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美の特攻隊

てのひら小説

返信 〜 訣

翌日、家内が純一に電話をしました。
意気消沈な息子の様子に胸が痛んでいる様子は十分に理解していながらも、今回のことは家内の耳にしてみれば突拍子もない事態には間違いないはずですが、初恋の沸騰とでも片づけられてしまう程度のインパクトしかあたえてないのも実情、我が家にとってそれは一見大事件にも思われ勝ちな予想図だったのです。あくまで家自体として。
ところが、私の胸中はもはや別の場所で警鐘を鳴り響かせてしまっている。そうです、貴女という異質な思考者に対し、それから堕ちゆく情景しか想い浮かべることが出来ない純一の苦悶に対し。
「何を都合のよいことばかり言ってるの、まだわからないのわたしのことが」
厳しい語気でそう答える貴女の声が聞こえて来そうだ。
ええ、よくわかりません。本当にわからないのです。せいぜい受け止めることが可能なのは、貴女のお手紙の字面だけです。
しかし、そこから抜けでてくるような言霊とは異質の、そう、貴女自身さえもがよく手綱をとらえていない、反語的作用ともいえそうな怨念じみた言葉のひとり歩きは簡単には理解しがたい領域にさまよいだしているのだと思います。それは、この文章によく顕われているではないですか。

「純一さんの影に貴方を見ているわけではありません。わたしの影の裡に貴方たち親子の人影が棲んでいるのです」

普段より活力は低下しているようだが、深刻な意見を吐くほどに純一は衰弱していないと知らされました。もともと弱みをあまり表面に出さない性質ですから、どれほどの精神が保たれているのかは推測しかねます。
私は是が非でも、息子を東京に引き戻すつもりでいます。これが貴女にとってみても最良の方策となりうるのだと信じているからです。
様々に入り混じった感情や思念、時間の揺らぎに沈殿していった言葉にも成り得なかった視線の切れ端、少しは純一があたえたであろう純粋な緊縛、、、そこから感化されたでもあろう、肉欲を通過した、いや精神を濾過した、異形のかたまり、、、それらは眼になど見えるものですか。もし気がついたとしてもすでにそれは己を侵蝕してしまっている。
貴女が影法師と呼んでいる暗がり、ええ、私にも感じることは出来ました。しっかりと貴女のなかに棲みついていることを。しかし善い悪いでは決して判じることは無理なのです。
またもや、この手紙を投函することが延期されてしまった。私の生涯においてもこんな遅延はそうないでしょう。
今日の朝、純一が世話になっている民宿から緊急連絡が入りました。貴女はご存知なのでしょうか、その顛末を、、、

一昨日の夜から純一が帰ってきてない。携帯もつながらないし、知りうる限りを当たってみたがまったく行方不明だと。
民宿の主には思い切って貴女の名も出して訊いてみました。もう周知の仲だと言ってましたよ。
当然貴女のところにも連絡してみたが、同じくその時刻以降、息子を見かけてないしここ数日は会ってないと話していたとも。
朝方とか休日には外泊もあったようだが、二日間も連絡なしでいたことはなかったそうです。警察には捜索願いを出したようです。
私はこれからすぐにそちらに向かいます。貴女のバイト先に電話をして直接、お話してみようとも考えましたが、それはやめておきます。
手紙はようやく封をされ、貴女のもとに届けられるでしょう。だが、それより早く私は貴女と再会する運命になってしまいました。

悦ばしき知恵、、、鏡を用いる必要はありません。胸に手をあててみることも同様です。
闇夜を抜ける一条のひかり、私たちはどんな悲惨な場所にいようとも時間の流れから逃れることは出来ません。しかし、それこそ希望と呼んでさしつかえないのではないでしょうか。
暗がりからそっと抜け出すようなしのび足の向こうに待っているのは、破局を薫らせる甘美な失意にくるまれた歪んだ表情でしかなく、それはまた互いのまなざしが結ばれるときだと思えて仕方がありません。
同じ顔が居並ぶ様子を想像してみて下さい。いや、向き合うと言ったほうが正確ですか。私の震えは貴女に共振し、吹きすさぶ荒野の光景が浮かんできそうです。
そして両目に砂塵を受け、もっとも乾いた涙を流すのでしょう。


吉日

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