美の特攻隊

てのひら小説

化粧14

訪れた深く眠る色褪せたはずの想い出、それはきっと取り戻さなければならない宿命であったから、呼び子によって彩りを施されここに巡ってくる。ちょうど遠い汽笛が潮風を運んでくると信じてしまうように。

煌々とかがやく天井からぶら下がった電球のかさに遮られた仄暗い壁の上、黒かびを思わせる箇所へ視線を這わせる。

視界をさえぎる夜霧で包まれた時に感じる不思議な心地よさに、美代はすっかり我を失ってしまった。
煙立ち靄がかったさきに写しだされていたのは、まぎれもないわたしの姿だったけれど、どう受けとめてよいのやらわけが分からず、さらに後押しされる案配で陽子の心配気な口ぶりが被さった途端、意識は乱れて気流にさらわれ、めまいが生じ、けれども心棒を回転軸にする駒のような一定感はむしろ反対に情念をこの身から逃さず、確かに大人びた、我ながらうっとりとしてしまう妖しさを描き出し、その刹那わき起こった衝動はおそらく抱擁のあとに来る行為を切実に願っていた。
ませた仕草を演出したのは陽子であったが、懸命に役柄を演じたのは美代であった。

 

こうして脚本とも即興とも云える場面は、予定調和を即すよう美代に放電を促した。

陽子のまなざしには、まるで人造人間を生みだしてしまった博士が、眼前の展開する所業におののくような、生命の神秘を暴いてしまったかの狼狽を含んでいる。
過剰な電流によって強烈な意志を得た美代は、飛び込んだ陽子の胸もとで今度は写真に焼き付けられた以上の、つまりはそこから抜け出てしまった別人となり、同級生の姉には違いないけれど、もはや同性であることにこだわる意味あいは剥奪され好男子と化し、あるいは少年に変容したうえで女装し、陽子に切ない胸を打ちあけようとする。

遠い記憶の彼方から、陽子の艶やかなくちびるが、生暖かい吐息をともなって寸前まで近づいてきた。

 

さあ、わたしは誰になればいいの、だいじょうぶ怖くなんかない、わたしはわたしじゃないから、、、鬼ごっこでつかまったときの罰ゲームと同じ、、、それと映画の一場面みたいなもの、もしくは旅先で泊まった夜の枕があたえる冷たい親近感、そのあと聞こえてきた町並みが震える微かな響き、、、たぶん聞き慣れない、魔法の国からやってくる、だって明日になればすっかり忘れてしまう音、、、想い出したわ、音の波、、、陽子ねえさんの口先に初めて触れたときのことを何度も憶い返せば、あの感触に浸ろうとすればするほど、望美から聞かされた内緒話しや三人組の悪戯と云ったつまらない事柄が一緒になり脳裏にもたげてくる。

 

どうしてなのかよく分からない、以前何かの本で読んだのだけれど、男性は色欲が減退すると、妄念の勢いをあえて妨げ、まったく無縁の情景へ移行させながら頂点を呼び寄せる、そんな延長作用がかえって快感を引き延ばしているのだとか、、、わたしの場合もそれなの、でも無縁と云うより付随した想念が招かれるのだから、話しの腰を折るような中断作業ではなく、男性にしてみれば絶頂を抑止することで少しでも快感を先延ばししたいって欲深さだろうけど、わたしにつきまとう追憶は婉曲に申しでてくる、そう、緩やかな非常階段みたいなもの、手探りを必要としない、向こうから探られる軽やかな手すりへの触れ合い、、、冷めた紅茶を飲み干すときに覚える、あの矛盾したようだけどとても時間が長く感じられる性急さではないかしら。
ありきたりに前戯と呼んでみればどうだろう、遠まわりで不本意でありながらも目的を成就させる為、終着を向かえる為に乗り継がれる列車の振動。

その振動がもたらす反復は律動となり、五感に安定と痙攣を授けてゆく。


口中に異物が侵入しかけたと思われた刹那を、現在の美代はそんな言い草でしか想い浮かべられなかった。

別人に扮してみたとしても感覚自体に異変は生じない。

背丈も違えば、顔も、肝心のくちびるの大きさも異なり、ましてや初めての経験である事実は期待した以上の贈り物には成り得ず、逆に圧迫にも成りかねない一面をうかがわせていた。

しかし、どちらが分泌した唾液によってか知るよしもないまま、互いのくちびるが濡れてなめらかになった頃、美代の意識は純化され、先ほどまでの邪念から十分に距離をとることができた。

 

そうね、あの成りゆきは俯瞰図で見取れるくらい鮮明に憶えている、、、わたしはやっぱり無我夢中だったに違いない、陽子ねえさんたら、思いっきり両腕にちからを入れて抱きしめるので、からだがきつくなってしまって、次第にキスしてるって感覚が散乱しかけたけど、そのお陰で何故かしら自分がとても冷静な気持ちでいられたと思える、、、わたしを無くすってことは、ああした緊張のなかを云うのじゃないかしら、、、だって、冷静な自分はすでに別のひとだから。

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