美の特攻隊

てのひら小説

タイムマシンにお願い~12

石油ストーブの温もりは店内を満たしているものの、足許にだけでなく、首筋まで寒気がしのび寄っている。

すきま風が訪ねてくるのだろうか。

でも、その分だけ湯気のかすみは味覚とは別種の、飢餓感にも似た切なさをうらはらに醸し出し、胸が熱くなった。中華そばをしみじみ食しながらも、意識の大半はもっぱら遠景を描写しているのだ。

ほろ酔い加減も手伝っているに違いない、昔ながらの味わいは舌さきだけにとどまらず、限りなく遠い存在を慕い続けている。

ふと我にかえったときには、悲しくなるほど芝居じみた苦笑を浮かべるしかなかった。

つい今しがた父のまぼろしが目のまえに現れたよう、ことさら意志を持たずとも麺をすする勢いに乗って、想い出は急進的に輪郭を整えはじめ、そう、どうしてここで少年の自分と向き合っていないのかと、歯痒さを通り越し、痛恨ばかりが大きく渦を巻きだしている。

誘拐、、、そんな言葉が脳裏を忌まわしくよぎっていくのを軽くあしらうと、更に笑いはゆがみ、反転した衝動が全身を貫く。

「どうだい、出来たばかりの食堂だからきれいだね。なんでも好きなものを食べなよ。遠慮なんかしなくていい、おじちゃんは親戚なんだから」

もしまわりの誰かが自分を注視していたなら、おそらくろれつのまわってない戯言にしか聞こえなかっただろう。

が、その軽薄な意想は決してかげろうのようにたち消えてしまう憐憫を周囲に投げかけていたわけでなく、むしろ宿命的な濃度で影を形づくり、ある意味邪念は打ち払われていた。

どんぶりの底が見えるのも待ちきれず、ふらふらとよろめく足取りに使命をあたえ、短い旅程であったことにうなずき、時間を超えた一本の赤い糸の連なりだけに夢想をゆだねてみれば、あたかも前世よりの許嫁であるごとく心身は燃え盛り、また反面では稚拙な執着を確信せざるを得ず、再度情念は引き裂かれた。

すでに自分は少年を誘って、食堂の暖簾をくぐり、一緒に中華そばを食べたのだ。

幻影でもかまわない、父の幻像のうしろに隠れていた実体が躍り出たのだ、そう強く言い聞かせ、すでに浸食の深まった意識のなすがまま路上にさまよい出た。

まさに彷徨であった。Nさんの忠告に即しながら、あまりに明確な刻印をもはや手にしてしまっている実情は行く手をさえぎり、甘いロマンに彩られた悲劇の道筋だけが、ミミズ腫れになって血管へ結ばれる。

記憶をめぐる冒険は、現実というありきたりな硬質感を宿した壁によって迷い道をも逼塞され、今まさに明暗を分つ時間のさなかに佇んでいるのだ。

葛藤と云うには辛辣すぎ、躊躇いと呼ぶには驕慢であり、それは一条のひかりがすでに導きを成そうと努めていたからで、あとは寝返りを打つみたいな、無頓着な身体のみがすべてを牛耳るのだった。

自分は知っていた。今日が何曜日で学校は昼過ぎに終わるということを。

裏門の前に建つ文具店の奥まったちいさな庭、ひだまりと言い合ってはしゃがみこんで、地面をほじってみたり、他愛もない仕草を数えきれないくらい繰り返した場所。そこからもっと狭い通路を抜ければ帰路は遊戯に変化した。

今日もきっと少しばかり物憂い表情で少年は寄り道をするだろう。自分はそこに向かってゆっくり歩きだした。

太陽は雲間に隠れ、寒風が薄笑いを作りながら木枯らしを運んでゆくに従って。