美の特攻隊

てのひら小説

夜の河〜11

久道の大きな危惧の念とは、とにもかくにも彼の主張する神秘の扉が開かれたとき、果たして人々、軍事大国首脳らが、どのような対処をもって未知なる存在を受け入れることになるかと云う事態にあった。
だが、長年の考察によれば世界各国にはすでに異星人の塁家とも呼ばれるべき一族が太古の昔から棲息していて、その実体はフリーメーソン創設時からも介入しており、秘密結社がもつ秘匿された高度にして驚嘆すべき技術を久道は、人間離れした奇跡的なものだと信じこんでいた。

そんな彼の意見に対し大方の反応はまやかしでしかないと、あたまから否定する限りではあったものの、なかにはまれに生真面目な論客もいて、
深沢さんの話しはいくらか飛躍しすぎたところもあるけど、大体において仏教の究極が億万光年の彼方へとひろがっていく宇宙空間的な哲理をもっている以上、あながち現実遊離した論理ではないと思うのでして、あくまで精神論とした上での言い方ですが、ギリシャ神話とか日本の記紀に登場する神々だって争いごとをして勝者が讃えられるわけですから、結局、強いもの偉大なもののほうに聖性を求めていくのが業と云うものでしょう。
深沢さんが人格神をより絶対的な巨大な装置として(これは例えですけど)備えつけて、自らもその装置のなかである種の開放感を得られるのであったら、裏付けが独断であろうとも、本人がそれでかまわないのなら、人にとやかく言われる問題でもないですがなどと、久道の琴線に際どく触れつつ、最終的には誇大妄想のゆえんを力学的な位相から計り直すもの言いは頼もしい共感者になり得るはずだったのだが、あらためてひとからそんな意見を聞いたところで、正直それほど感激するわけでもなく、というのもすでに久道自身が重々知りつくしており、いわば確信犯がことあるごとに、己の信条を一から説明しなければならない煩わしさに辟易してしうまう場合と同じく、もはや超常現象全般は微動だにしない確信として屹立したのだ。
いうなれば取り替えの利かないいきり立った男根そのものである。

これは有無を言わさぬ根源的な体感として、彼が時折放出する精液の粘り気もまた過剰なしたたるい成分をまとわりつかせ、まるで蜘蛛の糸のごとく、全身が分泌液にまみれているかのようであった。
が、そんな特異な性質の保持者であるという自負が久道を陶酔させるのだった。
隠されたものに心底あこがれを持ち続けることで、現実から逸脱しようとも、精神の根っこではそれらも所詮夢見るロマンの発露でしかない。
そんなふうに案外さめた情熱がくすぶっているだけなのだと割り切っているとすれば、そこに薪をくべることがまさに生命力を燃え上がらせることになり得る。
久道は決して自らを霊能者や超能力者であると微塵も考えておらず、ただただそういった存在に触れたいがゆえに情熱をたぎらせているだけなのだ。
それはちょうど作家にあこがれる文学青年が、いつの間にやら作家気取りで書き物をはじめる仕草に似たものだろう。
もっと卑近な例を上げれば、アイドル歌手にならって髪型をまねてみる心根も同様の形態である。
久道のアイドル、つまり偶像は太陽系規模から離れた無窮の彼方に存在しており、何万光年の先からやってくる光が今ようやく夜空を見上げる肉眼のうちにとらえられるように、いつしか必ず異星からの訪問客が現れると心待ちにしているのだった。

まわりからすると風変わりな思考に映るだろうが、久道にとっては日常を豊かなものにしてくれる、大切なドラマに違いない。
彼が夜毎の夢見にある着想を見いだしているのも、いかに日々を充実した精神で送っていこうとしているのかがうかがえる。

あくる朝早くサイレンの音を耳にしたような気がしたのだが、まだまどろみのなかにあった久道は、妻や子供らが騒がしいのでしぶしぶ起きだして何事かと問いただすと、
「たいへん、前の川に女の子が落っこちていたそうよ。救急隊が来てさっき助かったみたいだけど」
そんな妻の言葉がまだ夢のなかから聞こえてくるように思えたのは、超常現象を前にして立ちすくむ、あの恐怖と感動が交じり合った複雑にして明瞭な認識が訪れた為だったからであろう。