美の特攻隊

てのひら小説

冬化粧

「へびは冬になるとあまり見かけないわね、夏とか家と山の間にあるコンクリート部分にいる。コンクリは涼しいのかなあ、木陰の湿気った土のほうが涼しそう、かなへびみたいなのが多いかな、アオダイショウは何回かみた、マムシはみてない、赤い模様のきれいなのもいた。毒蛇かと思って調べたら毒のないやつだった」

「へえ、調べたのかい」

数矢の声がいつになく急ごしらえの生真面目な調子を帯びていたので、輪花は通りすがりの乳児に向かって目配せするときに似た、あの母親にも同様の気分を分けあたえたい朗らかな衝動にまかせ、

「そうよ、あなたに教えてあげようと思ってね」と、つんと鼻を上げ気味に返答した。

「おいおい、おれがいつ教えてくれなんて言ったんだよ」

「怖いものが好きだって話していたじゃない、幽霊や妖怪よりか自然界に棲息する変わった生き物がって」

「そうだったっけ、お化けの類いが信じられなくなったんだろうね、きっと」

口を開きながらも普段の快活な顔のなかに、薄日が被さったふうな鈍さをあらわにした

しかし太陽は遠い海原にあり、乳白の雲を透かし砂浜を照らしているような擦過するあこがれを香らせている。

輪花は数矢の人見知りしない性格が好ましかったけれど、軽やかな抵抗をしめしているのか、さきほどの口調によって毛嫌いより深い感情をゆっくりと、まるでグラスのなかの液体に沈む紙切れみたいに、浮くことを忘れているまどろみに近い様相で、受け入れつつ目線を通し、どことない焦点に結ばせるのだった。

逆の気質であることより、むしろ数矢に寄り添うかたちで、こころのうちに侵食しそうな悪意を甘酸っぱい情緒に置き替えてしまって、柔らかな感触だけに接する自分を両極から眺めていたかったのだ。

ひとりよがりとは決して呼ばせないところが輪花の持ち味であり、自らもそこに誠意を感じとっていたのだから、数矢の軽快な人当りがあまりに無垢であると見なす場合以外、首筋から肩にかけて不快な緊張を覚えることもなく、やや誇張ある加減の笑いに紛らわせていた。

その無垢である場合なのだが、輪花には明らかに嫉妬の念が生じているのは承知しており、なおかつ相手が女性であれば、むろん不本意な情感を押しつけられているとさえ思いながらも、極めて冷静に容姿を観察するこころがまえを放棄せず、美貌であればあるほどに自分の位置を確認してゆくのである。

「数矢さんにはお似合いだけど、それはあくまでうわべだけ」

落ち着くさきはおおむねそんなふうであり、これは懐が深いというのではなく、情念による情念のための悲喜劇をあらかじめ鑑賞していた結果で、輪花の信念は常に過去形で運ばれていたのであった。

彼女の一年後はもう日記に書かれてしまっているし、五年後は祭典の記憶となってよみがえらせ、さらに十年さきには退色した木目の家具の肌触りを愛でていた。

信念が情愛に連なるのであれば、不確実で曖昧な現在の意識を認めるわけにはいかず、かといって先送りの実りを願うのは打算を解するくらい罪に感じられた。知り合って半年の間、輪花は恋とともに生き、自分と数矢の距離にとらわれていたけれど、性質の隔たりに嘆くほど愚かでないのは清く了解しており、反対に広がりゆく間合いにちから強く踏み込んでは、信念とは異なる足跡を残していった。

ふたりの道行きには降り積もった雪の気配が漂っていたし、ひとりきりのときには幼い頃、石油ストーブのうえで寒気にもの申すやかんの湯気の直線的で、しかも神妙な息づかいを放ち、まだ見ぬ粉雪が舞い降りてくる様を呼び寄せた。

またある日には、そう、ふと深夜に目覚めたとき、世界中が眠りの底に張りついてしまい、必ずしも我が身だけとは考えたくなのだけれども、しじまに促された秒針のオブラートで包まれたふうな鋭角さに耳を突かれながら、外の雨音を緩やかに聞き取った渇いた悦びの上質な感覚が捨てがたくて、自身の感受性に埋没してしまうのだった。

数矢は無駄口も多かったが、そんな一人芝居を懸命に演じているすがたを見逃したりはしない、きっと闊達な気性には似つかわしくないと察しているから、あえて言葉にせず、ありがたみのない笑みなんか浮かべてごまかしてしまって、いきなり手を握りしめたり、抱き寄せたりするのだと、、、

輪花の弱みは唯一ここにあった。四季折々の風景が却って自分の位置を定めてくれているような、あたりまえで律儀で、そのくせどこかしら心もとなく、逆恨みをまねてみる気持ちさえ顔をだし、寒暖のうつろいに敏感に反応するのだった。

隠しきれない部分は領域である。輪花はすぐに衣服を脱がされるのを極力拒んだ。あたかも素肌が冷気に、熱気にさらわれるのを怖れるごとく。

胸の谷間をくだり、なだらかに忍び寄る指先の動きに反応しつつ、最後の一枚が剥がされたゆくのをまさに不安の目で見つめ、ぼんやりした恍惚と入れ違いになる感覚を、いつしか西日射す港で交差する漁船に重ねていた。方や夕陽を背負い、方や残照を待ち受ける格好ですれ違う、時間そのものが海面に波打ち、安定がおごそかに揺らぐひとときを。

下半身に被さった揺れに身をまかせつつ、輪花は数矢の張りつめたものを飲みこんで、影を想い、出航するからだと、寄港するからだを想像してみた。

だが、男の勢いは悲哀さえ表情ににじませながら、激しく燃え上がり、脳裏に映じた北風にさすらうような淡くたゆたう景色を吹き流してしまい、転じてからだの芯に巻き起こった有無を言わさぬ快感につらぬかれ、落陽の赤みは乱れ、全体に全身に波紋となって大きくひろがった。

思考が止まりかけたにもかかわらず、輪花はこれで数矢の情欲を気高い気持ちで許せたと知り、のどからしぼりだすよううめき声をあげ、一瞬たじろいだ相手に今度は自分が許しをこころのなかで乞うてみた。

 

気が遠のきかけたのは曙光のせいに違いない。

真夜中に鳥が巣のなかで壮大な夢を見ている実感を今しみじみ悟り、逃げ去ってゆく信念に再び出会うだろう、そうかみしめるのだった。