美の特攻隊

てのひら小説

惜別

「暮田くん、、、暮田くん」

そうくり返された声が自分を揺すぶっていると知るまで、いえ知ったあとでさえ、次第にかき消えてしまう余波は何故かしら、空耳にも似た微かな実感でしかありません。

春休みをまえにして先生より手渡される通信簿にまごついているのなら、姿勢をただす緊張と、くじ引きとか興じるときの妙に取り澄したゆとりが混然となっているのでしょうが、その日の静夫には成績の悪さもテストの点数で確認済みだったし、このクラスの生徒たち、大半は進級とともに毎日顔を合わせることがなくなり、一抹の寂しさみたいな思いを到来させて当然でしたでしょうけど、耳もとに送られた空気のような名はどこか別のところから呼ばれている気がしてなりませんでした。

まぶたを閉じるまでもなく、まだ冬の名残りが地面に居座っていて、年の瀬や正月の澄んだ町の景色が色調を加減させながらも、静夫の胸にゆっくりと、まるでかたつむりの動きのように描きだされます。けれども正確な日付は思い返せません。

当時の歌謡曲に付随していた、恋だの愛だの、別れといった言葉の重みはあっさりと責務から解放されて、漫画のひとこまに近い端的で、素早く、しかもシールの表面みたいに手軽な意味合いでめくられてしまい、肝心の想い出を沈ませたものはなかなか確かめ難かったのです。

「明日は絹子ちゃん帰ってしまうから、ひとこと励ましてあげなさい」

母の憂いはそつない柔らかさに包まれ、毅然とした口ぶりに違いないのですが、静夫には始めて絹子と対面した日の場面に立ち戻っているよう思えて仕方なく、憂いの情は絵空事にも感じられて、明確な忠言は明日という時間を定めているのでない、そんな投げやりで、浮遊した考えがまとまりつかないまま、思いは血流をたどり足もとに降りていきました。そして沈滞した情況こそ、永遠を願う夢見とうっすら覚えつつ、実際には母の言葉は素通りしてしまい、絹子の顔がわけもわからず脳裡をめぐっていたのです。

「なんて声をかければいいんだろう」

それこそ歌謡曲の歌詞に即した挨拶もよぎったりもしますが、実態からかなり隔たりをもってしまった面影にしっかりとした情感が備わっていない限り、作られた言葉は空疎でしかなく、が、悩みという程ではないにしろ、静夫の鼓動は着実に夜明けに向かって届けられていました。

夏休みを振り返りながら懐かしさが埋没してゆく秋口に入った頃、絹子がやってきました。でも当初の戸惑いはポップコーンが弾けたくらいなもので案外臆するべきもなく、重荷を背負った感覚からは遠くて、ひとりっ子の静夫に去来したのはシュークリームのような程よい感触だったのです。水気の薄い皮の中身に美味とは異なる、熱烈でいながら冷ややかさを保てそうな、抑制のある、甘みにうちに溺れない弾力がちょうどよかったのでしょう。

年明けまでの短い期間でしたけど、ひやりとしたことは幾度かありました。絹子が夢に出てきて大胆な振る舞いを見せたり、普段からもっと話しかけてあげなければと思いながら、結局、この家にあずけられた事情も詳らかにされることなく、それは両親があえて口外しない厳格さを嗅ぎ取ったからで、そのまま静夫を凍結させる効果を発揮しましたが、色眼鏡をかけさせてしまう距離を生んで、互いに歩み寄るすべを得ないまま、いえ、不安定な好意だけが一方的に排出されてしまったので、噂話などは確かにまわりから否応なく飛び込んでくる場合もありましたし、絹子との血縁から類推して、彼女を取り巻いていただろう過去を少しばかり想像することも出来ました。

しかし、頬にしるされた傷跡の大きさを見まいとすれば、逆に悲惨な想念がわき上がってきてしまい、さながら腫れ物の触るような心地を一層強めたのでした。

いつかの凧揚げのとき痛切に響いた疎外感こそ、静夫の思いやりのなさで、先取すべくしてあらわにした羞恥であり、見失うことを怖れ念じた大人びた馴れ合いだったのです。

絹子に接する状態が別れという現実のさなかでも瓦解しないのは皮肉なものかも知れません。静夫の守護神は絹子を小悪魔に仕立て上げ、駆逐する算段を擁していたのですから。

十歳の静夫にも人間の業といいますか、善悪の機微とはいくらか大げさでしょうけど、自身の胸中にわだかまる不穏の正体をかいま見ることは不可能ではありませんでした。一方でそれ以上の内省を拒む童心は健全な機能を失っていませんので、おそらく母を代表として託したであろう、思いやりと礼節を静夫はついに翌日へと持ち越してしまったのです。

その晩の寝苦しさも今となっては、熱病に冒されている時間を逐一なぞるような按配なので、夜想に渦巻き、安眠という揺籃を乱したに違いない音なき辻風に促されるまま、白々しくも気運を秘めた当日の朝陽に語ってもらいましょう。他でもありません、静夫は家のなかで誰よりも一番に目覚めたという自負があったからです。

窓の上では鳩が鳴いています。その声不気味ですけどよくよく聞き入れば、くぐもった小さな絡まりが、ころころと朝もやの彼方に消えていく、あるいは夜の魔王の咳払いしたなごりが軽やかに陽光に炙られる試みであり、太陽と夜が織りなしてきたあまりに壮大な仕草なのです。

「からだに気をつけてね、まえの町とはそんに離れてないから、すぐに慣れるわよ」

母の目は悔しさが勝っているみたいなひかりを放っていますけど、声色は低く優しいのです。

「ずっと家に居てもらってもよかったんだが、この方が絹ちゃんにはよかった」

苦渋をにじませ、おおらかに話す父。

「又、遊びにおいで、ばあちゃんの目の黒いうちにな、きっとだよ、元気でな」

まぶしいものを見つめるまなざしの奥には慈愛が堂々と溢れ出ています。

朝飯を済ました家族は、迎えの車が到着する間、玄関先に佇んだまま、無言の隙を埋めようとそれぞれの思惑を、見慣れたはずのガラス戸に映る影にと求めていました。心配いりません、日差しはみんなこころを透かし文様のガラスに焼きつけています。決して鮮明ではないけれど、不慣れな手つきで撮られた一枚の写真が思わぬ配置を浮き出させるように。

「ほら、静夫、絹子ちゃんに、、、」

母に背を押される具合で両の目が向き合います。

表に車の気配がする度に静夫は無性に悲しくなってきました。祖母がガラス戸を開けてみると早朝の寒風は辛く、急いで閉め直します。すると絹子の目にしみたのでしょうか、うっすらとひかるものが見えます。

「ありがとう、おにいちゃん」

か細い声でしたが、静夫には確かに絹子の言葉が聞こえました。

「どうしたんだ、先にお礼なんか言われてしまって、、、」

この場に及んでも、静夫は自分の情けなさに拘泥してしまい、取り返しのつかない大事なものを忘れかけてるのです。

「おじちゃん、おばちゃん、おばあちゃん、ありがとう、あたし、楽しかった」

律儀にあたまをペコリと下げている絹子の姿が、まるで映画にシーンにも思えてきて、静夫は一段と苦しさが充満しましたけど、何気なく横目に入ってきた金魚鉢へと溶けて、没し、視界が流されるのを気づいたときにはもう涙で顔中ぐしゃぐしゃで、なにも気の利いたことなど絹子に伝えられませんでした。

悲しみを覚えるにも手順があるなんて、、、「ありがとう」それが静夫の送る言葉でした。

 

「暮田静夫くん」

先生の語気は高まっています。

「は、はい」

絹子が居なくなった家のなかに大きな変化はありませんでしたけど、自分のことを「おにいちゃん」と呼んでくれたあの朝を忘れることが出来ません。静夫は絹子に向かってその名前をこれまで口にした記憶がなく、また絹子の方から静夫に話しかけてくることもなかったので、別れの親しみはこんなにも胸に残り続けているのでしょう。