美の特攻隊

てのひら小説

タイムマシンにお願い〜10

もちろん心底願ったのは、未分化な心模様であり、郷愁に彩られた淡くせつない、鏡面のかがやきに違いなかった。それなのに、この有り様はあまりに強烈すぎてとてもじゃないが平静でいられはしない。

身から出た錆とはいえ、弱さが前面に露呈し、むしろ急な訃報を耳にした際や、狂恋にもがく動悸に苛まれていた。

宿に難なく落ち着いた現実からすれば、意識の流れは時間軸に忠実でも、また支配下におかれている状態でもなくて、まさに混沌としたひとつの見苦しさに過ぎなかったのだ。

醜悪の理由はそれだけではない、ちょうど囚われの身が知らず知らずにうちに敵方を過大評価してしまうように、堕ちた人間の臭気はとことんおのれを峻別し、最期までなんらかの芳香を望んでしまうのだろう。

冷気がいかにも脱臭を担ってくれ、転じては不遜なぬくもりを夢みる。

自分はまさしく刻印を欲していた。少年という無垢なまぼろしに美しい輪郭をあたえるために。

見覚えのある写真のほうが実際に情景を目の当たりにしたときよりも、こころときめくことがある。たとえうら覚えにせよ、記憶の浸透は空間的な実質を求めていないのかも知れない。今の心境がまさにそれであった。

宿の部屋は薄暗く、また二階の窓から眺めた夜景も時代に同調しているのか、盛り場の灯りにまとわりつく漆黒に被われている。

闇は地を這い、枯葉の想いを糧に街路樹は夜気に溶けこむ。冒険心に満ちていたはずのつい数時間まえがすでに眠りを誘っているわけでもあるまい。自分は時間に信頼を寄せ過ぎてしまったのだ。色あせた写真を持ち歩きながら、歴史探訪する行為となんら異なるものはない。浮ついた葉が微風に吹き流されるように、そこに新鮮な発見を得ることが出来なかった。

夕食と酒の味さえ味気なく感じてしまう。夜の町並みを見物する意気もあがってこない。理由はわかりかけていた。いや、すでに記憶の底から飛び出したくてうずうずしていたのだ。

自分は一刻も早く少年時代そのものに出会いたく、それは最初から瞭然としていたからで、ようはNさん宅と生家は歩いて数分の距離であり、三日間という旅程はとってつけた言い草でしかなかった。

確かに当時の風景に接する期待も抱いていたけれど、逢い引きにとって物見遊山が徒爾であるごとく、また詰めれば欲情に婉曲なもの言いが邪魔であるように、自分は時間に裁断されていた。

そう、意識の扉は重い封印をこじ開け、遡行とともに一気になだれ込んで、この実験自体を根底から揺るがし始めたのだった。

肉欲が衝動的であり、果てたあとに一抹の虚しさを残す様相と似て、あたかも三日三晩の情交に意義をすりつけたのは粉飾以外のなにものでもあろうはずがない。

Nさんより電話があった時点で自分のなかに眠っていた火種と小競り合いを開始し、周到な計画を練ったつもりでいたのだが、そうした細々しさの奥にこれまで流れてきた人生のひとこまひとこまが無造作に、あるいは序列に従って、きらめきを解き放ち出していたのである。

楽しかった想い出も辛かった時期も、意味を忘れかけた時代も、みんな自分のすべてなのだ。

虚偽、そう呼んでさしつかえないだろう、素晴らしい映画がたかだか二時間程度で終決してしまうように、焦慮に追われた素振りにまかせた準備は、ちょうど物語制作の現場であり、最終的には虚構をもって実を成すなどと、大義名分を胸に言い聞かせ、ある決断を余儀なくされている自身を𠮟咤し、それでも拉致があきそうもないので、畳に大の字で仰向けになった。

 

 

 

 

★原稿消失のアクシデントにより連載の日にちが経ってしまいました。

 過去作品はこちらでございます。

 

タイムマシンにお願い~9

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タイムマシンにお願い~8

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タイムマシンにお願い~7

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タイムマシンにお願い~6

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タイムマシンにお願い~5

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タイムマシンにお願い~4

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タイムマシンにお願い~3

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タイムマシンにお願い~2

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タイムマシンにお願い~1

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