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美の特攻隊

てのひら小説

投函 〜 あの夏へ 18

振り返っても、そこに届きそうなくらいの距離しか持たないと感じさせる夏陽に、まだ惜別を情をはらませる理由が見つからないのはおそらく、時間への配慮が瑞々しい気持ちに包みこまれており、あえて刻一刻この身に知らしめる必要がないからなのだろう。
秋の光が天空を渇かしながら、けれどもまだ森林の濃い緑が保有する湿り気に覆われていることで却って鮮明さを醸し出すように。
さながら淡い恋ごころを涙で確信的な情感へと高まらせると云ったふうに。そう、あらかじめ失われているひとときをつかみとる為に、反対に自分からそれらを囲繞するためにも。

おだやかな波のリズムのようにして風は幾度となくレースのカーテンを揺らし、さまたげなさそうに部屋へと運ばれた。
涼風によって造形された微笑と共に、初恵が差しだして見せたふたりを収めた携帯画像が、一枚の絵画に思えるのもこの秋風がもたらした錯覚だとするなら、やはりときの過ぎゆきはこの気持ちのなかで川面の夕映えのごとく輝いているに違いない。
川の流れの照りは目に愁いと優しさをあたえてくれる。
そのわけは言うまでもなく、流下する光の粒子たちが過去と未来、そしていまの瞬間をせつなく同居させようと懸命に努めているからである。
むろんのこと純一は、初恵の笑みを慈しみ、こころの底から情熱をくみ上げ季節のうちに、いや季節の推移をも忘れさせるくらいこの夕映えをとどめ置きたかった。
だが、彼は光の粒が水面に散らばるように、川底にも光明が浸透している模様を想像する。
それは浮上することのない明るさではあったが、忘れ去ることが出来ない想い出と同じく、決して純一から逃れることのない花影に似た性質のものであった。
すでに旭日と夕日は溶けあっていた。そして月影へと想いは知らぬ間に流されているのだった。

もし運命の番人がこのふたりを見守っているなら、彼らの衣服をもう一度脱がせ、からだを結びつけながらため息まじりに、こうつぶやくと思われる。
「もっと肌と肌を密着させておくべきだ。間隙をさがすのがやっかいな程に、そうすれば多少の邪魔が入り込んでみても簡単には引き離されはしない」

純一の胸中に初恵以外の異性が潜んでいる事実は、とりもなおさず彼自身を燦然と輝かせる光源であった。たとえ内密にしようと努めるまでもなく、初恵とからだを合わせているさなか、
「ねえ、それでその子どうだったの。いいのよ隠したりしなくたって、わたし気にしないから」
と、思いがけない拍子で秘事のふたがひろげられてしまい、馬鹿正直にことの次第を話してみるほうが、相手に対し真情をしめしているように思われ、また自分にとっても誇示されるものは、意気込みの手前で抑制され殊勝さをまとうことによって、告白は上位に高まり、落ちつきが良くなるはずだった。
手鏡のなかに初恵の顔も一緒に並ばせると云った具合に。
そして、純一の思惑に呼応するとでもいうように、今度は彼女から更に確証を抱かせる、ふたりしての撮影が行なわれた。
ふとした勢いで写されただけでは説明のつかない、目には見えぬ指さきがその引き金を弾かせただろう。
運命の番人には、そんな不自然さに宿る暗黒の意志が見通せるため、彼らが出会って互いの名前を口にし、それから東京出身であることを聞かされた際の初恵の反応を踏まえたうえで、ことの成りゆきに必要以上の吐息がもらされるのだった。

この町にはめずらしい「磯辺」と云う姓、直感が適中し、眼前に危難が迫っているのになす術を持たない、それどころか進んで逼迫した嵐の渦中に飛び込んでしまいそうな奇態な意思、、、一年前の夏、帰郷する列車で遭遇した人物に結びつけられるまぎれもない予感は、いったい初恵をどこへ向かわせようとしていると云うのか。