美の特攻隊

てのひら小説

赤いまぼろし

そういえば、最近コタツに当たったことがないわね。いや、去年の今頃だったかな、知り合いの家でほんの申しわけ程度に足の先を入れたっていうのはあったけど、ほら、ぬくぬくと胸元までもぐりこむようなのは相当まえの記憶よ。

第一背丈が違う、子供の時分はそれこそ頭まですっぽりで、赤外線らしき温熱を全身に浴びてたものよ。目が悪くなるから首を出しなさいなんて親に叱られたけど、懲りずに赤く閉ざされた身を慈しんでいた。

大した趣向なんかじゃない、どちらかと言えば馬鹿のひとつおぼえみたいに、とどまることを知らない満ちあふれた時間にどっぷり浸っているような、無邪気に想いを馳せられないまま、結局赤外線にのまれていたのでしょうね。

外の景色が移ろうのと同じで家の中だってこたつの中だって、決して昨日も今日も一緒であるはずもなく、それは寒さをしのいでいるばかりじゃないからで、退屈を覚える間があたえられてない縮こまった空気のよどみがただ新鮮だったの。

で、こないだ夏日の夢を見たんだけども、家中の戸が開けっぱなしにされていたから、今じゃなく、やはり小さな頃だわ。自分の家なのかどうかも分からなかった。似ているとろこはそうだろうし、まったく記憶に跳ね返ってこない部屋や家具に取り囲まれていたんで、どっちでもなかろう、そう思っていた。

ああ、これは目覚めの意識だけど。でもそんなことは問題ではないの、大事なのは真夏らしく、風鈴なんか、ちりりんと涼しげに鳴っているのに、汗ばむどころか、暑さを感じてなかったという事実にあるわけ。

そうでしょう、うたた寝だろうが、疲労困憊だろうが、酔いどれの眠りのだろうが、意識とおさらばしたわけじゃないし、逆に普段見かけない隣人みたいな自分を見届けたり、その気になりきってみたりするんだから安閑なものよ。

でね、痛感にしろ温感にしろ、やはりやって来ない場合が多いの、風鈴の音もいつしか消え去り、書き割りの家に相応しいざわめきやら、反対にひっそりしたものやらが耳を通過していく。

聞き覚えがあるからそれなりに納得していると思う、蝉らしき怪鳥であっても、花火をまねた鬼火であっても、金魚売りに化けた殺し屋であろうが一向にかまわないよ。

風情に埋没している余裕がないのはこっちでも同じでしょう、なら団子状になったつみれ汁を味わうときの気分だわ、コタツの中でまるまっていた洟垂れ娘は夏を夢見ていたのかも知れない。

そこでね、夕飯の時間がやってきた。むろん夏の陽は長いから夕刻でもまだ浮き浮きするくらい明るみにほだされていて、早く飯を食べて外に飛び出したい気分なんだ。

ええ、間違いなくあの金網のざるは見覚えがあったわ。銀色で新品のときはピカピカ輝いていたんだろうけど、水垢とかで鈍い色合いになっていたざる、それにそうめんがたんまり盛られているの。

一家四人、水切りを兼ねたざるに箸をのばすって寸法で、こう言うとおおげさなようだが、あの光景こそ夏の夕暮れに現れ出た白い幻影で、しかも、そうめんだけだといけないからご飯も食べときなさいって言いつけまで、そっくりそのまま立ち戻ってきた。

今からふり返れば炭水化物ばかりなんだけどね、ラーメンライスとか、お好み焼きにご飯とかよりシンプルで、そうでしょうが、ラーメンには具あるしスープとして単品なりの味わいがあり、お好み焼きにいたっては肉に卵に野菜だから、断然比べてはならない、それに色合いや香りだって別ものだよね。

白い夏が幻影たる所以は、そうめんライスによる涼感で刹那に流れ去った味気なさにあるような気がする。誰かが言ってたよ、一束に数本だけ色つきの麺がまるでご褒美のごとくあって、兄弟で取り合いしたんだとさ、まったくしみじみくる話しだわ。どぎつい色ではなかったかな、そう感じただけか、淡い桃色に黄色、淡くもなかったか、しばらく色つきそうめん食べてないからね。今度確認しておく。

冬より夏がカラフルなのは太陽や海や草花のせいとは限らない、蒸し暑くてまさしくそうめんまみれでもよかろうはずなのに、色鮮やかなんだよね。

そうですとも、色気も盛んだった、女は肌の露出が高まるし、男は下着でその辺をうろつきまわり、落とし物を拾うような面持ちで目をぎらつかせていたから。

あんな視線が日本中に飛び交い、増々肌はあらわになって小麦色に染まるし、悪意も敵意も混ぜこぜにしてしまい仕方なくなんて、不埒な思惑を隠しきる野暮は言いっこなしで、派手なパンツなんかちらりと見せたりすると、大喜びしてたんだから、やはりカラフルなんだろうね。ビー玉だって透ける色を無造作に見せてくれてたじゃない。

白いパンツにこだわる輩もいることはいる、そうめんライスで食を満たしてからでも遅くないよ。いいえ、これは皮肉なんかでなくて、反作用としてなおさら白い幻影を追い求められ幸せだってことよ。とすれば、さしづめコタツは赤い幻影だ。よくぞ寒空のした、すきま風を遮断する心意気でちいさな太陽を演じてくれた、あっぱれだなあ。

曇り空からは白い粉雪、正月には餅つき、白髪のばあさんが梅干しをひとつまみ。隣の子供が窓の外に幽霊を見たと騒いでいた。で、夢はその後かき氷に向かうの。

あの頼りなさそうで、その癖みずみずしい空色をしたプラスチックのスプーン、奮発したのか、パインやらマンゴーやらイチゴやらが乗っかったのをうれしそうに口に運んでいる。しかし、ちっとも冷たくない、さっき言い忘れたけど、そうめんもこれといった舌触りがなかった。

いつかライスカレーをもぐもぐ食べながら、まったく異質の味覚に驚いたことがあってね、そんなものよ、夢の味わいなんて。そもそも向こうに食感を求めるじたい間違っているし、強欲だよ。

強欲ついでにコタツのなかで耽っていたのは事実だから、去年あまり深々と足をのばせなかったなんて言うと、またぞろ深読みしすぎなんてそしりを受けそうで萎縮してしまうけど、乏しい想像力を赤く光らせたのは、コタツそのものより、これも思い出の彼方にあるのだろうけどもね。

コタツで寝ると風邪ひくというのは布団が短いからだと思っていた。だからベッドから上掛けと毛布を引っぱがして掛けてみたんだ。予想してたより暑苦しくて、あのときも夏の情景が夢にひろがったんじゃないのかな。