美の特攻隊

てのひら小説

イノセント

一席おつきあいのほどを。

なんでございますな、ちまたでは草食系などと申します男子が増殖しておりますそうで、どうにもあたしらにはピンときませんがね、色恋を避けているって風潮ですから、世も末なんでしょうか、はたまた少子化を担うために人類がとち狂いはじめたのか、食糧難を乗り切る配慮でありますやら、どうでも理由づけは勝手にしやがれってわけでございまして、そもそも男女の間の隙間が、いえいえ溝でございますな、えらく深い溝が出来ているってことは間違いありません。

食欲性欲といわれた二大欲求の片方が欠落したわけでございますから、姉さん事件です、なぞと叫びたいところでして。

 

「たこ八さんじゃねえか、どうした浮かない顔をして」

「ああ、くま吉さんかい、聞いてもらうも恥なんだけどさ、せがれの宗太なんだがね、あの件以来どうも妙になっちまって」

「お花さんのことかい」

「そうでさあ、あっしの口からいうのもなんだけど宗太は役者にしたくらいの色男、かかあに似たのでなし、むろんあっしはごらんの風貌で、もらいっ子にちげえねえだの、大工のせがれにしとくのは惜しいだの、いろいろ世間はやかましい。で、餓鬼のころから仕事を仕込んでみたものの、施主のところに娘がいたらこれまたどうにもならずでね」

「知ってるよ、娘どころかおかみさんやら女中、近所のおんなっておんなが頬を染めて、お茶をすすめるやら煎餅、饅頭をどうぞとやら、まあ一服なさいだの仕事にならねえって」

たこ八ここで冴えない顔を上気させ発するに、

「仕事は仕事なんだけどさ、背丈も伸び、一丁前に物憂い面なんぞ浮かべやがると、たこ八さんよ、日当はちゃんと出しますからね、宗さんをちょいと貸しておくんなさいよ、と来たもんだ」

「それって」

乗りだすくま吉をいさめても仕方ない、平静な口ぶりに返り説明する。

「枕役者じゃあないよ。他愛もなことさ、座敷に引き入れて喜んでいるさ」

するとくま吉は怪訝な顔で、

「本当かい、物持ちのおんながほっておくもんかい」と突っ込みます。

「さすがに昼日中からはあるめえ。こちとらも目を凝らしていらあ」

「どうなんだい、いっそのこと役者にしちまえばいいじゃないか」

「馬鹿言っちゃいけない、宗太はもう所帯を持っていてもおかしくない歳だ。大工だって役者だって仕込みが肝心だ、生半可はいけねえ。とは言うものの、肝心の本業もあの通りからっきし駄目と来た。そりゃね、あっしらの育て方が悪かったんだ、かかあだってちゃんと認めてるよ、そこで能無しだけどあの器量に惚れ込んだ娘が是非ともなんて、甘い思惑をめぐらせるとだねえ」

「ほう」

「世の中ってのは持ちつ持たれつなんだねえ、反物問屋の次女が宗太のうわさを聞きつけ、一目見るなりあっと言う間の惚れ込みよう」

「お花さんだね」

「あんたも適当だねえ、お花さんは茶店の奉公人、反物問屋はおさよさん、まったくひとごとだと思って」

「そう怒りなさんな、悪かったよ。最近どうももの覚えがよくないもんで」

「なに言ってやがる。まあ仕方あるまい、あのふたりはすがたかたちがよく似てるからね。いやほんと、双子みてえだよ」

したり顔で頷くくま吉を尻目にたこ八お天道様を仰ぐふうな様子で、

「それで向こうさまから縁談がもちこまれたって次第さ。棚からぼた餅てのはこういうことか、なんて喜んでいたわけなんだがね、宗太に話しを聞かせたところ、たこ八さんよ、なんとせがれの奴こんな台詞を吐きやがった。おとう、実はおらあ好いたひとがいるんだ。これにはあっしもかかあも仰天よ、ああしたときはおなごのほうが気丈だね、あんぐり口を開けたわが体たらくを押しのけ、かかあはすかさず言ったよ。どこの誰なんだ、これ宗太、隠し事はならんよ、きちんと話してごらん、とな」

はい、神妙な面で語り出したこの希代の色男、以前より通っておりました茶店の娘に懸想していたそうで、とはいっても宗太は案外うぶな性情でございまして、決してそれらしき態度は示さず、口にもしないとわけで、あとは当のお花が勘づいているかってことになりますが、それは後々あらわになりますので、ひとまずたこ八の家へと話しを戻しましょう。

そこで早速、両親ともども宗太と一緒に茶店へと赴いたのでございます。さほど遠い距離ではありませんでしたな。話しが持ち上がった折から反物問屋のおさよの容姿を見知っているたこ八、このときばかりは狐につままれた面持ちで、こうつぶやいたそうです。

「なんでえ、どうしてお嬢さんがここにいなさるんで」

ここは男親の威厳の見せどころ、考えあぐねるよりもつかつか店内に踏み入り「もしや双子ではありませんか、おさよさんの」といきなり切り出した。

これまた豆鉄砲を食らったようなお花の面様、世間話しがゆきわたっていたとしてかの反物問屋は五里ほど離れております、江戸市中はそう狭くはありません。まったく何が何やら分からぬ顔つき、泳ぐは両の目の色、更にはかかあもしゃしゃり出てきまして、これこれの問屋の娘と縁故があるのか、名はなんと言う、宗太を見知っているのか、もう矢継ぎ早の問いただしで、まわりの客も眉をひそめるものやら、立ち上がるものやら、不穏な雰囲気にあわてて駆けつけた茶店の主との話し合いにひとまず落ち着いた次第で。

「なるほど、そういう事情でございますか。うそいつわりなぞ申してどういたしましょう。お花は三年まえより手前どもで奉公しております。合点がいかれましたかな、他人のそら似でございましょう。それよりそちらの子息とお花はどういう、、、」

茶店の主の態度に揺るぎはありません。こうなるとあわてふためいたのは張本人の宗太、顔を赤らめしどろもどろ、やむなくたこ八がせがれの岡惚れを恐縮しつつ説明いたします。呆気にとられたのは言うまでもありません。幸い野次馬から逃れるよう奥座敷にての話し合いで騒ぎとまでなりませんでしたが、どこから漏れるものやら、二三日もすればもう色男と双子の縁談とえらく尾ひれがつきまして、そのうち反物問屋の耳へ入ってしまいました。

呼びだされた宗太と両親はあたかも、とが人の態でうなだれてしまって。

無理もありません、数代続く問屋側からしてみれば、入り婿とはいえ破格の縁組、娘かわいさの英断です。それがこともあろうか双子などと下世話な風評が飛び交い、茶店の女中ふぜいを慕っておったとは甚だしき侮辱、おさよに傷がついたも同様、また本人も悲嘆に暮れたのは察してあまるところでございましょう。

浮いた縁結びは木っ端みじんに吹き飛び、懸想されたお花もいたたまれなくなり茶店をやめてしまいました。それでも宗太はたこ八に泣きついたそうでございます。

「なんとかお花さんと一緒になれないもんか」

あとの祭りと知りながら反物問屋のお嬢さんはお花さんと瓜二つ、どうして算段しなかったのかと詰め寄りたい心情だったけれども、聞くだけ野暮とすべてを諦めていたところ、いやはや風聞とはまことに恐ろしものでして、色男一世一代の恋などと格好の話題になっており、世評は宗太の肩を持ちだしたのですな。

暇人がいるものでございます。

どこのつてをたどってか、ひっそりとある屋敷で女中奉公しておりましたお花を探しだし、おまけに屋敷の当主の上役までとりこんであれこれ吹き込む始末、もはや人情噺を地でゆく勢いです。

当主は邪心こそありませんが、今評判の宗太の想いをかなえてやれば名声もたかまりましょうぞ、などと耳打ちする輩にのせられ、早速お花にその旨を言い渡しました。ところが、

「滅相もございません。わたしはあのひとの目が気色悪くてたまらないのです。命と申されるのならお暇をいただきたく」と、えらい剣幕にて自害さえしかねない様相で訴えかけます。

好いた惚れたは互いの気持ちが通いあってのみ、まわりも納得するものでしょう。無理強いまでして名を上げようとしなかった当主はまだ人間味がありました。ことの次第を聞き入れざるしかない宗太の道は願いはぴしゃりと閉ざされてしまったのです。はい。

失意のうちに次第に世間の噂も幾日とやらで、悲劇をしょった宗太に新たな機運は訪れず、反対に畏敬の目に近い危ういものでも眺めるふうな扱いに甘んじるしかありません。

まったくもって不可思議なのはひとのこころですなあ。

憔悴したとはいえ、宗太の美貌は凄みを増し神々しくさえあったというのですから。

そのうちこの哀れな色男はおなごのすがたを見るだけで胸に痛みを感じたそうで、こうなりますと余計に女人と接する機会もなく、例の日当にもありつけません。たこ八を悩ますには十分の有り様であったわけでございます。

宗太はそれから何をするでもなく、日中は寝込んだまま一歩も外に出ようとはせず、夜な夜な人気もなく、灯火も見いだせない暗がりをそぞろ歩いていたそうで、なんでも辻斬りにばっさりやられたと人々の話頭にのぼったのも束の間、精々たなびいていたのは、早く寝ないと怖いものが来るぞという子供らへの戒めくらいでして、宗太という名もいつしか消えてなくなってしまいました。

お後がよろしいようで。