶたの裏に浮かぶので、えらく屈折した家屋の造りに違和感を覚える暇もなかった。とはいえ、摺り足とも早足ともつかない歩調であれば、自ずとその爪先が過度に入り組んだ構造を認めてしまっていて、まるで鍾乳洞の深みにもぐりこんだみたいな危ぶみを招く。

「そこで何をされているのですか」またしても疑問符が口からこぼれかけた。

飴色の廊下が廊下であるよう部屋という部屋は畳であったが、よぎる意想を否定しかけても結局そこに生息している人々の呼吸が別種のものだと考えてしまうと、寂しさから逃れなかった。せめてもの救いはこの眼球に反射している眺めは鋭い角を持っていなくて、塵ひとつたてるにしても子犬にほほ笑み返すような柔らかさがあり、例えそのなかに棘が含まれていたところで、虚脱を覚悟した身はすでに風化されており、地平線に連なる古拙な居住まいは汚れていない、星降る夜空を見上げるものと同様の広がりがある、そうしたまなざしは永遠なのだと信じられることだった。

苦笑は夜風になって背後から吹きつける。くねりにくねった廊下の表情は変わらない。足どりは快調とはいかないまでも遠い地に旅する趣きに近く、気抜けした歓びを愛でる使命で運ばれていた。

「弁当の時間ですか。うまそうですね、いえいえ、おかまいなく」すべての室内が見てとれるので、ついつい独り言が出てしまう。実際空腹ではなかったし喉の渇きも覚えなかった。

だが「すごろくとは又懐かしい」とか「座禅なんですね」とか「ほう、それは誰の絵です」とか「江戸川乱歩を読んでいるんですか」などと眼に入る場面に対し黙したままでいるのをやめ、ささやきとして送ることにした。もちろん反応は期待しておらず、何故かしら進行方向の右側だけにしかない座敷の様子をのぞいている。

今が日昼なのか夜間なのかも留意してなかったけど、ろうそくの灯りがこんなに部屋部屋を印象づけているのが不思議に思えてきて、それに各自の服装も着物だったり背広だったりするので、老若男女の割合などおぼろげに目算しているのも疎ましくなり、終いにはそれぞれの様態より一室の雰囲気しか看取しなくなっていた。左手には暗緑色の土壁だけが続いているし、黒ずんだ天井は背丈に低く恭順しているようで、太陽や月を仰げる庭は現われない。

それからしばらくすると失意よりもやはり旅人の描く風景がさきに訪れた。見晴らしのよさなど二の次にして願う心象、偶然だった。見知った顔だった。けれどもその容貌は明らかに時間が停止している。

「あの頃のままだね」

つぶやきは瞬きを奇跡に置き換えたかったみたいだ。低い天井はほどよい高さで彼女を見守っている。

「きみの名前はひょっとして」と言いかけたとき、真っ白な封筒を相手から手渡された。ほんの微かな笑みとともに。

驚きはためらいを生み、封を切る指先も微かに震えた。待ち望んだのではないが頬がゆるむのが分かり、その場に立ち止まった。

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