美の特攻隊

てのひら小説

愛しき狩人

誰もがうらやむ境遇にあることを認め、なおかつ優雅な風の吹き抜けを当然と思いなしては、みぞおちあたりに妙なくすぐりを覚え、それが何の仕業かわかろうともしないまま、不敵な笑みを浮かべるのがマリアーヌに備わった美質であった。

まぎれもない鏡の作用、そう感じ入るために光線は微妙なさじ加減をあたえていたと思われる。
マリアーヌにとって過ぎゆく時間は朱に染まった砂時計のように、無味乾燥ながら鮮烈な光彩を音もなく放ち続ける幻影であり、児戯に等しい空疎な身支度であった。
だが、陰りある微笑のうちに息づく繊毛のような動きには、黄昏の上空へと羽ばたいてゆく限りない衝動が織り込まれていて、その嘆かわし気なまなざしにまどわされる者は親族や召使いたちだけでなかった。

「おいでシシリー、茂みにひそんでいる獣を生け捕ってやるわ」
いかにも首尾よく獲物をしとめるふうなくちぶりだったが、それこそ鼻歌と変わらぬぞんざいな響きがうかがえる。
しかし、まやかしだろうと気まぐれだろうと、意義をただしてみるだけの抵抗は少しもわき起こらず、つまり令嬢としての振る舞いが魅せる圧制によって、おのずと戯れを許してしまうのだった。
それだけではない、小悪魔が身にまとった薄衣の芳香に酔いしれている甘美な自覚さえ得て、こうべをたれ、ひざまずくことを厭わなかったのである。
シシリーはかつての詰問が身にしみていたので、ことさら卑下していると見なされるかも知れないが、ベロニアを慕う心情とは別の想いが働いており、その思慕はしもべの粋を越えていた。

「獣なんか、もうみんな追っ払ってしまったから蛇くらいしか見かけない。それでもいいさ」
あたかもメデューサを前にしたベロニアの為、ヤマカガシを払いのける意気込みをのぞかせてみても、理由づけには及ばなかった。
「先に行って見ておいで」
高飛車な口調に叱咤されるようにシシリーは猛然と草むらへ駆けこむ。
「食い殺してはいけないわ、見つけたら吠えるのよ」
マリアーヌの声を背にしながら、眼を輝かせているばかりで鼻を効かそうとはしない。
令嬢を軽んじているわけではなく、あくまで虚しい遊戯に没頭したいが一心で、まばらな陽が落ちたにじんだ草の根をにらみつけている。

四つ足の裏に伝わってくる冷気を保った感触が心地よい。
「このまま、深い森のなかに吸いこまれていきたい。そして鎮守の精霊たちに入り交じり、ベロニアの影を呼び寄せるんだ。お穣さまと一緒に、、、ああ、ペイル、もちろんだよ、あなたも」

前足に鋭角的な痛みが走ったあと、視界がぼやけはじめ灰色に濁った。
地を這う渇いた毒蛇の尾が遠のいていくのが微かに分かった。マリアーヌの声が次第に甲高くなる。
遠い異国の淡い風景が眼底を流れると、なんとも言えない香しい匂いにつつまれ気分がやわらいできた。
すぐ近くに獰猛な獣の気配を感じたが、シシリーは幼犬のあどけなさを呼び戻し、いつまでも微笑んでいた。