美の特攻隊

てのひら小説

ペルソナ〜9

「ところで磯辺さん、美代の顔はごらんになったことありますか。
新聞に顔写真は載っておりませんでしたが、ある週刊誌ではきわもの扱いで掲載され、しっかり実名で紹介されていたのです。
紹介などと云うと軽卒に聞こえるかも知れませんけれど、見出しからしてまるで恐怖映画のうたい文句のような調子で、記事に至っては世にも奇怪な事件なのだと、読者の感興をわかせる筆致もしたたかながら、あれは少年誌などでよく見かけた子供だましの風説に近く、あなたも知っているならば疑念を抱いたでしょうが、美代の写真にしたって実年齢のものではありませんでした。

私も最近まで分かりませんでしたけど、あの代物はどうも少女時代に撮影されたものだそうです。
それにしては大人びた化粧をしてるし、でも一目瞭然なのは、背伸びしたところで顔つきはやはり子供のまま、決して一流の扮装には見えません。
そうですか、磯辺さんも同じくそこに引っかかりましたか。ご納得のいくように事情を申し上げたいわけですが、私が知り得た情報をひも解かないことには、いささか腑に落ちないところが出てくると思われます。
写真の出所にしてもある程度の説明が必要になりますし、とにかくここは兄である私による事件性に関連した回想をお聞き願わなくてはならないようです。それでよろしいでしょうか」

虚を衝かれたと云うより、力強い太鼓の響きに心臓の鼓動が叱咤され同調を求められた孝之の胸騒ぎは、不安に翳る暗雲がさっと掃き流された希望の蒼穹を仰ぎみるごとく、おごそかな跫音をその身に感じとり浮遊にも似た、しかしそうそう経験することがない開放感をあたえたのだった。
久道が語り始めた追想の行く手は黄昏時へと歩を進めつつ、明星を認めてしまう着実な道のりであり、聞き手に徹する了解を不動のものとする思いは、過ぎ去りし夏の夜、蚊帳のなかでふと目を覚ましたときに感じる、あの両親の微かな寝息に守られながら待っていた、夜明けまでの沈黙を呼び寄せた。

ものごころついた頃よりずっと今まで見定めて来た兄としての立場は、血をわけた真義によってそれほど強固な基盤を保持していたわけでなく、また同じ屋根の下で暮らす密接さも以外と隙間だらけであったことがよくよく思い返せるのだった。
久道の述懐は障子で隔てられているに過ぎないような、薄く淡い気持ちに仕切られたまま取り留めのない語気に支配され、が、時折は細やかな記憶の片鱗を集め出してきらびやかな画像に仕上げられる。
失われた過去がいつも水底に沈める淡彩である様子を打ち消さないことへのあらがいとして。

情熱的な口ぶりをそっと潜ませているつもりなのか、淡々としたもの言いはしめやかな楽曲の序章を彷彿とさせるように、少年期の放埒さは破れやすい障子紙への気遣いに平行した様相へとすべりこみ、幼児であった美代の面影にまざまざとした印象を被せはしない。
そこにあるのは久道自身もまだ耳にするだけで身震いを催してしまう見知らぬ場所への怖れであり、夕暮れが織りなす暗幕にとりかこまれたときに感じずにはいられない、夜の気配に魅入られそうになった柔弱さを糊塗するため、おさない妹をことさらに恐がらせたりしたおぼろげな記憶だった。

聞きかじりの夜話しや裏山に棲む幽鬼のたぐいをを引き寄せては、宵闇せまる頃合になると、どこからか聞こえてくる犬の遠吠えに重ねあわせ、その異様なうなりをなおのこと強調させる声色で、
「あれはモウモウさんというオオカミの霊だよ」
などと、したり顔で言って聞かせるのだけど、口にした矢先から自らがすでに鳥肌立っており、それは寒風に撫でつけられた感触とは異質の、毛穴の内側からやってくるのだと思い増々ぞっとするのだった。

あのときの美代があらわにした表情をはっきりと浮かべられない。
障子に映された影絵が単彩にしめされるのと同じく、無防備な輪郭は得体の知れない不安を募らせてはやわらげる。
妹に対し気配りが生まれる余裕はなく、今こうして振り返ってみても同様、長い時間の推移だけではないのだろう、自己籠絡甚だしく苦々しい想い出は、風雪にたえて来た障子へ皮肉なねぎらいをかけているようだ。

それから久道は誰もが思い当たる人見知りの感覚や、瑣細なことで泣き出してしまったか弱い風船みたいな幼心をさらっと述べたあと、お話したように学術主義などと名目を振りかざしたからには、自分も含めた当時の家庭環境、兄妹はもちろん両親や祖母との関係も詳らかにしておきたいのだけれど、取り立てて語るべき問題は見当たらないし、家族同士のつながりにも特に違和を覚えるような要素がありそうもない、父は仕事以外でも交友が広く不在気味であったが、非常に温和な性格であったし、厳しさと云うよりも柔らかさと言い表したほうが間違いなく、それは母や祖母にも共通するところがあり、まだ幼かったから細やかに窺えなかったのかも知れない内実を差し引いてみても、後々に繋がっていくきっかけが探しだせない。
結局、我が家は平穏無事を絵にかいたような関係が保たれており、幼児期における美代の原体験をつかさどった素因は発見できなかった。

ここまであたかも消化を助けるためによく噛み砕かれる具合で、他にも些事を挿みながら沈着に話してきた久道だったが、ほどなく顔色を曇らせたとき、孝之は胸のざわめきがすぐそこにあることを知った。

 

  

化粧2 - 美の特攻隊