美の特攻隊

てのひら小説

桜唇記

春雨の領分なぞ取りとめなき想いかすめし今朝の庭、浅き夢にて見遣る心持ちなれば、蒙昧たる証しおのずと雲散霧消されよう。げにも寝ぼけまなこへ映りゆく風物かや、東雲さずけし恩恵と認めるは長閑なるも頑是なき。然るにそぞろ哀しき面影の由縁、何処へあり。

あたかも遠浅の浜辺眺めし空漠たる心地なれど、いささかそぐわぬ所懐満ちゆく故にて一筆記し給う。

大谷崎かの細雪の巻末において尾籠で結びたらんとするは真もって秀逸なり。

然れどこの場は名篇を論んずるにあらず、ただ妙齢の雪子、瀉痢に艱苦するさま印象深かりしこと留意され、くだんの領分とやら一考するものにて候。

庭先から遥か遠き彼方に降り積もれるは未知なる白銀の野山、さながら一幅の山水ぞや脳裡に映られよう。濃淡しめすところか、辺り一面雪景色なれどその空模様はたして曇天なるやら、薄日差す按配やら、ついぞ覚えなき。

はらはらと舞い落ちる粉雪こそ一条の川筋を見届けるも、眼前に広がりたる絶景を知るは芳春そのものなり。彩色の妙味、爛漫たる花びら冬季に浮かばせては、この世の様相とは思えぬ見事な枝ぶりと馴致させたる。感嘆きわまる胸中に疑心生じず、ひたすら風狂の刻へとどまれたし。

 

わずかの行数で筆が遅々としてはかどらないのも仕方ない。一考すべき事柄などないからである。

今年は花見に興じることもなく、精々近所の通りに咲く枝を横目にやり過ごしただけなので、夢幻を引っぱり出し埋め合わせたに過ぎない。また宣長公や大谷崎を援用し斯様な情景の意義を求めようとした浅慮がいけなかった。とは言え、みすみす反故にする心積もりであるのなら、弁疏すら虚しく、深更に至る想念こそ振り払われなくてはならないが、どうにも綾を紡ぎたがる性分らしい。

そこでわたしは歪曲のそしりを承知しつつ、以下の物語へ本文をつなげようと試みる。

 

 

若きL博士の名が人口に膾炙したのは、鳴り物入りで行なわれたある実験によるものであった。

これからお話しする顛末は当時の興味本位な風潮が手伝って、真贋を問われながらも様々な尾ひれがつき、終いには学童のあいだで格好の話題となり大いにその想像力へと寄与したのだった。

超能力や心霊現象がテレビ、マスコミを通じてまことしやかに報道されていた最中、厳粛な立場で実証科学主義を標榜する理性的な知識人を相手どって、ほぼ孤絶した状況から声明を放ったのがかのL博士であり、小さな田舎町は実験という名目に守られたあげく、いよいよ公共施設において両者を見聞するに及んだ。

大方の見物人が当日以前より、口々に交霊会と呼びあっていたところを察すれば、まるでお化け屋敷に臨むような怖いもの見たさがより浸透していたと思われる。

この総意に近い関心度から公開実験は半ば良識からはずれた方向を余儀なくされたと、理性派は苦々しく後述したが、彼らの心中もまた狐につままれたふうな余韻を隠しきれず「あの男は手品師の類いだ」そう言明するものの、語調はあくまで結論に取り急いだ面目をあらわにしていた。

さて押し寄せた観衆を束ねるよう暗幕で遮蔽された空間は、施設本来のあるべき均一な姿からは隔てられ、一種異様な雰囲気を醸していたので尚のこと好奇心を育ませており、ひかりを排除した博士の手段に対し明瞭に欠けると指摘した否定者の声は逆効果になっていた。

即ち油に水を注ぐ調子で、区切られた暗幕内は却って熱気をはらみ、映画鑑賞さながらの期待を背負ってしまっていたのだ。そして博士の口上は決して滑らかではなかったが、集った人々の感興に追い打ちをかけた。

「今宵はお忙しいなか、かくも多数の方々にご来場いただきましたこと厚くお礼申し上げます。ただ今、実演に際しましてこの様に周囲を暗くしたことの非難を受けましたが、そもそも心霊現象は昔から深夜がもっとも適しております。それはひとえに清らかなる時刻であるからなのです。非常灯を残し、数本のろうそくのみにてこれより清らかな夜に近づきたく、どうぞご理解を願います」

その直後頭上からの鮮明な灯りが消えると、拍手はないにせよ、いっせいにどよめきがわき起こり、一部の罵声や怒号をさらうようにして場内は沸点にのぼりつつあった。

間を置くことに何気なく気づいた博士は自分の聴覚を遮断し、一切の雑念を取り除き、喉から絞りだす声色をもって沈黙にくさびを打ち込む勢いで説明を続けると、本人が望んだよりも熱心に耳を傾けている様子が伝わってくるので神妙な気持ちに包まれた。

暗闇を重視するのは霊媒から発せられるエクトプラズムを確認してもらう意向であること、この霊妙なる物質こそが科学の域を越えた存在であること、一見煙状にも薄衣にも綿菓子にも映るであろう白い謎を注視されるのはかまわないが、決して近づいて触れたりしないよう、何故ならこの特異な現象は霊媒に依拠するところが極めて高く、また覚醒状態でないにもかかわらず過渡に集中力を発揮しているため、例えるならむき出しの神経を手づかみしてしまう危険性を思い浮かべて欲しい、くれぐれも接触しない旨など、そうした注意事項を述べながら博士は人々の反応よりも舌先の渇きを覚えてしまったので慌てて「そのほか奇怪な物音なども響くかも知れませんけど、それも心霊現象なので静観を願う次第です」と、いったん口を結んでから、手招きに似た仕草で背の高い燭台に挟まれた椅子へ霊媒らしき女性を座らせた。

固唾をのんで凝視する観衆からしてみれば暗幕から不意に現われた姿は、すでに上質の見世物と化しており、長い髪は同じくらい黒色の衣服に垂れているのが見極められないので、増々怪し気な趣きへと没入するのだった。

最初から失神したみたいにうなだれてはいるが、姿勢は乱れず、背もたれ椅子には磁力が備わっている如き有り様。

一同の視力に促されたのか、やがて光画に焼きついた思念がコマ送りされる按配で霊媒の首が無造作に振られだした。化粧気は窺えなかったけれど、眠れる青白い容貌には凄みを緩和させる初々しさが時折のぞいているので、それとなく神秘的な魅力に感応してしまう。だが、霊媒の顔立ちに見入っているのはそこまでで、博士の解説通りまず鼻孔から紫煙を逆さにしたような薄靄が吐かれると、今度は半開きの口もとより更にはっきりした野太い白煙が徐々に出現した。

それは特定の形を模索しているというより、不気味ないびつさに惑わされることを希求しているのか、何とも形容し難い白い影になって霊媒の膝下までゆっくり降りていく。

時間が停止しているのだと首肯せしめたのは、反対にアメーバの示すような微細な動きを絶やさない影響によるものであった。この錯覚、どこやらか忍びこんだ微風に揺れるろうそくの灯りも加担し、曲芸にも勝る緊迫を生み出して、誰ともなく発した「女が浮かんでいるぞ」という声とともに観衆の注目をあびた。

確かに椅子の足は床を離れ、眼には見えないがほどよくふくらんだ風船を下敷きにした要領で微妙な均衡を保っている。左右に傾斜する浮力は不安を喚起しそうでいてその実、得体の知れない歓声を人々のこころにあげさせた。

その時を告げるよう場内の空気は鼓動を反響させ、耳鳴りに同調した鳥のさえずりが駆け巡れば、はたしてこれらの現象は博士の言ったものか、慄然とするところだけれど、奇矯なふるまいの裏には妙なる調べが鳴り続いているとも感じられ、見物の領分から解き放たれたまなざしは恍惚とした境をさまよっていた。夜の奥底は静まりかえり、いよいよ降霊の際にさしかかった。

L博士にとって若気の至りであったとは辛辣かも知れないが、この声さえ放たれなかったら、おそらく後々の評価は別の局面に達していたと思われる。手順にせよ講釈はひかえるべきだった。

「ご覧のように、これがエクトプラズムなるものです。決してまやかしなどではありません。さあ、そこのお嬢さん、いかかですか、怖くはないでしょう。心霊と申しましてもこれは電波やガスと同じく、物質であることには相違ないのです」

浮遊した霊媒と並び満足気な笑みをつくりだしていた博士には、背後から飛び出してきた闖入者を阻止することが出来なかった。突然の事態を演じた側には算段があったのだろう、つまり人体よりも未知なる物質をつかみ取りたかったわけである。正面からの目撃談によれば、一瞬のことだったので女性の胸もとに手をすり入れたと見えたらしい。

博士の忠告に間違いはなく、無垢なる霊媒はたちまち苦悶の表情で椅子からすり落ちてしまった。

公正な実験を無視した輩の両手にあるべきものはなく、怒りも悲しみもまだあらわにしていない博士は、床に力なく横たわった女性を気遣うより先に、呆気にとられた目つきで自分を見返している闖入者の顔をまじまじと眺めていた。

凍りついた形相へと移りゆく間に場内は騒然となり、我にかえった博士が霊媒に歩みよったところ、一段とざわめきが強まった。無理もない、ぐったりした霊媒の口からはあの物質の残滓が見て取れたのだが、混乱を回避させるため、場内に明々と灯しを戻したせいで、それは生々しい反吐でしかないことがわかった。

L博士は「大丈夫か、すまない、すまない、、、」と連呼していたが、何故かしら霊媒の顔を直視出来なかった。

ゆえに辺りへ散らばった花びらの不思議を知り得たのは後日、人づてであった。

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