美の特攻隊

てのひら小説

恋の十字架〜13

「僕はあのとき平静をとりつくろうとしたのですが、相当動揺していたと思います。葉子がどれくらい涙していたか、とても長かったようにも、ほんのわずかの間だったのかもよく覚えてないくらいですから。

というのもそれから彼女が語りだしたことが、自分の予期していたことと食い違っていたので、もう驚きと安心が交互にしかもすごい早さで去来し、話してくれる内容はちゃんと一言一言把握できるけど、聞いていうちに終いには、彼女の言葉のなかに溺れてしまって段々と息苦しくなってきたんです。

葉子の境遇が思いもよらなかったので打ちのめされ、相手の身に共鳴したから苦しくなったんじゃなく、圧迫感のようなものが僕を縛り付け、暴風雨にさらされ身の危険を感じる時に似た、強烈な不快な気分に包みこまれてしまったのでした。

『お別れしに来たんじゃない、聞いて欲しの』

眉根を寄せて、まだ潤いをたたえたままの瞳は悲しみそのものでしたけど、それ以上に目線は何かを貫いていく攻撃的な刃みたいな、怒りやとまどい恨みに支配された者がその標的に投げかける鋭い光に見えましたから、、、でも口調はいたって震える内心からの声だと確信される弱々しく、たどたどしいものでした。

葉子が僕に聞かせた一部始終はこうです。

 

ひと月くらい前、父親が自宅で不調を訴え倒れかけたので病院へ行ったら脳梗塞と診断されたそうです。

日頃から壮健で体力自慢していたくらいだったから、本人も身内もそれほど重篤な症状とは考えてはなく、それでも医者の忠告にしたがい、入院して精密検査を行いながら養生してたんですが、二日前いきなり人事不省に陥りいまだ意識の回復がありません。

担当医も渋い表情を浮かべているけど、まだ絶望的と決まってわけではないので、家族間以外にはまだ病状を報せることをためらっていた矢先、どこで聞きつけたか葉子の家に会社の幹部連中が現れたと思いや、管財人やら弁護士、そして最も衝撃だったのは、父親の愛人と名乗る女性が幼子二人を連れて押し掛け、すでに認知してもらっているとまくしたて、もしもの時はしかるべきみたいなことを談判し始めたのでした。

葉子は寝耳に水でまさか自分に腹違いの兄妹がいたとは相当なショックでしたが、母親に詰め寄り事情をただしたところ、表面上は否定しながらもすでに愛人とその子供らの存在を薄々知っていたようで、それ以上、母親を責めてもどうなるわけでもなく、今は親族会議で現状へ対処を話合うということが先決だったので、葉子にはその成り行きを見守るしか仕方なかったそうです。

彼女は僕に出来るだけ詳しく話そうと努めているようでした。

叔父を中心とした会社内での派閥や、安泰に見えた運営はいくつかの企画が起動に乗らず経営状況が逼迫していた内情、更には父親が個人的に買いあさっていた株券が最近、一気に暴落して相当な借財が発生してたことなど、、、僕だって入社して月日は浅いですけど、会社経営の仕組みや破綻する事情など、他の大手企業が崩壊する様を見聞きしある程度、理解は出来るつもりでした。

社長令嬢として苦労という苦労は知らないまま育ってきた葉子にとっては、それこそ王家が滅びてしまう渦中にある悲劇のヒロインの心情だったように思います。

しかし、僕の内側ではそんな彼女に降りかかった不遇に対してどこか距離感を感じてしまいました。

今後、父親の容態が一刻も早く回復に向かうことを願う一方で、城壁を乗り越え攻めこんでくる敵兵ともいえる色々な難題にどう立ち向かっていくのか、いやむしろ、これから待ち受けている境遇をどう受け止めて家族を含め彼女自身が自分を保っていくのだろう、そこまでは十分に共感もし、不幸を嘆き悲しみ、そしていたわりの心もまっすぐに葉子に向かっていました。

つきあいだした当初、自分には荷が重いと云う隔絶感がいくどか頭にもたげたことがあります。でもその重圧は手応えや比率で計られるものとは別種の問題だったのです。それ自身を欲し願ったわけですから、、、そう言ってしまうと如何にも彼女が身にまとっている優雅さや華やかさ、また僕とは違う次元に生息している手には本来届かない女性としての属性だけを好み、あこがれを抱いただけかも知れませんね。

ええ、確かにそんな思惑がなかったとは言い切れませんし、盲目的な希求力はそれゆえに発動したのだと思います。

すると目に見えない力とは、一体何なんでしょう。

やっぱり恋に恋する若い衝動が先にあって、それから本能が準備万端、迷わず行け、号令をかけては情欲を開放すべしと、大義名分によって突撃し、叶うなら最も好みの相手を獲得する為に奮闘することでしかなく、盲目と称しつつ実はしっかり理路整然とした計算が働いていて、一番都合のいい恋心を作り出していたのでは、そんなふうに思えてくるのでした。」

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