美の特攻隊

てのひら小説

恋の十字架〜6

暁光の恩恵に包まれる二人だったが、清也の慢心と不安が入り交じる胸中は時間が反対に進んでいったのか、曖昧でいて忘れがたいあの時刻にとらわれていた。

夕暮れがいつになく間近に迫りくる興奮を、いかにもありふれたうつろいといった心持ちで過ぎやった清也の若さに衒いはなかろう。

季節が意味する自然の摂理同様、ごくありふれた暮れゆきだと念頭に浮上する権限さえ与えられてはいない。

それが黄昏の本質というもの。仮に時のうつろいが寿命への脈打ちそのものだとすれば、宵闇迫るひとときのその都度うち震える心性こそが科学的根拠を含有してしまう。しかしながら私たちの、厳密にいうならば生命力の花弁のうちにあるあの躍動と先行き知らずの彷徨は、何かのひとつの意志に貫かれたように時間そのものを閑却してしまうだ。

清也は暁の空のもっと先に、何やら自分でも判明できないうちへ、連関なきまま今ある玩具の前に張り付きそうにしてやきもきしている幼子の物乞いに似た情景を呼び起こすのだった。

書割りの景色と形容するのがもっとも相応しい夕焼け空を赤とんぼの群れが、見境もなく不安定な飛翔を試みている。いや、きっと自分から見つめるとたよりのない根拠のない、綿飴のような軽やかさと甘味を夕空の真下に浮遊させる様に映るのだろうが、とんぼにはそれなりの意味合いや理由が存在するのかもしれない。

しかし、幼少期の田舎育ちをなんら卑屈とも、不遜な思い返しなどといったふうに鑑みる屈託を持ち合せない、あの頃の季節感さえおぼろげな黄昏の情景は、やはり天然色に彩られた望郷の世界を遠見させる。

双眼鏡を逆さに覗き見るようなどこか不自然でいながら、やるせない宿業に移行しつつも。

後年、清也は濃縮され発酵した青年期のある局所に定まることを了解した。

そして過ぎ去った位置から反対に現在を振り返ると、あの夕暮れなのか昼下がりなのかよく判明しない黄昏が、フィルムに収められた水彩画のように淡い質感でありながら所々極彩色に染め上げられた鮮明さでもって、眼の奥深い箇所へと甦るのだった。

時には日常に追われ何かしらの疲労に圧迫を覚え、無軌道で放埒な遊技とわかっていながらその持続に辟易する刹那、思わずあの幻影がわき上がるようにしては脳裏を横断し、いつの間にやらつい口先からもれだして限りなく独り言のように呟かれるのである。半ば冗談まじりに茶化しつつも真摯な童心を自他ともに共鳴させるべくして。

「野原でとんぼを追ってた自分がいきなり都会の空気を吸うとね、わかるでしょ、このギャップ、葉子さんには理解できないか、とんぼなんて見たことくらいあっても追いかけたりしないよな」

「そうね、野原って清也くんがいうのは、あくまで故郷のイメージよね、私だって別荘地の高原とか学校の遠足とかでそういった自然に触れ合ったことはあるけど、とんぼを追っかけたりはしたことないわね」

おそらく酩酊とはいかずともほろ酔い加減にまかせる気分でこれまで葉子に、何度かこの話題を口にした覚えがあった。

というのも清也自身がこのエピソードを慈しんでいたからに違いない。そう、決して悪くはない、共振させる対象は実は他でもない、己の内部そのものへとという確信的な抒情にいつも優しく包まれていたからである。

そんな明敏な意識を吐露してみせた後続として、さらに真剣であり沸騰する心情である極めて自己放擲な口吻をものともしない、切実といしていながらも何処か居心地の悪い懸命なる想いは、なぜかその先にいい現されることはなかった。

直裁な物言いはもちろん、戯画化された俗にいう隠された本音の響きとしても。

代わりに事務的な声色で、

「あっ、そうだ。スピードを落としてもらえないかなあ。忘れてた、わざわざ遠回りして高層ビルの下を走ってもらうのはね、これこれ、前にある人から教えてもらったんだ。夜明けの新宿をゆるやかに減速して出来れば助手席で、BGMにこれを聴くと最高な気分になれるって」

そう願い出た。

少しだけ怪訝な表情を示した葉子に対し、清也はいかにもといった笑みをつくり、足下に置かれたバックの中から取り出してみせたのは一個のカセットテープだった。