美の特攻隊

てのひら小説

ペルソナ〜4

緊張の糸をほぐしてくれたら、そんな久道の配慮が込められているのか、思わず頬をゆるめてしまったいかにも中華飯店ふうの皿にこじんまり、おそらく出来上がりを一度茶碗に盛って逆さにかえしたのだろう、どこかこぶりな乳房を連想させる形は色合いまで似通っており、ぱっと見に予断を許さない微笑ましさにしてやられてしまったなど、なすがままの感興にひたりながら、プラスチックの白いレンゲまで用意してくれた気遣いもおもしろく、さあ遠慮なくどうぞと促され食べだした途端、まるで腹をすかした子供の了見がひろがって、なるほどこの場は無心であるべきだ、そう考えてみればもはや孝之に邪念は被さってこなかった。

ところがレンゲでさらった焼き飯をかみしめながら、以外な香ばしさに驚いて、とにかくなにか言葉にしようとした矢先、
「具はベーコンに長ねぎ、卵だけなんです。どうですかシンプルですけど、コクがあるでしょう」
と説明を受けて、孝之は遊戯めいた葛藤を少しばかり恥ずかしく感じてしまったのである。

いくら手際よく同時に運ばれてきたからと云っても、当然麺類である五目冷や麦から箸をつけるべきであった。
若いころの経験から、ラーメンと焼き飯を一緒に注文することが多々あったことがよぎり、その際には確率的に焼き飯のほうから出されてくる場合が高く、どうしてもその癖がしみ込んでいるのだろう、又ほどよい案配で運ばれるラーメンには当然スープがたたえられ、口中に含んだものを熱く湿らす醍醐味も兼ね、レンゲですくわれ、すすられる感覚が一種の様式にまで確立されていた。
そこで気づかされるのが決まって麺類への愛着なのだけれど、こればかりは順序にとらわれる必要もない、食欲に対する忠誠みたいな行為をさげすまなくていいだろう。

孝之は反駁にも近い弁解をこころに浮かべながら、気丈な顔つきを装い久道の様子をうかがって見たものの、別段いぶかし気なところもなく至って平静な、と云うよりもとても平和な一日であることをしみじみと噛みしめているような笑みを浮かべており、胸中を悟られたと不意に突きあがってくる邪心を封じる為にもあえて、
「これは中々いけます。味付けは塩コショウに味の素でしょうか、それに仕上げの鍋はだ醤油を少々と云ったところですね。
米粒一粒にまでしっかりと含まれた香りは逃げ場を失ったように観念してますが、このしっとりとした油加減がもたらしている柔らかさには、愁いの涙ではなく、歓喜のしるしが滲みだしているのでしょう、パラつき具合が絶妙にコントロールされています」
我ながら歯が浮くような気がしたけれど、泰然とした居ずまいをあえて崩し一気にまくしたて感想を述べてみた。

「そうですか、そりゃどうも大変恐縮です。たしかに塩コショウなのですが、今回は味の素ではなくて鶏ガラスープ顆粒を使いました」
久道の返答が淡々としているのが幸いだったのか、孝之はそれ以上余計な口をはさむことなく、おもむろに五目冷や麦へと箸が移ってゆく姿が自然であるよう振る舞いを見せる。
この時点で孝之は自身の緊張を認めないわけにはいかなかった。
向かいあった久道も平然とした態度で食しているのだが、彼がどうした順番で箸をすすめたのかを確認できていなかったことは、完全な敗北とも呼ぶべき失態であり、やはりそこにはぶしつけな訪問を了解された弱みが、ちょうどあらかじめ敷かれた座布団の厚みのごとく過剰な遠慮を誘発させてしまう。

気もそぞろであったのは、あのペナントを見つめたときより定められた宿命であったのだ。
孝之にとって後ろめたさみたいなものは、たとえその姿をあらわにするまでもなく、字義通り常に人見知りする心性のように物陰へ隠れ、そっとどこか様子を見届けることに専念していた。
ホクホクする焼き飯を食べながらも、かすかに流れる冷や汗を意識して、ようよう落ち着きを取り戻した。
そんな心境を補うつもりか久道は安堵に満ちた機知をもって、
「あっ、すいません。焼き飯のスープを忘れてました。いえ、もう作ってあるんです。いま温めてきますから、さっきの鶏ガラの素を溶いたやつですけど」
そう言うとあたふたと立ち上がった。
同時に五目冷や麦の盛りつけへと釘づけになりかけそうな気持ちを刷新させ、今度は冷静なまなざしを我がものにする余裕を得られたと思った。

そして目は判然と冷た気な麺に焦点を合わせつつも、先ほど脳裏へわずかによぎったラーメンと焼き飯の注文を想起させると、なぜか次には学生の頃しょっちゅう食べていた「寿がきや本店の味」と云うインスタントラーメンの記憶を強引にたぐり寄せた。

やや濃い口のしょうゆ味だけれど湯の量を加減すれば、思ったよりあっさりとした口当たりに変化する、例は悪いがどこかどぶ臭ささえ漂う本来のスープに繊細なうま味を発見したとき、たぶん材料となっているであろう鶏ガラの澄んだ香味の向こう側に、魚類系の出汁や野菜エキスが送りだす甘い成分を嗅ぎ取って有頂天になったこと、添付の具の悲しくなるほど微々たる乾燥メンマとコーンを駆逐する勢いで、切り刻み鍋に投入したキャベツの歯触りが、太目のしかもあまり伸びやかではない麺と不思議な食感を生み出し、どんぶりの中身がほぼ消えかかる頃になって、インスタント食品が背負ういかがわしさと正反対の名状し難い満足感を覚えたこと、そうした即物的な食欲のあり方を投げやりに肯定していた気分が生々しくよみがえってくるのだった。