美の特攻隊

てのひら小説

霧の告白

もうどれくらいの歳月が過ぎ去っていったのやら、目の前の君にはどのような風貌が映っているのか、考えただけで気が遠くなりそうだ。
で、私を訪ねるにあたってお断りしておいたとおり、何ぶんひとに喋るという機会は皆無でこの住まい同様、まあ手狭な家だが朽ち果て枯れておる次第でな、始めるまえからもう疲れを感じてしまっている。
だから要点をしぼって応えようじゃないか。
フランツ、、、ああ、それでいいとも、私はかつてその名で呼ばれ召し抱えられていた。むろん、あの城以外では別であったが。
あまりに長くしみついた名前だよ、執事フランツ。おおよその見当はついているんだろう、どうしたのだ、そんなに怯えなくとも大丈夫、君がぜひというからこうして老醜をさらしているのじゃないか。
ごらんのように私は君の兄貴くらいの年齢さ、あくまでうわべはね、兄さんはいるのかい、、、いや、どうでもいい。
つまり二百年も生き長らえてくると途中から加齢は意味をなさなくなる。
もう少しくつろぎたまえ、心配は無用、君をその、、、どうこうするつもりなぞ毛頭ない。いつか誰かに聞いてもらうべき巡り合わせだったのだから。

ベロニアならよく覚えている。とても知的で美しい顔をした娘だった。貴族の血を引いているともっぱらの噂だったよ。お嬢さまが授かる以前からあの城に、つまり養子にだな、、、その辺の事情は語るまでもなかろう。
当時の私といえば、体よく城主に取り入って職務にありついたわけで、委細は省かせてもらうが大陸を縦断し海を渡った変わり種だからこそ、見識を深め機知に富んだ配慮が養われたに違いない、そうはやし立てられたものさ。
私は鋭気に満ちあふれていた。
そんな華やぎに対するまわりの呼応は、冷ややかな笑みを絶やさぬ権力の顕示であり、底にあつらえた従属を認めさせることだった。とはいえ、それはたいそうな歓待ぶりでな、まるで賓客あつかいだったよ。
執事の肩書きは名ばかりで、夜ごとに開催される怪しげな催しでの目配り役が私の努め、城主の機嫌を見計らいながら虚実ないまぜの見聞を披露する。
あるときは気位の高い親族らに、あるときは衒学におぼれる貴族連中や裕福な商人を相手に。

蜜月に影がさしたのは、夜と朝の境い目を肌に感じる頃合いだったろうか。いや、これはたとえだよ、実際には宿痾がわざわいとなったのだ。
これも仔細を説明していると幾晩かかるやら、とにかく城主は私の血生臭い本性を見抜き、私はあえて糊塗するすべもないまま、口許をわずかに歪め昏い微笑を床へ投げかけた。するとどうだろう、半ば放逐を覚悟していたこの身に曙光が降り注いだのだ。記憶は遠いがその情景は鮮血のしたたりに等しい。
相手は生身の人間、私の異形を知り尽くしているわけではなく、また知り得ることがどれだけ精神の犠牲になるかを瞬時に悟ったと思われる。そう、触らぬ神にたたりなしだ。
もちろん私はどう転んでみたところで神とは無縁、悪鬼の誉れこそふさわしいが、特殊な能力なぞ宿してはいない、ただ、、、食が細いというだけさ。皮肉に聞こえるかな。
盟約は実に簡単だった。城内の悪行を、つまり吸血を禁ずるかわりに、他の領地における行為は目をつむるという見解の一致であり、いわゆる専用の酒蔵を提供してくれたのだ。これで葡萄酒の香りとおさらばできた。

しかしだ、所詮は厄介な荷物に違いなく、可能なら速やかにこの地より消えうせて欲しいのが本音だろう。
ところが私は歴代の主人に仕えてきたふうな勤勉なる従僕の面差しを張りつけたまま、忠誠心をその目の奥にたぎらせていたから無下には扱えない。
こちらの狙いはそこにあったのだが、おっと飛躍しないでくれないか、私は妖術使いでも手品師でもない、夜露をしのぐために蝙蝠に変ずることも叶わない異形にすぎぬ。
野獣の牙さえ隠しておけばよい、城内の居心地から放浪の旅に舞い戻るのはもうご免だった。つまり人間らしく生きようと心底願っていたのだ。寿命がどれほどか計れはしないけど、のたれ死になんかしたくはなかったのさ。
舌先で嘆願するより、私は行為で自らを証明してみせた。忠実なるしもべ、異端の横顔は持参の仮面と異なる主人の朱印が記されたもうひとつの面に被われている。
これで誰もが疑心暗鬼ながらことなきを得ると思っただろう。熱病が領内近辺に蔓延さえしなれば。
私の存在意義を薄めるため、もっともらしい症状をうたい病床に臥したと皆が触れまわってくれたお陰で、現実に猛威をふるった熱病すべてが自分に押し寄せてくるとは想像もしていなかった。
牙を抜かれた異人に今度は一致団結の刃が向けられたのだ。残された道は蟄居するしかなかった。

このあとの顛末は君がすでに書いている。
メデューサの像を邪気払いにわざわざ取り寄せたこと、主人までが病死したこと、ベロニアを慕い続けたシシリーが夢を見たこと、そして家僕のペイルが老衰で息をひきとったこと。なんだって、今なんと言った。その名前をどこから、、、馬鹿げてる、茶番だ、やめてくれ、ニーナなど私はなにも知らない。

これで話しは終わりだよ。君にとって有益な情報は尽きた。うそじゃないさ、もう空が明るみだしている。