美の特攻隊

てのひら小説

くるみわり人形〜前編

あら、良子じゃない、何年ぶりかしら、変わらないわね。

あたしはどう、ま、いいか。仕事の帰りでしょ、じゃあ歩きながらちょっと話し聞いてくれない。

あんたどこに住んでるの、あそう、あたしと反対ね。でもいいや、駅までじゃ話しきれないから電車一緒しちゃおうかな。

だいじょぶだいじょぶ家まで押し掛けたりしないから。えっ、いいの、ごめんね、迷惑じゃない、あそう、実はさあ、あたしこの間アパート引っ越したんだけど、うん、前々から居心地悪いんで大家さんにこぼしてたの、だって隣が駐車場で、大方そのアパートの住人なんだけどさ、とにかく夜間の出入りがうるさくて、わたし早寝だから、そう夕飯食べて風呂入ったらすぐ寝るの、困るのよね、睡眠だけがあたしの生き甲斐でしょ、せっかくいい夢見てなごんでいるのに邪魔者なんだわ。

気になりだすとしまいには車の台数を毎晩数えたりして、まったくこの胸のうちをどうしてくれるの、かと言って駐車場なんだから仕方ないし、こんな部屋を選んでしまったのも自分以外の誰でもないわけで、悶々としてたわけよ。

良子さあ、彼氏いるの、いない、そう別にいいんだけどね、ああ、もう何を言わすの、独り住まいのわびしさで八つ当たりなんかしてません、そんなんじゃなく、あたしこう見えても友達いないしね、そうなの孤独を愛する年頃なのよ、だから勘違いしないでって一応念押ししただけ、結構いいよってくる男だっているんだから、でも関係ないわ。

で、とうとうやって来たの、いい気を落ち着けてよく聞いてね、誰にもまだ話ししてないのよ、まったくいいとこで出会ったわ、良子だったら素直に何でも言えそう。あんた無口だし反応ない表情してるから丁度いいの、ああ、けなしてるじゃなくてこれには理由があるんだ。

 

じゃあオオカミの場面から始めるわね。

車を数えだすのも何か惨めっていうか段々陰気臭くなってしまってるようで、今度は一々窓を開けて、車をキッと睨みつけだしたんだけど、ある夜のこと、まったく車が出払ったときがあって、めったにない光景だから、そうなのよ広々として静かでちょっとした庭みたいな感じさえしてしばらくぼんやり眺めていたの、無心に近かったと思う。

どれくらいしてからか覚えてないんだけど、だって驚いてしまってその後は呆然としていたから。あのね、少し先にケンタッキーチキンがあってあたしとこからその店の裏が見えるの、たいして気にもとめてなかったし、ごく普通の風景だからまさか定期的に浮浪者たちが忍んで来ては食い残しをあさってるなんて本当にびっくりしたのよ。

見るからにそれと分かる格好だったし、きちんと袋持っていて何やら選り分けている、おそらく身の多いやつだけ詰め込んでいたに違いないわ。残飯入れって分厚い紙だった、あいつらそれを破り裂くんじゃなく丁寧にひも解いているんだよ。

そう痕跡を知られないようにする為に。どこで嗅ぎ付けてくるのか、きっと情報交換とかしていたんじゃない、そりゃ見事な手さばきで用を済ますと消え去ってしまう。いや、浮浪者に感心してるんじゃないの、問題はその後なんだ。

 

あたしその様子を双眼鏡で見つめていたんだけど、たいしたことない玩具の双眼鏡、倍率は4倍くらいかな、玩具にしてはよく出来てたわ。それで浮浪者の行動もつぶさに観察したって次第なの。

ああ違う、熱心な観察はここから、つまり今度はオオカミが現われたのよ。ガサガサする物音に又かと思ってもう窓を開けなかったら、どうもいつもと様子が異なっているような気がして耳を澄ましていると、低いうなり声とかも聞こえてくるじゃない、今夜は野良猫かってため息ついていたら、えらく気配が騒がしくなってきたんでそっと覗いてみたの、そしたらあんた猫なんかじゃない、最初は犬に見えたし、それはあり得そうなことだと頷いていたら、どうも風体があやしいんで双眼鏡でじっくりうかがったの。

オオカミだわ、しかも十匹くらい居る、あたし吸血鬼の次にオオカミ男が好きだからよくわかる。ねえ良子、そのときの気持ち察してくれるわね。

そうなの、それからも度々オオカミの群れがフライドチキンを狙ってやって来たのよ。浮浪者はたぶん怖れをなして近寄れなかったんだわ、それ以来まったく見かけなくなったもの。

で、いくらオオカミ男に興味あってもこうして夜な夜な実際の獣が身近にいると思うと、寝つきが悪くなりだして大家さんに顔を合わせた際ありのままを報せたのよ。

そしたら「この都会の真ん中にオオカミなんて、それはせいぜい野犬でしょう」って、はなから相手にしてもらえなくそれでも食い下がったら「じゃあ証拠の写真とかありますか」ときたんで「あたし携帯持ってないしカメラもありません、仕事は電話番ですので仕方がないのです」

そう捨て台詞を吐いてその日はそれきりだったけど、次回はスケッチブックに色えんぴつで写生して懇々と説明したの。

すると、、、そうなのよ大家さんはどうやらあたしが前々から部屋を気にいってないことの嫌みだと判断しらしく、今回の引っ越しに至ったわけで、もともと大家さんは不動産業者でもある都合で両者の思惑が一致を示したの。アパートの契約のときにね、一度聞いてみたんだ、物件の事項に心霊現象の有無ってありますかって。

当惑した顔をしながらも大家さんは、そんなことはありません、この都会にお化け屋敷なんて、と小馬鹿にした笑いを浮かべていたから、いいえあたしのお訊きたいのは変死とかがあった部屋は色々と問題がるため借り手がないので格安だったりすることもあるのでは、と切り返したの。

すると相手は悟ったみたいで、つまりこういうことよ、確かにそうした物件は存在するだろうが、こんな饒舌な者に貸したりしたら後々トラブルの元になりかねない、下手に賃料を安くするのは自分のほうから困惑を露呈するようなものだ、今の部屋ね、あたし実はここの噂を薄々知っていて大家さんに尋ねたこともあったの。

蔦の絡まる古びた二階建てのアパートでね、しかも一階の角部屋で虫がわけば中まで侵入しそうだったんで、渋っていたら案の定、蜘蛛もよく出ます、なんて取ってつけたようなことまで言うのよ。

何であたしが蜘蛛嫌いなの知ってるわけ、顔に書いてあったのかなあ、そうした事情で当時は格安物件と心霊現象を逃してしまったのね。

ところがそれからもずっとあの一室は明いたままで、結局大家さんはあたしの交換条件をすんなりのんでくれたっていうのが、引っ越しのいきさつなの。

そりゃそうでしょう、いつまでも空き部屋にしとくより多少賃料が下がったって、、、あっ、良子ここの駅で降りるんだっけ、そうかあ残念だなあ、これからが本題なんだけどさ。

 

そんなかいつまんでなんてとても無理、あたしの体験は順を追って聞いてもらわないと、でもいいや、少しだけ教えてあげる、今の部屋ね、出るのよ、へへへ、ほら窓の外はもう宵闇がせまっているわ、そうなの昼間は決して現われないのよ、今夜、出るのじゃなく居るのよ、、、そうなの、ええっ、これから来てくれるって、いいとこあるじゃない。

あっ、ごめん、さすが良子ね、では乗り換えしましょう、そうしましょう。