美の特攻隊

てのひら小説

恋の十字架〜16

「どうして僕ではなく、社長だったのか、これが臭いものにふたをし、互いに不可侵をうたって来た証しなのか、、、僕が自覚していた葉子に対する直情に見えて屈折した恋慕は、隠匿するまでもなく、はなから彼女にお見通しだったのです。

結果、苦境のただなかで選んだ手段は、業種こそ異なるけど同じ企業という形態のトップに君臨する社長に陳情し、父の経営破綻をどうにか食い止める策がないのか、免れないとしたら会社の存亡には期待はしない、ただ隠し子まで発覚した今、財産分与はどうなってしまうのか、最悪の場合は借財が膨大で反対に土地家屋も取り上げられ裸同然になってしまうのではないだろうか、、、

冷静に判断してみれば、肉体関係が僕より以前から存続する社長に、苦境を委ねてみるのはそれほど不自然なことではありません。新入りの若造に比べてみても社会的知識や実践としての経営学、人脈や交易に格段の差があるのは歴然としてます。

現実的な方策からみて彼女のとった素早い保身は、決して非難されるべき性質を孕んでおらず、

『わたしはこうしてOLやってくるくらいだから、洋服も車もまた稼いで自分なりのものを買い直せばいいの、染みついた贅沢はなかなか洗い流せないけど、働くことを苦だと感じたことはないわ。心配なのは妹やお母さんなの、だから藁をもすがる思いだったのよ』

と、健気な口調で語るのでした。

いかにもしおらしい口実と聞こえるかも知れませんが、どうして葉子の根底までさらい疑ってみなければならないのでしょう。

最初からすべてを承知で交際を願ったのは誰だったのか、、、自由と不自由の狭間を黙認しつつ実際には、そんな不安定な位置に身を置くことが青春の記念碑を打ち立てることだと、ほくそ笑んだのは誰だったのか、、、

さいころは自分自身の一番、生き生きとした手つきで振られていたはずなのです。

何が何だかわからなくなるっていいますけど、僕は沈着を失うどころか増々ありとあらゆるものを透視出来るような心持ちになっていました。耳のまわりに無数のガラスの破片が突きさってくる、激しい痛覚もそうして自らを知らしめる時報にさえ成り果てたのです。

葉子の告白は終着駅を忘れた無人列車のようでした、たった僕ひとりを乗せて走ってゆく。

社長にことの次第を明らかにするに及んで知略をめぐらし、とにかく彼の弱みをつかみとることが切要だと彼女は心得ていました。

そして一通りの事情を打ち明けた後、渋面を消しきれてない目を見据え、話は変るけれど妊娠したようです、社長さえよければ産んでもかまわない、そうきっぱり言い切ったのです。

これは単に相手に驚愕をもたらしただけでなく、狼狽と苦渋で顔面を見事に変形させてしまいました。

それが事実であるのか、、、葉子の語るところによれば、僕との場合とは違って社長との交わりでは時折、じかに体液を受け入れることがあったそうなのです。

かねてから月のものの周期を聞きだし安全日と確認したら、どうしても中に出したいって、駄々っ子みたいにうるさく懇願するとのことでした。

射精を承諾するその心理だけで、すべてが言い尽くされています。

しかしあえて僕は葉子のこころを探りました。

懐妊の告知があくまで脅し文句として吐かれた謀略にすぎなかったのか、それとも以前から体質的に月経の遅れがあると漏らしていた言い分を素直に受け止め、今現在の生理状態を本心から、つまりは女性だけが察するいのちの微妙な宿りを正直に訴えたのか、はたまた、あいだをとって、本人にも定かではないが月のものが始まらない以上、半信半疑は承知の上であえて口先を滑らしてみたのか。

下衆の勘ぐりと指弾されようが、僕の最大の疑問はここに集約されるのです。ええ、はっきりと教えて欲しい、もちろん葉子に迫りました。

すると、またもや、これもひとつの術策かと気落ちしてしまう、あの瞳を暗色に変えては、さざ波に震え貝を閉じる姿態に逆もどりしてしまったのです。

寝た子をゆり起こすようにしてまで、問いただす権限など持ってないはず、そこで僕も彼女にならって沈黙のポーズをとり、ことの真相を突き止めるのではなく、向うから訪れるのをひたすらに待ち続ける覚悟を決めたのでした。さしずめ荒波をかぶる磯貝って案配ですね。

そのあと『抱いて』と吐き捨て、目の前に一糸まとわぬ葉子の裸形が立ち現れるまでは、、、」