美の特攻隊

てのひら小説

ペルソナ〜15

「果たして深沢はすべてを語り尽くしたのだと了解するべきなのだろうか。少年時の恥じらいで清らかに擁護された記憶が奏でる綾を」
孝之は自分の小首を傾げる仕草さえどこか見え透いた演技に思われ、淡い不快を感じた。

彼と妹との関わりを何もかも把握するのは不可能だが、いくら干渉や会話がなくなってしまったとは云え、少し背丈も伸びた年頃の、たとえば中学にあがれば少女なりにもいくらかの気丈さと、その半面の覚束なさから独りであるべきより似たもの同士のつながりを求め、それなりに親交が育まれそうなものである。
とりあえず日に一度は顔くらい合わせていたであろうし、放課後や休日も含めて妹である美代に交友の気配は見当たらなかったのか、そこから些細な印象でもよいから思い出せることがあったのでは。

つまるところ深沢は補足と繰り返しながら、不透明な感情に見守られた自身の汚点を浄化させようと懸命だったのだろう。
あれから兄妹の時間系列を明瞭には聞かせてくれたものの、勢いよくついて出た微に入り細に入りなどの証言には到っておらず、むろん今となってはどうしようもないのだが、せめて肝心の妹を見舞ったと云う情況を詳しく話してもらうべきであった。
聞き手に専念したあまり魂まで預かりものにされてしまったみたいで、踊らされたあげくの大失策とさえ呼びたくなってくる。
それにしても、どういう根拠で自分と美代が顔を合わせる機会を待望すると明言したのか。ああ言えば呪縛が機能し、彼の言霊に憑依されるとでも驕っていたのか。
又あのときははっきりしなかったが、探偵と同一視したなど大げさな文句と、次に吐かれた「私とは別な角度で」や再三強調された「学術主義を援用させて」の意味あいがまるで魔術のごとく、あぶり出しとなってこの胸に焼きついて仕方がない。

孝之は深沢家を訪れた理由が閑却されている様を、こうした姑息な探索にめぐらすことで打ち消してしまおうと努めていた。
久道の聞こえはひかえめそうだがその実、高圧的な語気に辟易するどころか、大いに同調してしまう胸の高まりは冒険にも似た危うい波風が音もなく、が、それは血流が波打つ本能的な調べと同じで、どこまでも律動する肉体にひそむ心模様であった。
所詮ひと事でしかない災厄の是非に捕われている身分なら、どこかへまぎれる必要もないし、逃げ去ることも罪ではない。しかし堂々めぐりと化した問いかけが、心痛でしかない有り様を認める為の猶予だとしたら、孝之の願いは次第に満ちてくる潮のごとく残酷な自然に包まれているのだろう。

正午を尻目している様相を多分に意識しながら、それは両者による思惑が合致した結果なのかどうか窺い知れないのだが、初対面からしてみると妙に気心が通じたふうな、庶民的かつ牧歌的な昼餉の振る舞いに圧倒されたと云うより、共感してしまった事実もさり気なく風化されていたのだ。
幾らか葛藤は生じてみたものの今からすれば、なにより緊張をほぐすことを主眼に、この気安さが演出されている現場へ立ち尽くす自失を確信する、防御なき防御を得るが為であり、大仰に焼き飯を頬張った安楽さもさながら晦渋な詩歌を流し読みにする心持ちであったはず、夏の陽が長いのを幸い自ら遊戯心をもって緊張と対峙した気負いなど最初からなかったと言い聞かせてみる。
腕時計に何度も目をやったのも思い返せるし、食事中はさておき会話とてさほど留まるのを知らなかったわけではない。
それに今日一日ですべてが白日の下にさられる期待も抱いてはいなかった。新たな機会は孝之の都合と意欲でいつでも可能であったから。

「どうです、散歩がてらに海辺から堤防のほうまで行きませんか」
異なる方角より話題は深化してゆくのか、それとも態よくお開きを告げたいのか。

何故あのときによりにもよって、
「いやあ、昼前からあの辺りを散々歩いて来ましたもので」
と、馬鹿正直な礼儀にかなっていない言い訳などしてしまったのだろう。
聴診器を当ててみる必要もない、孝之はその理由を容易に診てとれた。
久道はもうこれ以上を今日のうちにはなにも語りはしない、すでにあの予言めいた口上を述べていたではないか、、、映画にだって続編がある、猛暑の最中すでにたどった海辺を歩く気力は失せている。
それより続編に向う予告編をかいま見せてもらいたいものだ、、、おそらく堤防から大洋を望み、きつい西日を容赦なく浴び、わずかな潮風が頬をかすめながら、久道は幾らかの情報と今後の連絡を約束してくれたかも知れない。
けれども実質は帰りの列車時刻にあった。
三好の家には荷物が置いたままであったし、どうみてもこれから悠長に堤防までぶらつく時間はなかった。ましてや帰京を明日に延ばす算段もなかった。
今日と云う一日、希有なる体験であり、その動機となったものは計画された結果なのか、ただ単に衝動につき上げられたのか、孝之にはどちらでもあるように判じられるのであった。
続編も予告編も決してこのまちから消えることはあるまい、、、夢の知らせはこうして夜の帳を越え、極めて同地点でものの見事にあだ花を咲かせてみせたではないか。
何と云う痛快、何と云う果敢さ、全幅の信頼の思いが久道に反射して心身を支配しかけているのを、防波堤のかたくなさにすり替えてみると、尚のこと実際の場に行くのが阻まれた。

まったく驚愕としか言い様のない、深沢久道の訃報が届いたのはそれから十日後であった。

 

 

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