美の特攻隊

てのひら小説

粉雪

もう学校は冬の休みです。

開けっ放しにされた向こうから日差しが照りつけてくる夏休みの始まりと違って、年の瀬とともに訪れるひかりはどこかしら蕭条とした息づかいをしています。

クリスマスや正月を控えながらあえて華やぎを抑制しているふうに感じてしまうのは、そんな厳かな気配に触れているからでしょう。

寒風に描き出される町並みは霊妙な皮膜で被われています。目線も軽く吹き流されているようで、年越しに向かう時間を停滞させているのです。

はっきりとした理由はわかりませんが、厳粛な感覚は子供の特権とも言えますから、北風に運ばれているものが静かに横切っていくのを感じ、何気ない引き戸の開け閉めが単に防寒だけでなく、その手をふと止めると、穏やかに家のなかへと注がれるひかりが日だまりを作りだしているのを見つめてしまうので、やはり夏の到来とは趣きが異なっていたのでした。

暖房も今ほど行き届いていなかった部屋には、純度の損なわれない外気が冷然と忍びこみますが、しかし隙間風だといさめる敵愾心を抱いたりせずに、むしろ冬の精霊が舞い込み混濁した意識に働きかけてくれている、そんな思いに肌寒さは協調していたものです。

家の佇まいも同じく、乾燥しきってほんの少し指先を触れただけでささくれ立ってしまいそうな板塀、その下を伝う水気の消えた溝に安住してしまった土砂、小さな旋風に巻き上げられた枯れ葉をやんわり拒否する窓ガラス、ときおり反射を見せながらも障子に染み込んでゆくことを黙している縁側の光景、また庭先から飛び出した細い木枝は絡まりあって冬空の青みに挑んでいるようですが、精一杯ひろがった茨の様相ながらそれほど邪心はなく、平行に張られた電線へ遊戯を呼びかけているふうに映ります。

そうしますと、瓦屋根の位置もいつもとはわずかにずれている気がして、家屋全体が不思議なちからで鎮めらているよう感じてしまうのでした。

子供は風の子。確かに普段は放映されない年忘れ劇場とか古い映画を、こたつに肩まですっぽりもぐりこんで観ているのもゆったりした楽しさがあるのですけど、特別興味をそそられる番組がない限り、冬至を境にする季節に従っていれば、あっと言う間に日暮れてしまいあとは大人しくしてなくてはないりせんから、なるだけ外で遊んでいたかったのです。

ことに絹子がこの家へやってきてから静夫の胸中はふわふわと浮いていたわけですから。

記憶の根拠を手探りで当てていくのは難しいもの、それは当時の思いが一途であれ複雑であれ、浮遊する情感はときの波間を泳いだり漂ったりしていますので、海図みたいに明確な標を宛てがうことは無理なのでした。ちっぽけなこころだって深い海をたたえています。些細な悲しみだろうが涙を枯らすのは子供にとって不健康、だからこそ技量があやふやであろうと夜の水は汲めども尽きないのでしょう。

 

その日の遊びは凧あげです。近所の駄菓子屋で売られていたまったくの玩具でしたが、一応空へ上げることは可能です。静夫の上級生のなかには竹ひごを削り上等な凧を手作りする子もいましたけど、まだまだそんな芸当には及びません。それにこの界隈には広場がなく精々半径五十メートルが行動範囲であったことも手伝って、北風の強く吹く日くらいしかこの遊びをしませんでした。それくらい気まぐれだったのです。

近くに住む同級生を誘って向かったのは家からそう遠くもないところに最近出来た空き地で、道路に面していながら金網などの仕切りもなく、奥まった場所に横一列で新しい民家が建てられているだけの割と広い分譲地でした。

誰の姿もないのを確認するとそれまで覚束なかった気分が一変に研ぎ澄まされ、まさに熱中へとすべりこんでいきます。それは忘我に違いありません。行動半径も狭くて感情の発露も単一で身に背負うしがらみなども持ち合わせていないのです。憂さ晴らしや気分転換といった不機嫌な現実からの逃避でも逸脱でもなく、あくまで純粋な遊戯への没頭でした。故に時間は速度を上げていたのかも知れません。

電線に当たらないよう気をつけているだけで、予備に用意しておいた凧糸を継ぎ足し上空への飛翔に一心を捧げます。

二色刷りの漫画が書かれた安物の凧だって以外と風にあおられるものです。後年、静夫は空を見上げている場面こそ違えど、海釣りに感じる無心をスライドのように重ね合わせては懐かしがるのでした。

ふたつの凧はそれぞれの高度を保ち、風の事情になびき、冬空にしては雲の目立たない天を満喫しています。まるでこのからだも一緒に舞い上がったかの錯覚も夢心地によぎりました。

糸を操る手先に神経は通っておらず、そこに備わっているのは分離した魔法の調べでした。寒空であることを覚えつつも身を震わせる情況は刷新され、眼の奥に棲みついた陽気な魔物が天高く昇りつこうと快適な焦りをあらわにしています。

凧は直線に結ばれて固定したかと思えば、斜めに降下したり、とりとめのない動きを演じてみたり、もう完全に静夫の手もとから自由になって大空を駆け、ひとつの生命を得てしまったような実感へと導かれてゆくのでした。凧の自在は静夫の歓喜を剥奪し、静夫のこころは凧に翻弄されてはいましたが、この被虐趣味こそ制御の利いた華やぎだったのです。上昇は遠方への冒険であると同時に、決して足場を喪失させはしない沈滞とも言えるでしょう。

静夫の無邪気な時間はこれまた子供の純正によって打ち破られました。

「糸が切れちゃったよう」

同級生の凧はどうやら実際に自立してしまったみたいで、これで遊びが終わるのは瞭然でした。静夫は残念だねと、取ってつけたなぐさめを口にした途端みるみる間に興ざめしていくのが分かりました。

北風の勢いも増し頬を凍らせてるいるのが不快なのかどうかも感じとれないまま、地面の石ころを眺めています。沈黙は失意を消去させる為に耳にするものが隔てられていたのですが、やや間を置いて「そうだ、おばあちゃんとこに行こう」不意にそう言い放った声は同級生の面持ちは晴れやかでした。

静夫は咄嗟に彼がお小遣いをもらいに訪ねるのだと察し、それでまた新しい凧を買うつもりなんだ、自分まで一緒することはない、もう帰ろうと渋面をつくってみたのですが、寒さを覚えない鈍感さは別な意味で共通であるらしく、とうとう屈託ない同級生の笑顔に誘われるまま小走りであとを着いて行きました。

目指す先は静夫の家のまえを通り越しますから、帰途につくような感じも半分残っていて、何ともいえない不甲斐なさがこみ上がってきます。でも追従の足を止めることないままにちらりとだけ家の様子をうかがったのです。するともっとも罰の悪い場面がちょうど立て看板のように静夫を待ち受けていました。

玄関の戸を顔だけのぞかせる具合で佇んでいる絹子に会ったのです。偶然なのでしょう、そして絹子はこれから出かける素振りもなく、ただ無為な手つきで戸を開けているのが嫌というほど理解されるのでした。

静夫のこころは空騒ぎを始めてしまいました。ほんの一瞬の光景だったにもかかわらず、同級生の背を追う意識は放擲され、さっきまでのいい加減な片意地も粉砕してしまい、凧に賭けた無垢だけが残像となってまぶたの裏にちらついています。

もっと足早に逃げ出したい強迫的な思惑も、整合性をはらんでいるかと頷いてしまいそうな丁重さでまとわりつくのです。静夫はいつかの乱れ髪をした絹子の夢へ思い馳せていました。封印された幽鬼にふたたび襲われてしまったようで、こうして駆けている息の冷たさがしみじみ感じます。あたまのなかを巡るのは「絹子も凧あげに連れてこればよかった」という後悔にほかなりませんでしたけど、その奥にはまた別種の思惑が影をひそめている予感が擦ってゆきました。

 

子供の足は速いものです。同級生が目的の家屋へ消え、冷気に取り囲まれた静夫でしたが、いざ見知らぬ門前にひとり立ちすくんでみれば、鬼ごっこみたいな駆けっこにとらわれていた、いえ、熱中していた自分の影が不動に思えてきました。

「何を恥ずかしがっているんだろう」

静夫の胸に微かに響いてくるものがあります。それは遥か彼方のようで案外近くにも聞こえます。毎年おさない従兄弟が遊びに来て、カルタやゲームをするのが恒例です。正月は絹子も一緒でしょう。

厳かな冬の空は静夫の頬を冷たく差します。時間がゆったりと流れていると感じてしまうのはすべてが凍えているから、そう考えたりしました。

白い花びらがぽつりぽつりまわりに浮かんでいます。粉雪はためらい勝ちなやわらかさで落ちてくるのでした。

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