美の特攻隊

てのひら小説

タンタラスの丘

実際の地であるはずがなく、又かの名勝を模したのでも、あるいは似かよりとも無縁の、ただその名だけがひとり歩きしていたに過ぎないと思う。

どこかで聞きかじった覚えもないところから、感性に疑いを抱く謙虚さは遠のき、自然にわいて出た単なる文字の羅列だと勝手に信頼を寄せてしまった。のちに丘であることが分かったとき、奇妙な符号に微熱がともなっていそうな気がしたけれど、今となってはどうでもいい。

ぼくのタンタラスは丘なんかじゃない。家のちいさな裏庭さ。ぼくはそこにたくさんの死骸を埋葬していた。

縁日で買ってきてすぐに死なしてしまった金魚や、捕獲することだけに専念して飼育を怠ったため、あっけなく動かなくなった蝉とかバッタ、蝶蝶にとんぼ、イモリにカタツムリ、おたまじゃくしやこおろぎ、まだまだあるけど、きりがなくて、思い返すとそこら中が墓だらけだらけだったろうし、何より罪つくりの意識に苛まれるので、唯一逃走して行方をくらませたミドリガメに喝采を送ってから、呪詛の話しへと跳躍しよう。

 

死骸を葬るとき、せいぜいスコップで土を掘り返す程度だったが、その手つきも目つきも儀式めいた心境に凝り固まっていた。はっきり言えば、彼らにうらみつらみを託していたわけなんだ。

こどもこころにしては冷酷な行為だと非難されるだろうけど、ある意味、とても純粋な情念をみなぎらして、この世とあの世の架け橋を夢見たと不埒な考えを小声ではなく、明確な物言いでしておく。

前文には補足が入り用である。そう、きちんと世話をしなかったのは事実だが、えさも与えたし、暇さえあれば様子を見て微笑みをつくっていた。ただ虫かごやバケツのなかに閉じ込めた結果が死期を早めたと悔やんでいる。

当時祖母は畑仕事をしていたので、孫かわいさからか、近所では余り見かけない昆虫をよく持ち帰ってきてくれた。両親も殺生には無頓着だったのだろう、温暖な季節の生き物を自然に解放する意見を口にしたこともなく、あたかも玩具と戯れているぼくに健全なすがたを見いだしていたようにも思える。だから、裏庭には死臭が漂うことがないまま、燦々とした陽光を浴び、新たな埋葬のたびに夜を切り抜いたふうな濃い陰がぼくと並んでいたのだ。

呪詛は単純であるがゆえに効力が発揮されると信じていた。瑣細なことであろうが、意地悪な同級生や口やかましい先生、別に危害を加えられたのでも、叱責を受けたわけのもないのに、見た目が薄気味悪かっただけのときたますれ違う老人など、ぼくは皆の死を願った。

葬儀とは反対の儀式はこじんまりした孤独を受け皿にして、昆虫らに呪詛を吹き込み土中に埋めた。

 

あれはのどかな春の日だった。裏庭には桜の木がつぼみを大事そうに抱え、隣の家の屋根にまで達する枝振りの勢いは攻撃的な緑に色づいていた。

右がわにはハナミズキという苗がすでにぼくの背丈に迫ろうとしていた。聞き慣れない名だったが、祖母が植えたらしく、こう語ったのをよく覚えている。

「この木が花咲く頃にばあちゃんはもういないよ」

桜を愛で感傷を泳がせるすべなど持ち得なかったあの頃、その言葉はずしりとぼくの胸に突き刺さったまま、そうあって欲しくないと、はっきりした願いになり逆巻き続けていた。祖母の面持ちは残念ながら記憶にない。

埋葬儀式を卒業したぼくは虫や金魚ではあきたらず、ひよこを飼っていた。冬場は温熱が不可欠だったので翌日には冷たくなっているという懲りない欲求の末、暖かな季節に飼育しなんとか成長が期待できそうになった。

ところが裏庭に放して遊ばせていたら、トタン塀の上にカラスが一匹とまっており、目にも止まらない早さでくわえられてしまい、あとを追う余裕もなく、視界から消え去ってしまった。

それからぼくは玩具の空気銃でカラスが来るのを待ち続けていた。確か一度だけふてぶてしく現れたことがあり、発砲したが命中せず、たまたま背後で様子を見ていた母親にこっぴどく叱られた。

ひどい矛盾がそこにあるような心持ちがしたけど、それは母親に向けらたのではなく、ぼく自身のどこか空洞に鳴り響いている自覚があった。

しかし、気分におさまりはつかず、裏庭の空を舞うカラスを見かけるたびにホースで水を浴びせかけていた。

悔しさはどこに行ってしまったんだろう。夏休みが終わり、普段とは違った愉快な遊びを含めた日がな一日が、とりとめもなさに埋もれてしまうよう、猫もひよこもほとんど意味をなさなくなっていた。

 

祖母の死に際には間に会わなかった。以前から様態が悪化しているは知らされていたし、連絡の時点で危篤だったから、老衰による大往生だったこともあり、思いのほか悲しみと近づきになれないまま、遺体と向き合った。

ミイラとまではいかないが、やせ細り、筋と骨ばかりが目立つなか、遠く夢見るような閉じた両目に決して出会うことない祖母の妙齢を感じた。生まれてすぐ老婆であったはずがない、当たり前すぎる考えが脅迫観念となって圧迫するうちに、不健康な自分にいたたまれなくなり、裏庭にかけおりた。

冬場だったのでハナミズキは花こそ咲かせてなかったれど、桜と似合いの樹木に見え、祖母の幻影をそこに求めたが、裏庭は少年の時分より狭苦しく感じるだけで日差しも透明すぎた。その反動だろうか、金魚を埋めた辺りがわずかに盛り土されたみたいに映ったのは。丘なんかじゃないさ。

 

葬儀も終わり、家にいた父と従兄弟とで祖母のたんすを壊し始めた。うすら寒い気がしたのだが、黙々と家具を解体する父と無言で従う従兄弟に問いただす熱意もなく、これは風習なのだろう、そうこころに言い聞かせたのだった。

たんすの板は積み上げられ、縄でしばられ、裏庭の隅に時代と関係なく置かれた。