美の特攻隊

てのひら小説

伴走

その話しならこの頃そういう気分じゃないから今度ゆっくりね。

それはそうと、あんたこのまえ訊いてたでしょ、ものごころのうちではけっこう鮮明な方だと思うんだけど、犬の名前はたしかペロだったわ。あたし保育園にも行ってない時分だったし、あんたはまだヨチヨチ歩きで覚えてないのは当然かも、籘のかごに丸まっていたの、ほんと生まれたてって感じがした。

お父さんもお母さんもすごく若くて、ずっとそうよ、いつ思い返しても写真に収まっているみたいにその姿は変わらない。あたしら姉妹はあのときの両親より歳をとったっていうのに。

台所の土間だったのも記憶している、でも部屋の隅がなんかぼやけていて、子犬を中心にして魚眼レンズっていうの、あんなふうにまわりが歪んでしかも妙に明るくてはっきりしないのよ。

あとから知ったけどあの時代はスピッツが流行ったらしいの、どこかでもらってきてさ、結局あたしが可愛がるどころか邪険にしてしまってもとの飼い主のところに戻ったんだけど、そのへん都合いいわね自分ではあまり思い出せないもん、犬が勝手に吠えたのか、叱りつけたから吠えていたのか、とにかく折り合いが悪いっていうか、あんまりうるさいから近所にも迷惑ってことで成犬になって間もなく家からいなくなった。

えっ、あんたの反応、ごめんさっぱり覚えてないわ。こないだお母さんにも尋ねてみたらやっぱり全然で、犬を飼ってたこともあやふやだった。

あたしのほうがいざペロにいなくなられてみると、そうあの日の心苦しさは忘れてない、お父さんから、「夕方ペロを取りにくるぞ」って淡々とした声で言われたとき、どうしよう、今さら遅いけどそんなの嫌で、かなり悲しくなってしまい出来るなら連れてかないで欲しいなんて念じたのよ。

身勝手ね、それからしばらくはペロが繋がれていた場所を見れなかったけど、妙なもので気がつくとそこをぼんやりと眺めていたわ。罪悪感に苛まれるほど痛切じゃなかった、ただ喉から胸にかけて息苦しいような、なにかが詰まっている感じがして、あそこの土間には扉がなかったでしょ、だから外の青空が澄んでいるのが逆にくすんでしまって、しっくりこなかった。

知らないわよね、あんたにはうろ覚えでしかないから。なに、違うの犬のことじゃないって、早とちりじゃないわよ、昔飼ってた動物なんていうからあたしはてっきりペロだと思うじゃない。

もしもしちゃんと聞いてる、聞いてたんだったら早く訂正してよ、姉さん違うって、汚点になったあの気持ちは忘れた頃ふっとよぎったりしてたけど、こうして語るのってはじめてだったかも、悲しくなっちゃうじゃない。ひとが悪いわねまったく、途中で気づいてたんでしょう、で、犬じゃなければなんなの。

はあっ、ひよこ、それならあんたも一緒に遊んでいたから忘れてないはずよ。うん、そうねえ、何回も飼ったわね。大概は縁日で売られていたのを可愛さのままあとさき考えずにって調子だった、カラーひよこなんてのもいて、赤や緑のスプレーで吹きつけられていたの。

そんなのも買ってきてはすぐに死なしてしまうのをくり返した。懲りないっていうか、ほとんど玩具との区別がなかったのよ、きっと。

寒さに弱かった、段ボールに綿とか敷いて一応温かくしたつもりだったけど、次の日には生きてなかったもんね。だから春先からじゃないと飼えないって、おばあちゃんにも教えられたんだった。

いたいた、長生きのひよこ、あんたも覚えてる、あたしもよく覚えているわ。いや、一羽じゃなくて二羽だったよ、そのことなの、それで名前を思い出せないって、えっ違うの、ちゃんとにわとりに成長して一年以上は生きてたわ、だってお父さんに頼んで鳥小屋作ってもらったじゃない、ふんの始末は毎日自分らでするって条件つきで。

名前でなければなにを訊きたいの、あたしは小さいほうを子、大きいほうを親って名づけてた、別に親子でなくて飼う時期がずれてただけで、あんたもそう呼んでなかったっけ。

じれったいわね、あの二羽がどうしたっていうのよ、あっ、そうなの、あのことか、そうねえ目をつむると浮かんできそう、あれは真夜中だった。

時々おばあちゃん取り憑かれたふうに夢みてうなされてた、あたしら二階の部屋で寝てたけど、下から聞こえてくるうなり声って怖かったわね、ほらおばあちゃん仏壇の横に布団敷いていたじゃない、昼間でも薄暗い奥の間なのに夜更けなんか耳にしたらほんといくら生きてるひとの呼吸だとわかっていても、どこか別のところから地鳴りみたいに響いてくるようで、お母さんに「うなされてるから起こしてあげなさい」なんて言われても気味が悪く階段降りながら近づいて行くのも勇気いったし、急に甲高く引きつったりするから増々怖じ気づいてしまって、肩をゆすって目を覚ますまで全身寒気がしたもの。

でもあの夜は違った。微かに伝わってくるのはひよこの鳴き声だったのよ。隣の部屋に二羽を入れた段ボール置いてあったじゃない、障子越しによく分かったのだと思うわ、おばあちゃんは多少寝ぼけていただろうけど異変を報せてくれた。あたしびっくりした、親のほうが横ばいになって苦しそうに足をばたつかせていて、子が一生懸命それを教えているの。

がむしゃらに泣き叫んでてこれは家のものに訴えているんだなってすぐに情況がのみこめた、あのときがおそらくはじめてよ、自分が消えてしまい目のまえだけに感情がわきたっているって感じたのは。

あたしが動揺しているんじゃない、この二羽のひよこらが感情を発していて自分の気なんかそこになかった。もうじきに夏を迎える季節だったし、これまでみたいにすぐに凍死してしまわずすくすく育っていて親はもうとさかも目立ってきて毛も白かった。これから普通に成長するんだなって漠然と考えてただけだから、自然に逆らっているわけでもなかったろうがこんなの理不尽だ、当時はそんな言葉知らなかったけど、そんな意識が伴走のようについてきてようやくあわてたのよ。

お父さんにも起きてきて見てもらったじゃない、あんたも二階の手すりから目をこすりながら様子をうかがってたわ、なるほど、あの光景なの、ひよこのこと次の日に心配そうな顔して「どうなったの、もう鳴かないの」って言ってたもんね。

説明しても症状とかわたしも分からないし、なんて答えたのか記憶にないけど、親はくちばしがねばついてなんか透明なゼリーでも食べたあとみたいだった。にわとりに詳しいっていうか素早く対処方法を伝授してくれたおじさんが近所にいてね、あたしよく覚えてる、「これはよくある病気でニンニクの粉を水で溶いて飲ませてやればいい」って話していたのよ。特に感心しなかったけど、それで治ってくれるならいいって祈ってた。

だってあの時分はあたしらも胃腸の具合がよくないとアロエの葉を噛まされたり、火傷したらユキノシタの葉を裏庭の湿ったとこからちぎってきて貼られていたじゃない、それでニンニクかって。でもうちの料理では使ってなかった思うの、食べたこともないし実物を見たのは随分大きくなってからよ、なのに不思議と名前があがっただけで納得というか、わかったような気がしたんだから面白いものだわ。そうなのよ、あんたもとても喜んでた、そのニンニクの粉が効果てきめんで一日か二日でよくなったからすごい、あの感動はいまでも生き生きとよみがえってくる。あんたが確認したかったのどうしてだか知らないけど、元気になったのはよかったがそれ以来成長が逆転してしまって、ううん、結局病気は病気だったんで仕方ない、子のほうが早くにわとりになっちゃったのよね。あ、そう、それはちゃんと覚えてるって。

たぶんお父さんも健気なひよこにほだされて鳥小屋まで作ってくれたんだろうね。そうよ、二羽はとてもなかよしだった。学校から帰ってくると小屋から出してあげて裏庭に放してやるのが日課だったわ、でもいつまで続いたのかなあ、にわとりの寿命は案外短かったと思う。雄だし卵も生まなかったしね。気がつけば小屋だけが残されていて、もうひよこを飼うことはなかった。

あたしはよその家の猫とか犬がいいなあって内心思ってたんだけど、ペロの件があるから複雑な気持ちだったわ。そう、あんたも思い出した、おばあちゃんが生き物に一番うるさかったわね、いつかの金魚のときも、でもおばあちゃんだって秋になると決まって鈴虫飼ってたじゃない、あたし、それでこっそりミドリガメ一匹だけもらってきたんだ。

あたしが進学でこのまちを離れてからも何年もうちにいたんだよ、そのあとはあんたのほうが詳しいはず、その通り、水槽から何回も脱走するもんだから、ついに池のある家に放してきたんだわね。

今でも元気かしら、カメは万年っていうじゃない。もしもし、えっ、それでわかったって、なによ、あんたしんみりした声で、はいはい、わかってるわ、また電話して。今度の休みには帰ってくるの、うん、じゃそのときにでも積もる話をしてちょうだい。あっ、反対か、あたしのことね、いいのよ、あまり気にしないで。

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