美の特攻隊

てのひら小説

投函 〜 あの夏へ 7

純一の儀式はこのまち赴いたその夜から再開された。いや、儀式などの形式ばった天井を吹き破った、無礼講による解剖室の祭典と呼んだほうが実質に近い。
ならいっそはっきり「自慰」と言えばよいものだが、曲がりなりにも少年には少年の美学が息づいていた。むろん独断的な美学なのだが、性衝動と対峙する姿勢には、単に肉体へ巣食う曖昧な欲情を制するだけの禁欲精神では不十分であり、肝要は性欲の対象といかに関わりあうかと云う命題に集約された。
それは色欲による意識の変遷など、ありふれた官能小説における心理分析とは態度が異なる、もっと科学よりの自己解剖であった。

納戸部屋から大皿二枚を抱えて厨房へ戻った純一は、そこで初めて箱から出された藍色の陶器と対面した。
「昔ここは旅籠だったこともあって、これは、なんでも戦争前からこの家にあったらしくてな、無銘の焼きだが、見てみろや、この鯉のなんともいえない跳ね具合、それと怖れを知らないうっとりした目ん玉、こう云うのが生き生きしてるってことなんだろうな」
三好は年に一度使用しするかしないかの大皿の絵柄を調理台に乗せると、蔵出しされた祭具にでも見立てたふうに、しみじみと眺めながらどこか遠いところを懐かしんでいるような面持ちで、ひとり言ともつかない声をしぼった。

純一は儀式の最中にその言葉が、とぎれとぎれに、また少し語彙が差し替えられ、だが結ばれる意味は決して明白でなく、それは徐々に高まってゆく快感により蒙昧とした霧にさらわれだした意識の乱れを受容しかけた、次元の異なる言語作用であり、肉感以前のまだ耽溺にいたらない不器用な夢想への導入部となった。
握りしめた掌は弾みがつきはじめ往復が激しくなるに従い、整頓された言葉は水気を含んで紙のように溶けて滲み始めると、語感もおぼつかない混濁した想念が無作為に、時には強引に脳裏の片隅から呼び戻しながら、ところかまわず飛来してゆく。
絵皿の目は、まさに宙へと跳ねあがって、己の恍惚があふれる源は眼窩へ貫いていることを思い知ることとなる。
それから性急なまでに追い立てられ濃縮される断片図は、変容の度合いが不安定なまま、白熱を帯びた女体像へ思いめぐらすと、様々な角度から照らしだしては、反対に翳りで覆わせつつ糜爛した恥部をかいま見せ、更には局所から周辺へと満ちゆく潮のごとく、肉塊が、陰毛が、くちびるが、睫毛が、鼻孔が、あるいはふぞろいな乳房が首筋へと連なる様子が、欲望によって還元されてしまい、不確かなうちにある特定の面貌を形成しようと躍起になった。

抵抗することなく引き受けられる、横顔、長い髪、白い襟足、伏せたれた眼がゆれるまなざしへ、なめらかさを想起させることで乱れを強調するやや荒れた素肌、尊厳さえ漂わす色香は朱美の表情を水面へ、浅く沈めるようにしてはおぼろげに浮かびあがらせ、淫らな妄念がゆるやかに流れだす。

つかみとれない微笑から覗かす唾液に濡れた歯、、、梨菜との乾いたふれあい、いや、怯懦で乾ききっていたゆえの無骨な覚悟、、、可能性さえ覚束なかった隔絶した性欲の対象、、、間を置いから押し寄せる後悔の念と、あらたに陵辱が入り混じった攻撃的な偽装の本能。
しかし、何ものにもまして確実に陶酔を約束するうしろめたい色欲を純一は信頼していた。背中に注視を浴びつつ、舞台から消えゆくときに押し寄せる役者の心意気のように。

夢想の輪郭は浮上しかけたかと思えば、今度は虚実ないまぜになった様々な首がそれにとって替ってしまい、ぐるぐる水しぶきをあげながら旋回し始める。
モーターボートみたいに視点を抑えることの至難さを投げつけるかと云えば、そうではなく、却って回転する独楽を見つめるときに生じるあの澄んだ情動にも似て、様々な色合いが高速によって単一の、しかし風化したような、液化したような、純然たる化学反応の悦楽となって生体へ一直線に打ち響いて来るのだった。
巻き戻される映像、、、パンティがいかがわしい手つきでゆっくりと脱がされるときの、そうやってあらわになる黒い茂りようの、自由になった剥き身が開かれる際の、あらゆる欲望がその一瞬に収斂されるかの狂おしい閃光は、幾度となく繰り返すことで、まるで金打ちされる刀剣から飛び散ってゆく、熱く冷たい火花となって過剰な目くらましをあたえ続けるのだ。
この残像こそが最大の刺激となる。
引き下ろされるパンティはこうして無限の日めくりと化し、純一に至福の夜を過ごさせた。