美の特攻隊

てのひら小説

投函 〜 あの夏へ 6

純一の舞台は、こうして予想外である朱美の出現によって早々と崩壊しはじめた。もっとも、崩れだしたのは外壁であって、中心部に宿った暗室の天蓋は淡く差しこむ月光の親和に守護されていた。

三好の家で育った朱美は、後日運ばれてきた自分の荷物をひもといてしまうと、細々した雑務や調理の手伝いなどをこなしはじめた。恐る恐るうかがう心持ちに異変が生じたと云うより、異変はこのまち全体の空気を含んでいるようで、不思議なことに朱美の立ち居振る舞いにほのかな郷愁が嗅ぎとられ、ずっと以前からそうであったような錯覚を純一にあたえた。
それはまた、身近に遊泳する禁断の人魚を夢想する他愛なさを植えつけた。
中肉中背の彼女のからだつきは、夏着の軽装によって香る圧迫を示しだし、張りきった胸元からくびれた腰つきが階段を昇降するたびに、そして悩ましげに内股がこすれあう様に、魅入ってしまうのだった。
古い民家を改造しただけの室内はところによって、ほの暗い空間を時のうしろに残したまま人気を待ちわびている。
そんな薄明るさは、朱美の肌の白さを吸いこんで増々照度を上げ、細いひと筋のひもが鎖骨にそって両肩を滑りゆくまま素肌をあらわにしている浅葱色の服装を、隠微な風姿に仕立てあげた。

ほとんど納戸になっている部屋へ普段は使わない大皿を取りに入った純一は、何やら片づけをしていた朱美の浮きあがった柔肌、ちょうど深く切り下げられた胸の谷間に米粒ほどのほくろを見つけ、
「あっ、居たんですか。えーと、藍塗りの魚の絵柄のお皿ってどこにあるかわかりますか」
いかにも忙しい素振りで、動揺している心中をまぎらわせるように呟やくと、
「これのことかなあ、団体さん用の二皿ね、鯉がはねている模様が書いてあったと思うの」
記憶をさぐるまでもなくめぼしい棚の奥を探って、土色になりかけた箱を両手で抱え、
「悪いけど、これ取り出してくれる、わっ、ほこりかぶっちゃって」
ふっと息を吹きかける仕草をしてみたのだけれど、塵が舞うのを懸念したようで、
「うん、畳のうえに置いて」
と言い純一を促したとき、もう一度まじまじと白州に据えられたような黒点に目がいってしまった。
大皿のふたを開けてみるまでのほんの束の間だったが、彼には部屋中が軋んで淀んだ空気がぶれ動いたふうに感じられ、あきらかにその時間は実際よりも長かった。
ほこりがゆっくりと積もっていくような狭いところでは、意中も伝わりやすいのか、純一の視線に偶然以外の気配を察した朱美は、
「やだ、ほくろ、恥ずかしいわ、目立つでしょ。段々と大きくなるの。とっちゃおうかなって思ったんだけどね、知り合いに聞いたら、それは賢女の徴だからって言うもんだから、わたしもその気になってたんだけど、結局出戻りしたっちゃし、占いなんて当てにならないわね」
と言い、ほくそ笑みを浮かべながら、すでに開かれている胸の右側の端をさらに掻きおろした。
すると真ん中あたりに思われたところより、やや右の部分にあらためて徴が見いだされたのだが、それを凌いで気がかりになったのは、浅葱色のなかには何も着けていないのか、乳首までは覗けてないもののふくよかな胸の隆起が、部屋の陰りにくぐもることなく顕然と純一の瞳に押しよせている事態であった。
「もっと大きくなったら、邪魔かもね」
声色になまめかしい余韻はないにしろ、これほど近くまで朱美に接したことのなかった純一は、ゆっくりと顔をあげるのもためらい気味に、相手の目を凝視するまで至らず、しかし、内側に折れ曲がってくいこんでしまう想念が、斥力とともにもたげ始め拮抗するさなか、ふたたび性急なまばたきの裡になぞったのは、帰省のおり印象深かった小鼻の端から頬のかけて点綴する吹き出物だった。
一点の艶やかなほくろより、その肌荒れがとても卑猥に感じたのである。