美の特攻隊

てのひら小説

ハードコアの夜

夕陽が染み込んだ感じはしなくもなかったけれど、この部屋とは無縁に、仕切られ、引かれた、ぞんざいな有り様だけでもカーテンは十分な役割を果たしていた。

外のネオンに織物の柔らかさで呼応しているのでもない、あえて言うなら、これから交わろうとしている男女の裸身から発する、吐息や汗のなかに極々微量に含まれよう血の色彩をカメラは的確にとらえ、編集のない予告編を生み出そうとしていた。その背景としての赤みであった。

すでにふたりは上衣を脱ぎすて、見つめ合いが横滑りしていくようからだは下着一枚で密になっている。

ときめきさえ無様に投げやった口内の熱が互いの唇や舌先に伝わって、見苦しいほど濃厚なキスとともにベッドに倒れこんだ。いったん離れた男の口許にはあんかけみたいなとろみのある唾液がまとわりつき、何故かとっさに顔を伏せた女の顔をわがものにする為、ちからまかせに振り向かせたのだが、驚いたことに情欲の炎を宿らせていたその目からは、そぐわない大粒の涙が今にもこぼれ落ちそうだったので、一瞬気高い歓びに包まれかけたのだが、涙をためた瞳の奥からやってくる冷たい輝きに説得されてしまい、それまでの熱気が上昇して、言うもやまれず驟雨になる情景とは縁遠く思われ、気分は萎えてしまうのだった。

「よしそのまま続けていこう」

監督の声は低く頼もしい。そしておもむろに近寄ると、

「もっとしょげた表情をしろ、無粋なくらいにな」

それだけ言ってからさっと元の位置まで引き返した。

女の目を執拗に見つめたカメラに促され、ついには嗚咽をもらし始めた。

「泣いてばかりじゃわからない、いったいどうしたっていうんだ」

男の台詞は台本に忠実であり、なおかつ監督の意匠を汲み取っている。

「おまえは筋書きを考えなくていい」それで正しいのだ。

ここでカットされ、女の両目に大量の目薬を含ませてから、演技が再開された。

「どうしたもこうしたもないわ、最初から、部屋に入るまえからあんたの非常口は開いていたのよ、あたしおかしくて、おかしくて、、、」

女はあざとく「ひっひっひ」と声にし、涙を抑えようとはしない。

男は不意に宣告を下されたときのごとく情況を素直に受け止めはしたものの、片意地からくる敵意によってその響きを嬌笑とみなし、大仰な照れくささを肩で揺さぶり、仲間はずれにされた子供の心許なげな胸中を眉間にまで押し上げた。うっすらと曇ったその表情を女は待ち構えていたふうに、

「頬張ってあげようか」と薄笑いのまま男の堅物に手をさしのべた。

「いいじゃない遠慮しないの、恥ずかしくなんかない、おかしいだけよ」

「だれが」

「あんた」

「お花さん」

「カット、カット」今度の語気は荒い。

「だめじゃないか、萎れているぞ。ここは心境とはうらはらにだな、屹立してなくちゃいけないんだ。お花さん、きみはいいよ。問題のそこのでくの坊だ。棒はあくまで形に過ぎんけどな、ちゃんとした色欲は根っこにぶら下がっているもんだ。簡単に言えばだよ、少々古くさいが精神主義で邁進しなくちゃならん。大体が、すぐにおっ立つって評判だから新規採用したんだぞ」

監督の勢いに圧されながらも言い訳自体が闘志のみなもとであるかのように男は、

「はい、すぐ立ちます」と勢いよく応えてみせた。

 

掘野万吉25歳、大学の演劇部に加わったまではありきたりの青春だったけれど、意気投合したひとりの学友と奮起一発、中退して結成したお笑いコンビがどうした弾みか時勢を盛んに駆け抜け、あれよあれよという間にテレビラジオで好評を博し、風采も上がり寝る時間を削る日々も今となっては信じがたい。

コンビの名が「賃ボーボーズ」という際どさだった為だろうか、相方の麦秋、京都出身の意気の見せどころと巡業の際こともあろうに金閣寺の庭内で全裸になってひとさわぎ、取り囲んだ野次馬や警備員に向かって、

「どなたかはんか、金隠し持ってきてくれなはれ」

と、頭痛を催さんばかりのベタなおちで周囲は沈黙を呼んでしまい本人の思惑は世態に相反して、情報社会の凄みをまざまざと知らされる体たらく、折しもファンによって撮影された動画は格好の話題提供に、若気の至りで済まされないと気づいてみたときすでに遅く、苦難を共にしたふたりは解散余儀なくされ、謹慎期間を耐え忍んだ万吉、所属事務所の計らいもあって独り立ちを目指したものの、もとより麦秋あっての笑い取りであったことを再確認するに過ぎず、鳴かず飛ばずの日々は流れゆき、縁故をたどって着いたさきがAV男優という名ばかりは人口に膾炙したなりわい、半ばやけくそ気分を傍観していたのはどこのだれより我が身に相違なしで、曲がりなりにもオーディションを受け、万年 の芸当を披露、鍋焼きうどんを食べてる最中やら、知恵の輪を手にしてやら、大声で歌唱しながら、果ては逆立ちしながら、腕立て伏せしながら、とどめはヌンチャクしながらと、およそ性欲をかき立てない情況下で無為な膨張を試みてきたけれど、いざ本番となれば緊張の神さまは決して見捨てず、余計な世話だとこぼしてみても、とば口ではや蹉跌をきたして憤懣やるかたない。

「長くやる仕事じゃないけど、やってればそれなりに声はかかるから潮時が見えないっていうが本当のところかな」

初日から薫陶とも叱責ともつかない妙な理屈を監督より含められた万吉をいたわるつもりであろうか、お花は「筋なんてないのよ、あたしらはやるだけ。まあ、どうやるかってくらいは意識するけどね」

投げやりだが、きちんと語尾を正したふうなもの言いをしてくる。

一回分の撮影が済み、打ち合わせを終えてからお花は新人男優の肩をたたき遅い夕飯に誘った。

監督から明日に備えておくよう釘をさされていたのが、早く帰って寝てしまえ程度に聞こえなかったと共感を覚え、深夜をとうにまわった時刻を確かめるたびに、まるで家出少女みたいな反抗心が芽生えて、撮影まえにけっこう食べ応えのある弁当を支給され空腹まで感じてなかったけれど、祝杯の意味合いもこめて駅はずれにひっそり赤提灯を下げている屋台に陣取っていたのである。

「ええ、そうですね。筋書きは考えなくていい、自分に言い聞かせてます」

万吉は年長であり斯界の美形女優に対し、こころから言葉を発した。

「まあ飲もうよ。ホルノくん」

「はい、日勝お花さんと共演ですもんね」

「なに言ってるの」

しなだれたついでにふっと息が万吉の首筋をかすめると、無性にうれしさがこみ上げてきて自分の名字はホリノというのだけど、そう微かに胸の片隅で反論してみた。

お花の吐息に吹き流される心地よさとして。

杯を重ねるうちに万吉は相当酔いがまわっているのを覚え、幾度も半身を傾けてくるお花に淡い恋情を感じてしまい、目の焦点が合わなくなったのを好都合に先ほどまで演じていた交わりをじっくり、ちょうど地図をたどることに似せ、落ち度なくつぶさに絵柄と空間を一致させるよう努めた。

すぐ隣に座している女体のすべてを知り尽くしているという感覚は優先され、難なく道のりを誤らず目的地に到着できた実感をさずかった気がした。

お花の乳房から脇腹を這った舌の味わいがよみがえる。仕方なく唾液をこぼしながらではあったけど、濃密な唇の応酬はこの熱燗よりはるかに酩酊をもたらすだろう。手のひらに残された生々しい肉感はそう簡単には消えてしまわない。そして目に焼きついた女陰の湿りが茂みに隠されるとき、自らの股間も闇に包まれ、見つめた横顔から香る花園の匂いが脳裡に散乱するのだった。

果てたとき、地図は焦点を結ばせず、それは今ここで想い返してみても同じであり、思念は遠くに運ばれてしまっている。

万吉は部屋のカーテンに目を向け続けていたことを知り、はっとしてお花の顔を、今度は地図でも絵柄でもなく瞬きする瞳を見つめていた。

「ホルノくん、明日は楽しみ」

問いかけなのだろうか。それとも自分がこのひとに言わせてみたのか。都会の夜空に星はきらめかない。しかし、勝手に返答がついて出た。

「ええ、とても。でも今も素敵です。ぼくがあなたを知っているんじゃない、あなたがぼくを知っているんですね」

「そうなの、ではそうしときましょう。夢みたいだわね」

「ぼくは眠っているのですか」

「馬鹿ねえ」

女は男の手をしっかりつかんだ。