美の特攻隊

てのひら小説

化粧5

未完成の人形を彷彿とさせる変容が引き起こすであろう美代の幼心は、当然のなりゆきとして本人の思惑から離れてしまい、戯れで造りあげられたとしても息をのむくらい崇高な芳香を漂わせていた。

内面まで美神が乗り移ったかの気高さをまとった様相は、つい先ほどのはにかみを面にあらわしていた少女を、虚ろなまで透明度ある聖域に連れさってしまったようだ。

毅然とした面容を黙視しているかのごとく対した陽子の狼狽を、あたかもさざ波が微風によってひろがる綾を、美代の瞳に冷徹に映し出したのも無理はない、ふたりして無言に向きあう様はどこまでも澄みきっている。

置き鏡は薄曇りを仄かに迎え入れ、いつまでも余韻を慈しんでいるようであった。

静かに沈みこめるときの連鎖を永遠に眠らせてしまう意志さえ、持ち得たのであったから。


やがてそんな沈黙は雪どけ水が最初のひとしずくをしたたり落とすよう、あたらな息吹である陽子の再帰により、そう、ことば無きまま彩色筆を仕上げのため手にした刹那、峻厳さに包まれていた空気はどちらともなく安堵に近いゆとりを取り戻した。

おもむろに紅を持った陽子の意中に応えるため、あごさきをそっと差し出すことで互いの裡に一条のひかりが瞬き、表情には浮かび上がらないにせよ、あきらかに夢見で結ばれる微笑が呼び起こされ、やがては待ち受けている喜悦に向かって行くことを確かめ合うよう、意図されるそこだけが欠落させてあったとさえ云っても過言ではない血の気が、失われていた箇所にさっと赤みをもたらさせた。

見た目はつつじ色の艶やかさで印象づけられるのだが、実際には紅梅の色合いが厚みを持たない怜悧なくちもとにもたらされた効果は、十分にふくよかな色香を放ってやまず、なおも上塗りすることが不必要と思われるくらい完成を目前にした色づきにより美代を別人に変貌させ、ふたたびあの静謐なる時間をそのすがたにまといつかせる予感を抱かせた。
そして、自ら緊張のなかにあるのか忘我の渦中にあるのか判別つかない陽子のこころにも濃艶な花弁が開かれたのは、美代の秘められた光輝がもうすぐ開花されようとしているからであり、紅がひかれることであたかも血潮が口唇の裡に充満していると思えてきたゆえであろう。

 

「美代ちゃん、えらく見違えちゃったよ。ほら鏡みてごらん」

ようやく平常心に立ち返ったふうにして話しかけた。
陰りを帯びてきた部屋の案配が気になり明かりを灯そうと電燈のひもに手をかけたのだが、薄明かりであるほうが自然であると感じ、おそらくは日差しが隠れはじめた頃合いを見計らったように化粧を施したことの延長であるべく、あるいは、華飾を模倣する気まぐれから起ってしまったどこかやましい気持ちがこのまま隠されることを願っているのを知るからなのか、決して明瞭でない写し絵を言われた通りじっと見つめている美代に対し複雑な感慨を抱きながらも、あえてそれ以上は推量せず自然光にすべてを託すのだった。


「おねえちゃん、すごい、ほんとうにわたしなの」
いつもは陽子ねえちゃんと呼んでいるのだけれど、このときは驚きが優先したとでも云うみたいに気安く、親し気に、ときめきとためらいとよろこびが居並ぶままそう口にした。
「まったく、わたしもびっくりだわ。将来有望ね」
美代はそのことばを額面どおり受け取ったのか、斜に目線を逃すようにして頬を上気させた。
その羞恥は大人がかいま見せる際の一見清涼なまなざしとは異なり、肉感を突然さえぎられた重厚な緊迫を半身にはらんだ意味あいは表にしておらず、いかにもおさない照れが粉飾を崩してしまった安易さで醸し出されていた。
「髪の毛ほどいてみようよ」
ふりほどけば肩より下まで垂れるであろう黒髪は、そのときまんなかから分けられ両耳のうしろで結ばれていたのだったが、束ねから解放されただけのことで案の定一変し、美代を年齢不詳にさせた。

それは、清純な少女と出会ったときの鮮烈な胸のたかまり、舞台女優が演ずる虚飾に魅入られたあてどもない情熱、あるいは寡婦がときおり見せる妖艶な微笑み、この世のものではない不確かな欲望を体現していた。