美の特攻隊

てのひら小説

投函 〜 あの夏へ 22

船着き場を横目に勾配が急になりつつある坂にさしかったあたり、右手には防波堤を乗り越えていくような浮遊感が運転席からも心地よさをもって高まりはじめ、その彼方に解放されている蒼海が見る見るあいだに視界に収められる。
陽光のみなぎる鮮烈さは、フロントガラス越しに反射している木々のざわめきをしらしめるよう、道なりに伸び続けるガードレールの力強い影へと挑みかけるかがやきで加速し始めた。
中腹へと上ってゆく山道には豊穣な草木が覆いかぶさるようにして、陽射しをさえぎっているのだったが、そうした木陰に決定的なコントラストを示しているのか、さながら網の目からこぼれ落ちたひかりの鮮度は、その場その場で産声をあげるいると云ったふうに圧倒的な明瞭さで束ねられている。
わけても木立が描きだす線状の陰影は、そんなひかりの束と交互にせめぎあって、初恵の網膜に明暗を強く焼きつけていった。
曲がりくねった山道の走行は、まさにひかりのシャワーを浴びている感覚をもたらす。
そして時折、山深くなった光景に隙間が突然現われ、ふたたび目が釘づけになるほどの海原が荘厳に沈滞しているかのようだ。
そのころにはすでの下方へと眺望されるのだけれど、葉緑の濃さにも増して紺碧にたたえられる海の色彩は、遠方に浮かべさせている小島の緑をも剥奪し、上空高く自らの諧調を謳歌する調子で、晴れわたった大空もまた、領分への配慮を心得ている。
白雲の謂いに饗応しているのであろうか、対岸から小島のあいだに見られる潮の流れは、まるでたわんだ投げ輪の如く海上に白く脈打っていた。
所在なげにも映るが、そのじつ生き生きとした海流であることは、原風景に対し拘泥すればするほどに無力感を覚える、あの壮大さのなかにあっては当然の帰結になろう。
そう、鳥瞰する心性が育んだと云うよりも、もはや非現実にと傾斜しかける太古への旅路を通じて。
宇宙の彼方の天体を眺めるときに知る、奇妙な一体感とも似て、稜角が削られたまなざしの鎮魂となる。

眼前の草葉が風にそよぐと、そんな深い色で培われていよう海面が波立つと見まごうのも素晴らしいこと。
さきほどから、車のエンジンを切り、その垣間見える場所に佇んでいるのだった。
「たしかこの先にみかん園があったはず」
初恵は高校のころ、みかんを形状選別するアルバイトを短期間ではあったが、そこで手伝ったことを思いだし、まわりのおとなから、
「帰りには手先は黄色くなるよ、いいや、みかん色になあ」
と、親しみとも嫌味とも関係のない激励を受けたことなどを振り返って独りほくそ笑みながら、車中に戻り先へと走り出した。
次第に傾斜が意識され、いくらか大きくうねりながらも、そう時間も隔てることなく、気がつけば自然の草木がきれいに取り払われ、こんもりとまとまったみかんの葉が右側の沿道からあたまを覗かせ始めた。
向こう岸は遠景として明確なすがたを形作って、その湾内として望められる海の蒼さに変わりはないとしても、随分と下界に見おろす恰好になっている。
決して山頂には至ってはないのだけれど、菜園として切り開かれた上方から窺う様子と、勾配の加減で切り取られる風景によって、登頂への予感が爽快に訪れるのであった。
もう一度、停車しようと考えた矢先、道なりは急なカーブであったので、徐行しかけたそのとき初恵の瞳へたち現われたのは、自転車をゆったりを手押しつつ海を見おろしている、ひとりの少年らしき風体であり、その以外な遭遇は、ちょうど猿とかの獣に出くわした際の驚きと似ているようなのだが、しかし何かが異なる不思議な動悸であった。
現に民家のある山裾から中腹にかかった辺りを越えたときから、すれ違う車は一台もなく、ただひたすらに太陽光線が照りつける意志の裡に擬人的なざわめきを聞き、刻印される山木や青葉の暗影に点在する喧噪を想じたのである。
なおかつ木々の下、まっ赤に彩られた自転車は、その視線のむこうには碧海とぬけゆく蒼空、そしてまわりには深玄たる山の調べが、絵画的な配色のありようで中枢神経を服従させている。

初恵の胸に早くも去来する、はぐれ雲のように意味の定まらないときめきは、さまよえる小舟を見失いつつ眼下に縮小され収まってしまった。
しかし肉眼では決して見られることのない波頭がいつも静止を表出してみせながら、無軌道な連破へとあらたなリフレインを求めるように、思わぬ波立ちは章句の連鎖に似て、ある必然性のうちに曳航されているのであった。