美の特攻隊

てのひら小説

探偵

くもり空の下、近所の奥さんが颯爽とした着物すがたで道を横切るの見かけた。

年相応なのだろう、喪服を思わせる青褐の和装はまわりの空気を一変させているが、凛とした容姿から受け取る印象は反対に無邪気な風情も備えており、それとなく感心していると、すぐ先で同じく着物に身を包んだ数人とすれ違った。

「何か習いごとの集まりかな」一人ではなく幾人かの和装を目にしたせいなのか、急速にときめきが離れていった。

 

いつの間にか映画が始まっていた。スクリーンの中ではなく、屋内が舞台となって物語は進行している。

「3Dならわかるけど、こんなのは始めてだ」

首をかしげる間を与えられないまま、この場面に自分は登場人物となって参加していると何者かに耳打ちされ、ふたたび胸が高揚してきた。

「映画も相当進化したもんだ、劇場一体型とは恐れ入った」

最初から観ていないものだからストーリーの把握に戸惑って、ましてや役柄の設定もあやふやなことが折角の醍醐味をそこねてしまい、居場所のないやきりれなさに滅入っていた。だが居並ぶ面々を見渡せば、この映画は金田一シリーズに似た推理劇だと了解し安楽に移行した。

岩下志麻ふうの女主や松坂慶子似の遠縁にあたる客、佐分利信の面影を持っている代議士が放つ重厚な声色、見るからのくせ者らしき男優ときて、あきらかに金田一耕助としか言い様のない探偵、距離を置き待機している警官ら、更に遠巻きで恐る恐る様子を見守っている女中たち、どうやら物語はすでに終盤にさしかかっているらしく、毒殺事件の犯人はこの中にいるなどと話している。

だとすれば、当然ながら自分もその一員であるはず、殺人とは物騒だけれどいくら疑惑の渦中にあろうが、絶対に犯人であるわけがないと確信していたので、端役の扱いであろうともメラメラと功名心が燃えたってきて、探偵補佐の役割を果たすべく、窓の外をしきりに眺めていた。

事情をほとんどつかみ取れてない自分は下手に状況へ首を突っこむより、こうして他の者が見落としているかも知れない些細だけれど、重要な手がかりと化す可能性を探っているのがちょうどよく思えたからである。

金田一的探偵は奇妙なことに、犯人と目される人々を記号で呼んでいた。

つまり色に名前を当てはめていた。岩下志麻はレッド、松坂慶子はグリーン、佐分利信はグレー、くせ者はブルー、それだけだった。やはり自分は登場人物を装った傍観者にすぎなく、色づけられてはいない。が、軽い失望は晴れやかな気分へと後押しされるようなちから加減を得る。

それなら思い切り戯れてみるのが娯楽ではないか、どうした理由で次々と犯行が重ねられたとか、いったい誰が殺されたとか、物語の核となる箇所に立ち入ることは止めにし、ひたすら外の風景を見つめていた。

手の届きそうな雲やあと少しの高さがあれば目に映る海岸といった遠望ばかりに気をやっていたのだが、ふと階段わきの小窓から覗けた隣家の瓦屋根に連なる雨どいが目に止まった。

それは雨風に蝕まれた穴ぼこではなくて、大仰な、早い話が何者かの手によって乱暴に開けられてしまった裂け目だと確認し、しばらく前に松坂慶子似のグリーンが筒状になったその一部を手にしたことを思い出した。

俄然心音が強まるのも気味よく、早速探偵にその旨を打ちあけたのだったが、傍観者というより視聴者の意見などまともに取り上げている暇なんかないという顔つきしかあらわにせず、無視状態に近かった。

確かに雨どいの破れと殺人を結ぶには飛躍がありすぎて、裏打ちされる根拠のかけらもない。それでも自分ははしごを借り受け屋根にのぼりバケツに汲んだ水を瓦へとぶちまいてみた。樋をつたいゴルフ球ほどの穴からは勢いよく、間違いなく雨水よりもっともらしくこぼれ落ちる。

主役の探偵から敬遠されたひがみだろう、増々緊迫した状態をよそに観察者である自負だけをよりどころにしたまま、事件の解明には関与していない素振りで時間を見送っていた。

張りつめた光景は陽炎から訪れる。その一室は閉ざされていたのだったが、いつの間にかグリーンが眼前に立ちはだかっていた。その瞳に映った宿命から逃げ出すことは不可能だった。炎天下の氷塊がその身を嘆く猶予を無言で過ごすように。

「恐がらなくていいわ。さあ、こっちへ」

グリーンはもうくちびるを差し出している。半開きではないが歯が合わさっていない口もとには暗黒の門が待ち受けている。理解できた、彼女は犯行をとがめられるまえに自分を道連れに命を絶とうとしているのだ。ひときわ艶やかなくちびるにはおそらく毒薬が塗られていて、重ね合わせた刹那に舌先を素早く滑りこませるに違いない。

この身を引き裂く感覚とともに、巧妙な意識の裁断がめぐった。見知ったばかりの女と心中しなければならない不甲斐なさと、所詮は映画のワンシーンでしかない、実際に死んだりはしない、自分は登場者であると同時に視聴者なのだからという考えが。

けれども反応は正直だった。グリーンから口を近づけられるより先に自分の方が艶冶な気狂いをかわしていた。そう毒をなめた舌が絡まるまえに幼児のような軽いくちづけで従ってみせた。

移しとったであろう死の粘液を飲みこんだりせず、あらかじめの約束ごとであったとばかりに袖で口を拭い、殺意を忌避した。

背後から探偵が声をかけたのと、女の面が枯れ花みたいに萎れていくのが一緒だったので、自分の狼狽は動きの鈍くなった秒針をなぞりつつ、ようやく映画の迫力を堪能している意識を回復しえた。

「貴女はいつも緑を窓の向こうにしてましたね。今回の一連の殺人はそんな背景で行なわれた」

探偵のもの言いにはなだめて聞かす調子があったけど、自分にとってもはや茶番でしかなかった。しかし、ここまで来たのだから黙って観ていよう。

探偵は案の定、こちらには一切視線をくれず淡々と喋りだした。

「ほら窓の外ではなくて、ガラス越しに揺れている柔らかな緑です。実は私、貴女のことをずっと探していたのでした。でも貴女の巧みな犯行にはまったく証拠がない、ここへ来てからも」

女が膝を落としたのがいかにも安直に思えてしまったが、つい先ほどの情死を模した場面を浮かべてみれば、荒唐無稽だと笑い飛ばせるはずもなく、物語は真面目でなければならないのかどうかなんて一概には言えなくなっていた。

だから、いっせいに警官数人が飛びこんできて、しかも腰にサーベルを下げている姿に呆気にとられ、女の着物も茶の葉みたいな地味な色合いながら品格があるのを今さら気づいてみたり、素直に捕縛されるかと思っていたら驚異的な身のこなしで警官のサーベルを奪い一刀のもと相手の耳を削ぎ落としても、殊更驚いたりはしない。むしろ煎餅でもかじりながら活劇を見物しているおもむきだった。

グリーンは相当な剣術の達人か、返す刃で銅切りを決めたり、踏み込まれる間合いをはかりながら攻撃の手を休ませない、まわりは中々取り押えられそうもなかった。警官も必死の形相でようよう決着をみせるまでに抵抗された傷あとは数多く、縄を放り投げてかろうじて身を封じたところでちから尽きたのか、放心したまなざしで座りこんでしまった女を臆病そうな顔をしたひとりがいきなり袈裟斬りにした。

見事なまでに血しぶきが上がったけど、自分の心境は割合と複雑だった。平静を装う気力が卑屈に思えていたから。

映画はまだ終わらない。白装束に着せ替えられたグリーンは丁重に布団に寝かされ枕もとからは線香が漂っている。探偵はこれまでの経緯を本当は得意気に語りたいところ、あえて抑制された口調で説明していた。

カメラがすうっと引かれ遺体の光景が遠ざかる。殺人犯を取り囲む人たちの表情も明確でなく、手前に位置した畳の編み目が延々と映し出されているので、こんな冗長なシーンは悪趣味だと文句を言いたくなった。いや観ようによっては余韻など超越したそれなりの無時間が提出されている、でもこれは推理ものなんだから高尚な感覚は要求されない。

しばらくして、また警官がどやどや現われた。果てたはずのグリーンの目が開いた。サーベルではなく短剣が白装束めがけ投げつけられる。半身を起こしかけたが一目では数えきれない刃物によってとどめが刺された。なるほど最後にここを描きたかったから静止画みたいなものが撮られたんだな、感心したかといえばそれなりに感心した。それから自分の席がきちんとあったことを確認しエンドロールを背にした。

 

黴の匂いがほのかに鼻をつく住み慣れた家に帰ってきた。すると便所に床が敷かれていた。

「どうしてこんなところで寝ないといけないんだ」しかも数十年まえのくみ取り式の便所になっている。

理由はあるのだろうか、今度は本当に探偵となって、この臭気と不快感を調べなければならないのか。

その続きはいずれまた、、、