美の特攻隊

てのひら小説

まんぞうの昆虫記

誰だい、カブトムシとクワガタを取り替えっこしようなんていったのは。
「へい、あっしでござんす」
「時代劇とは関係いたさん、かような物言いは妙ちくりんであるぞ」
「おたくの口調もだいぶ古くさいですな」
「なんとでも申せ」
「なら交換しましょうや、ほれこの通り立派な型のカブトでしょう」
「まあ確かに、でもこっちは小型のノコギリクワガタだよ。珍しい種類でもなさそうだけどね、ただ、いい艶してるだろう、そこが気にいったんじゃないのかい」
「わかりましたか、ひかりのあたり具合によって味わいある、漆塗りの汁碗をおもわせますなあ。反面、栗色のうちの深みはしっとりとした明るみも兼ねています。こうした色つやは実に目に優しい。凝縮された張りのある力強さは頼もしげにも、しとやかな憂いとも見立てることが出来ます。あるいは黒髪に隠された光沢が風にそよいでいる、そんな日差しの思惑を託されてるようで」
「よく観察すればだろ、でもまあ、そこまで持ち上げるんなら交換してもいいけど」
「そりゃどうも、旦那、ありがたい事で」
「旦那なんて調子いいな、で、虫カゴごと持ってくかい」
「滅相もない、もう懲り懲りですよ」
「どうしてまた」
「ちょいと話しは込み合ってますがね、なにガムでもかみながら聞いておくんなさいまし」
「あっ、そう」


なんでもその男は子供の時分、安物の虫カゴに入れておいたクワガタに襲われたそうで、いや、この場合は幻惑されたと呼んだほうが妥当な気がする。洟をすする気配をあざとく推し量ったのか、風に乗って語るところによれば、
「これよりもうふたまわりはありやしたから、そりゃけっこうな大物でして、虫カゴのまんなかにあった開閉口、一応透明なんですけど、おもちゃみたいなもんですから、買ってすぐは透けてましたがね、手垢のせいばかりではございやせん、じきに曇ってしまいまして、捕まえたときも、うれしさあまってカゴに入れとくのが物足りないないみたいな、はあ、かといって取り出して手際よくひもなんかで括れる自身もありませんから、とにかく矛盾してるふうに聞こえるでしょうけど、落ち着きの悪さが胸にひろがりましてね、食べれるものならいっそむしゃむしゃとやりたい気がしたり、だけど、まあ結局その見通しのよくない開閉口から愛でつくす意気込みで、ひたすら覗いていたわけでござんす。
プラスチックの虫カゴで色なんかも取ってつけたような草色してましてね、ああ、旦那も覚えありますか、しかも縦横に隙間を切り入れた雑なつくりですから大事な獲物のすがたが見えにくいときた、健気にもギザザギとした手足のさきを愛想のなく、切れ目にひっかけている様子なんざ、ゴキブリと見間違いたくもなります。
えっ、それは大げさだろうって、へえ、まったく旦那のおっしゃる通り、ですがこうも見栄えがさえないとなればですよ、あっしの両目に映っているのは別の生き物だ、そう念じてみたくなるのも人情ってもんじゃありやせんか。とにもかくにもあっしはクワガタの全体像を見つめていたかったわけでして、変に意識が集中してしまったのかも知れやせん。

カゴをそっと揺すってはまんなかに来るように仕向けて、じっぃと見入っていたわけなんです。
で、三年ほど過ぎた頃でしょうかね、いえいえ冗談、それくらいの心持ちがしたって意味ですよ、しばらくってことでやす。
草色もいつの間にやら、目に親しんだとでも言いましょうか、安物の虫カゴにしては緑が息づいているんじゃないかと、錯覚も甚だしく、思い入れもどっぷり深まっておりますからね、あっしはその方面にためらいなくすすんで行きますと、これはどうしたことでしょうか、あんなに視界を曇らせていたところがまるで魔法の手を借りたみたいに、それはそれはピカピカと反射する使命をさずけられたくらい、ガラスマイペット、あっ今はガラスマジックリンって名前に代わりましたけど、匂いもどうでしょう、昔のほうがツンとくる感じあって消毒液みたいなきつさも懐かしいのですが、旦那にもごらんにいれたいほどのひかり具合なんですよ、そうです、あの洗剤で磨きあげたに違いないって。
すっきりくっきりな按配ですので、クワガタもさぞかし歓んでいたのでしょう。

細やかな照り返しさえ除いてしまえば、そこにはひかりが輪郭を手放したとしか思いようのない、透き通った、そう、しゃぼん玉に反映する紫色がかった光線にも目をくれず、ひたすら極薄の皮膜の世界だけを眺めているような、純粋な意識ですべてを包み込んでしまうのでした。
陶然としたあっしの目はどこへ定まったかなんて知るよしもございません。そんな有り様でしたので、まさかクワガタがこの眼球に突撃してくるなんて、そりゃ隔たりが擬似的に消えてなくなったことに耽溺したい気持ちが幅を利かせておりやしたから、あっしには夢と願いはしても、本当に飛び込んでくるなんてよもや考えてはおりません。もっともあのノコギリ二枚刃に突つかれてみてはじめて我に帰った、これが実のところでやんす。
痛いなんてもんじゃありませんよ、なんせ大きな型でしょ、それがかっと大開きになって見事に両の目へ直撃したんですから、飛び上がった高さも天上際まで、とまあ、そのときはそう感じたもんです。
衝撃は全身を貫きやしたね、足の裏までしびれたのが思い出させますから。

で、ここからさきは旦那も信じられんと言われるか、鼻水止まらなくなるか、恐縮ですけど、しびれと同時にあたまもしびれましたからね、妄想も踊りだすでしょうし、付き合いきれんと思われても、あっしは別に奇をてらおうなんざ考えてもおりやせんので、聞き流してもらってけっこうでござんす。
しかし妙ものですなあ、目ん玉に突き刺さったノコギリがですよ、グイグイと深く食い込んでしまいにはクワガタの奴、すっぽりとあっしの顔の中と申しますやら、眼窩を通り抜けて額の奥あたりにもぐってしまったのです。左右に口を開けた二本のノコギリは間違いなく両方の目を襲撃したはずなのに、あら不思議、本体もまっぷたつに割れて侵入したんでしょうかね、そのあたりが謎なんですけど、それより旦那、痛みやら驚きで目一杯にもかかわらずですよ、次にはある物語が渦巻きはじめたのです。

「岬にて」って短い小説でした、作者は誰だったのか覚えがありませんけど、色情魔とも殺人鬼ともいえる若い美女の話しで、最後には意を決した彼女の父親が処刑を行なうって筋書きだっと思ったのですけど、岸壁から突き落とすのですね、すると下の海にはまさにクワガタ状の巨大な刃を搭載した船が待ち構えているって仕掛けでした。ところが落下していく寸前で死に様は描かれないまま物語は閉じていたんですな。
あっしはあの神をも畏れぬ人間ばなれした娘の面影を浮かべてみようと躍起になるんですが、どういう風の吹きまわしか、いっこうにあの美貌にはたどりつけず、一気に小学時代に引き戻されてしまって、はじめて体育として水泳の時間を迎える光景がよみがえるんですけどね、それが性の萌芽と名指すにはどうにも印象が濃厚でないし、欲情を惹き起こすには長閑すぎるんですな。

へい、プールへ行くまえに教室で全員が着替えするわけなんですが、あるおんなの子がやおら真っ裸になってから水着をという風呂にでもつかる有り様だったので、何気に見ておりましたら、先生が「あれあれ、さきにタオルを巻いてから脱げばいいのよ」みたいなことを苦笑いしながら諭しておりました。
あっしはその先生の言葉を聞いてから、どうも違和感を覚えたんですね。おかしいでしょう、服を脱ぎだしたとこから目線は這っていましたし、全裸になった男子とは異なるからだのつくりを凝視したにもかかわらずにですよ、解説文みたいな先生の一言によって意味を知り得たのですから。
さすが教育、文部省ここにありですよ。その子の罰の悪そうな顔も色あせておりません。
と、いった想い出はいいも悪くも案外長く生き続けるもんです、旦那どうですか、ほら、あっしの額から木の芽が出ているの分かりますでしょう。
この時期はいつもこうなんで、もう慣れましたけどね。産毛が植物に変化するのですから。そのカブトムシは偶然あっしの額に止まったから捕まえたんですな、どうも自然界より季節が早く訪れるみたいで、この間も黄金虫とか玉虫とか精霊バッタとか、スイッチョンがやってきました。
虫の世界も大変みたいですよ、色々とよもやま話しする連中もいて、まあ大概は世渡りがどうしたとか、子育てに追われ昆虫採集にも行けないなんて話しておりやした。はあ、虫も虫を捕まえたりするんでしょう、あっしにはそう聞こえましたけど。
えっ、このクワガタですか、どうもしやせん、ちょいと手のひらに乗っけてみるだけで、その辺の草むらに放してやりますよ。

 

●岬にて  http://jammioe.hatenablog.com/entry/2014/01/19/155006