美の特攻隊

てのひら小説

投函 〜 あの夏へ 27

新幹線でN駅に到着した磯辺孝之は、特急へ乗り換え待ちのあいだに純一の消息をようやく得ることができた。
三好の主人から直接の連絡であった。
「だいじょうぶだよ、意識もしっかりしているし、本人は歩けるって言ったそうなんだよ。骨折はしてないようだ、打撲程度ですんでほんと不幸中の幸いだって。ただ、右の眼が痛いっていうから、精密検査を、ああ、もちろん、全身診てもらわないと。そういうわけだから、、、」
孝之は受話器に張り上げる三好の声が、ホームの拡声器を通して上空から鳴っているのではないかと思われた。その声色には狩人が何年に一度しか捕らえられない獲物を手中にしたような喜びがあらわだったからである。
孝之のこころも躍った。
だが先程までの曇った気分は、一気加勢に霧散される義務に反撥してみせるように、青雲たなびく空と同じく足もとから彼の胸へと、まるで地面に鏡を敷きつめたような反射になって映りこむのだった。
それゆえに三好の笑い声は天上から降りてきたのかも知れない。
善きしらせに安堵してみせるとき、うわずった明朗さに茶々をいれてみたくなる心情が、幸福の証しであるならどんなに素晴らしいことだろう。
だが孝之にとって幸福とは、ある意味不可解なものであった。
閉切ったはずの扉からわずかにひかり差す情景に頬をゆるめながらも、眼は凍結した視線を維持し続けてしまうように。
そんな観念が今ここでわき起こったのではなかったが、純一の安否がわかり次第さらなる厄介が待ち受けていることは明瞭であり、勝利の凱歌にあわせ判明した息子の事故の顛末を聞くに及んで、より錯綜した意識を引き延ばしてしまうのだった。

「しかしまあ、なんであんな山のうえから転落したんだろうね。夜中だったっていうし、でもよかった、あんなとこ猪か猿しかいないもんな。農園のひとがたまたま赤い自転車を見つけてくれたお陰だよ」
孝之は純一から初恵との出会いが、三好荘の後方に高まる山腹であることを聞かされていた。
さきほどから三好の話す山は間違いなくその付近だと思われる。
今朝、投函した初恵宛の手紙のなかに記した内容が、はやくも白々しく技巧的なひとりよがりの文面となってしまった事実に赤面し、けれども手遅れな筆消しに悔恨ばかりを傾けてはおらず、去来するのは羞恥があたまから逃げだそうとしているのを自覚することであった。
「そうだ、三好に訊ねたら初恵との直接対話も可能になる。それは少しも不自然なことでもない、すぐにでも彼女に問うべきなのだ。なにを、、、いや、かまわない、純一の情況だけを問うてみればいい、そうすれば、、、そうすれば、すこしは落ちつく」

わずかの間にめぐったものは意識の循環などではなく、船酔い客が乗船まえに想像とやらで余儀なくされる怯懦の予習であった。それは他でもない、波間に揺れる感情がいつまでたっても鎮静されない自然の理であった。
「じゃあ、昼すぎに駅まで迎えに行くから。孝之さん、そう心配しなさんな」
結局、意気盛んな三好のほうが実の親より、たとえお祭り騒ぎに似た気概を発しているとはいえ、悠然と事態と向き合っているではないか。
そう考えながら孝之は、初恵が幾度となく書き示した影法師と云う言葉を反芻してみることで、自分の行動を正当化する機会をあたえられたと思いなおすのだった。
「純一は死んだわけではない、ちょっとした遭難だったのだ。これを期にあいつも生まれかわる」

特急列車に乗り込みながら、沈着さがあのまちの方角より自分のもとにさざ波のように向かってくるような心持ちがした。
それは皮肉にも焦る勢いですがりつく方法を回避した結果こうして得られた。

 

 

手紙 〜1 http://jammioe.hatenablog.com/entry/2014/05/22/024358
手紙 〜2 http://jammioe.hatenablog.com/entry/2014/05/24/030152
返信 〜 気 http://jammioe.hatenablog.com/entry/2014/05/26/033441
返信 〜 衝 http://jammioe.hatenablog.com/entry/2014/05/28/034430
返信 〜 纏 http://jammioe.hatenablog.com/entry/2014/05/30/021947
返信 〜 訣 http://jammioe.hatenablog.com/entry/2014/06/02/035334