美の特攻隊

てのひら小説

冬の花火

今年の冬が過ぎれば、この町からしばらく遠ざかることになる。

結婚してから一年、新婚生活の妙味やらが色褪せるまではいかないにしろ、次第に安定したものへと落ち着いていくのは、成り行きにまかせれば当然なにがしらの陰りを呼び寄せることになってしまう。

否むしろ薄日がもれる下での不明瞭な関わりの方が、お互いをさらけだしてしまうなれ合いをうまく緩和てしてくれるのではないのだろうか、そんな考えがよぎっていった。

健之は専門学校卒業後、とある商社に入社したのだが、最初の二年を地方都市で勤務したあと故郷に配属され、しばらくするうちに地元で今の家内と知り合い、割と短い交際期間だったが躊躇することなく、思い切りよく結婚に踏み切ったのだった。

まだ子宝には恵まれていなかったこともあり、今回の転勤辞令を受けた折も、ところ変われば気も何とやらで新婚生活の雰囲気とはまた違った環境がもたらす恩恵の部分にまず食指が動かされ、日々の過ぎ行きが再び大きく変化を迎えるように思えてきた。

転任先は東京だと告知されており、今までにない大都市への転勤は、様々な思惑を乗せて希望という名を文字通り健之の胸中へ刻み込んだ。

毎日の夕飯のおかずもこれまでみたいに一品のみと云った、手抜きから脱却して(もっとも妻は経済観念からそう工面しているのであろうが)中華街などにもたまには出かけ、外食してみるのもまた豊富な食材から刺激を受けたりし、決して豪華を望んだりしないけれども、幾分か総菜に手間ひまを加えてもらえればなどと、漠然とした想像ではあったが、早くも現在とは異なる家庭があらたに生まれてくるような期待にこころ踊らせた。

今夜出不精な妻を誘って夫婦水入らずで、花火の打ち上げを見物しようと意気込んだのは、確かに正月休みなどには帰省の機会もあるだろうが、この町で開催される祭りは大晦日ということもあり、転勤後の次回はいつになるか知れないと見納めの思いを含み、同時に伴侶である彼女自身にもその様な惜別の意識を感じとってもらえればと願ったからである。

それは旅立つものがいつになく健気な面持ちで、あとにする地に名残を抱きながらも別天地に想いを馳せる、湿気が急激に乾燥してゆくような速度の安楽に、一抹の弁明が必要とされる申し訳なさみたいなものを二人して共感することであり、夜空の上っては花咲き、散ってゆく花火の宿命を間断なき現実と比べ、強く印象づけることで帰り際にでも帰宅後にでも、ある信念の言葉をその余韻に上乗せしたい、そう考えたからであった。

健之のこころは、今の家庭の営みにまだ大きく現れてはないけど、すでに軋みが生じていることを認めなくていた。

それが、妻との性格上の摩擦だけに要約されないことも薄々知っている。

蜜月と呼ばれるこれまでの時間を如何に意識的に健之の側から、想像と演出を用いて享楽出来るよう努めていたか、そうした苦心が打てば響くよう相手のうちに届くのであれば、自ずと必要以上の腐心も、意識を硬直させ腫れ物に触れるような配慮もやがては霧散していっただろう。

しかしこのままでは、展望は開けてきそうにもない。

そこで平たく云えば、ひとつガツンとこれからの夫婦生活のありかた、自分の最低限の要求を理解してもらう為にも、寒さをこらえた詩情と感情が激しく交差するなか転機をと願うのだった。

健之は妻を愛していた、しかし愛憎が表裏一体で顕現する以上、惰性のまま時の推移に委ねるわけにはいかない。

とりかえしのつかない軋轢となる前に、どうしても膝を交えてみなければならなかったのだ。

 

頭上を彩る真冬の花火は終盤にさしかかったが、結局健之はじっくりとそれを鑑賞することなく、終始あたまのなかでは神経系統が火花を散らし続けていた。

妻のほうはどうかと見れば、打ち上げの間ほとんど口数もなく、放心した顔つきで海上に向き合っている。

凍てつくような寒さを互いに忘れあっているのだろうか。

そんな様子に健之は感慨深いものを覚えたのだが、やがてすっと胸もとから上がってくるような言葉としてあふれだしてきたのは、妻に対する憐れみの衣を借りてきた、涙もろくなってしまいそうな響きを持つ、ありがとうと云う感謝の念であった。

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