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美の特攻隊

てのひら小説

投函 〜 あの夏へ 32

孝之は素直に従った。初恵の言葉にではなく、夢の言葉に対してである。
過失と裏切りと用いながらも、信頼と治癒をつかさどる、己の王国、あるいは過剰なる鬼門。
紋切り型の鍵の象徴などは、文献のなかに考察するべきであり、さながら家族だんらんのクリスマスみたいな宙に浮いた気安さと、時間の連鎖からくる重圧の気まずさに、双方で反撥しあっている加減だと辟易していた。
ここで孝之が居残りをきめこんだわけはもっと別のところにあった。
それは初恵の夢を拝見してみようと願う小さな戯れであり、体温をもたない純一の手が語るものは意識分配のなせる業であることを了解するように、初恵の仮面をその、のっぺらぼうとやらの顔面に当てはめてみることで異相へ歩をすすめてみようと考えたのである。
決して類型や形式や画一性が醸し出す、洗練を目論みる挫折精神を蔑んでいるのではなく、むしろ頓挫しかける危惧を予測し、均一へと圧縮をかる姿勢は、金の延べ棒を作り出す単一でありながら価値感も維持し続ける、継続の美学が日常へと降り注ぐ陽のひかりと化して、それ相応の充足をうながすからであった。
貨幣は通俗でなければ流通しない。これは重要な理に違いない。

高みの見物にも似た安逸さは、舞台を随分と居心地のよい環境へ転化させる。
孝之が手渡した木製の鍵にようなものは案の定、初恵の看護士を彷彿させる手つきによってふたたびベッドの純一に還元された。
注射針を打つ手先に似た案配で、小枝が眼帯のうえから突立てられると、その時点で孝之は再度、夢見の冒頭に巻き戻され「だんだんとのびてくるんだ」という悲痛をにじませた声に回帰されて、純一の全身から発している憐れみが倍加し、それとともに孝之の霞がかった意識はあらたな回廊を構築させようと企てるのだった。
夢の途上の覚醒も又しかり、それは泥酔きわの人間が、ときおり平常心で時間を顧みるように、間近の様子をうかがうと云った、健康的な生理現象であった。
孝之は苦笑を顔面にも懐にも隠しきれない、こぼれだしてしまう展開を思い浮かべながら、初恵と純一が演じる喜劇を鑑賞することに専念した。予想から逸脱してくれることにわずかな期待を抱くことで、桎梏からの微少な逃亡が許されるのなら、夢はか細い切り傷によって、大きく震えることだろう。
「初恵さん、さあ、拝見しよう。その目に痛ましく突き立てた鍵とやらはどんな効果をもたらしてくれるのだ」
「父さん、見て下さい」
唐突な息子の反応は父を見事に裏切ることで、合格点を獲得する信頼を勝ち得えた。半身をもたげた純一は、何と先刻自身で抵抗をあらわにした行動を速やかに実行したのである。
怪我人を怪我人たらしめていた刺は、誰よりも容易にあたかもくじ引きするような賭けの、あるいは模擬演習における緊迫感の低下のもと、純一から離れ去った。
孝之は形状によって構成される、物語の神髄を予察し予定調和に納まりゆく、美学を再評価するこころづづもりであった。
なぜならば、夢の夢とは覚醒と分ちがたい真理で、もの言わぬ仏像のように静かな尊厳をこの世に蔓延させているからである。ウィルスと同じく目には見えないけれども、抹香の雲煙でもって地上から天上へと、風船のごとくそれは運ばれてゆく。

さて孝之は確証を得たのであろうか、、、彼の夢想は平板な修羅を思い描いており、返り血が噴出する様が舞台装置に誇張される場面へと開示されるはずであった。
息子の右目からはとめどもない流血があふれ出し、辺りは塗りこめられた赤光の反射に染まりゆくのであり、それでも崩れ落ちない我が子の偉容をしっかと抱きしめながら、夢見の主人公たる己にようやく様式美で統一された落涙を容認する。
そうして涙目で霞んでしまう初恵のすがたに向かって、曇り空を見遣る目線のまま佇み、涙は夢の皮膜を浸透し持ち越されるのであった。
ところが実際には、たゆまない創造精神は、ものの見事に咲乱れる花園の芳香で孝之を裏切ったのである。取り除かれた眼帯は清廉な白さのまま、ただ一点が、それは針を突き刺してみたあとで赤い水玉のように浮き上がってくるほんのわずかな赤味を、その中央へ克明に色づかせつつあった。
しかし、どくどく脈打つあふれる血液でなく、苦笑いをもって例えられるのは、あの弁当、白米の中心に鎮座する日の丸弁当に他ならない。それは明徴なしるしと呼べるのだろうか。