美の特攻隊

てのひら小説

ペルソナ〜17

息子の口ぶりにあらぬ気をめぐらせてみる疑心はどこへやら、怪訝な目つきを投げ返す素振りは、空っ風に吹かれて舞い上がる木の葉のように軽やかであった。
片方の視力を失ったにもかかわらず半ば虚勢を張っている面持ちが痛々しくもあり、逆に初々しくもあり、孝之は多少のとまどいを憶えたけれど、非常によく映える鏡と、まったく曇りきっている鏡を同時に眼前へ並べられたようで、そこに微笑が張りついている慰みを覚え得心した。
彼女やらを伴ってと云うくちぶりには健全な虚脱感が備わっていたし、何よりあべこべに頼もしさが授けられられた気がし、うれしかった。

久道の件はあれから一向に進展がなく、事件性の片鱗も浮上しないまま過失による事故死と片づけられてしまった。
遺体が発見されたのはあの日、誘われた堤防の外海に敷かれたテトラポットで、どの辺りで足を滑らしたのか特定されなかったが、後頭部には相当な打撲の痕が残っており、失神もしくは甚大な衝撃によって助けを求められないまま潮にのまれたとの見解だった。
当日の夕暮れ、家人には行き先こそ報せてなかったが、玄関を出る際にはきちんと応答していたことや、満潮を迎えようとしていた時刻であったこと、翌朝になっても帰宅して来ない主人を心配し方々探しまわり、捜索願いを出してから程なくして偶然釣り人によって見つけだされ、死後数時間だと推定されたことなど本人の思惑とは無関係そうな情況だけが確認された。
これら以外に不審な要素は見いだされず、遺書が残されていなかったので家族も世間も不運を嘆くより仕方がない、三好から伝えられた情報のあらましはあまりに手短かすぎて、孝之の心中に収まるには容量が少なすぎた。

ではどれほどの実情と語り口を欲しているのか、そう問われてみてもいかに答えられるのか、よく分からない。
ひとつだけはっきりしているのは、恐ろしく困惑したすがたが不動の影となって立ち尽くしていて、一切の価値観は野方図に散らばってしまい、それは漆黒の巨像が立ちふさがっているからに違いなく、そうなると散らばってしまったものを少しでも取り戻す情念だけが、無意味な価値だと了解しながらも膨満感を得る為に、容量を満たす為に、小さくまるめられた奇跡を気ままに想い描いている薄ぼやけた輪郭線の存在だった。
不動の影はそんなに絶大なのか、重力と同じくらいに完璧なのか、、、木漏れ日を受けながらゆれる木の葉は無言の裡に、さざ波にも呼応する流麗さのはじまりを語りだしているではないか、そして木陰こそ日輪との対話を慈しんでいる。

孝之は薄ぼんやりと自らの居場所を確信していた。
しかし、ことの善し悪しにしろ、ふたりの人間、ひとりはすでに死人であり、もうひとりは血をわけた息子、彼らとの結びつきに共通項を見出してしまうのは心もとないだけでなく、あまりに倨傲な意想に感じられた。
それは勝手な穿ちによって聖痕を現してしまうのだとか、偏頗な熱情が実はすべてを鎮静させているのだとか、思弁による仮説と実際の心情が切り離なされるのはほとんど困難であるのを知悉していたからであった。
久道は所詮他人だし、美代にしても心奪われるほど魅了されたわけではなく、夢見がもたらした奇妙な符号に折り合いをつけ、後は机上の論理なり文献なりで秋の夜長に溶け込ませれば、掌合わせ読経を唱える心境に近づき静寂を得るだろう。
ここから先を探索してみたところでどんな成果が待っているのやら、故人から示唆された「探偵」と云う言葉だって彼自身を形容していたけれど、きっかけはどうあろうとも、気がかりな箇所に立ち止まれば、そして見つめてしまえば、意味合いは深みを速やかに形成し、そう単純に、極めて曖昧に、あるときは反転する位相で本来の切り口は葬り去られ、新たな視座が正門のごとく威風あり気に開かれる。
孝之の憑依とは進んで選びとった方便なのだ。
消え失せるのは自意識だけではない、取り憑く相手もまた同じく、エネルギーが消費され何かが失われるはず、さて補填されるのはどちら側からか、それとも元素のごとく不変の循環を繰り返すと云うのか、ならもっと万全の心構えで挑もう。
旅人に成りすましてさすらっても安全が保障されているし、時間も加担してくれれば尚更ダイナミックな遊戯が約束されるではないか。

純一の同意を素直に喜べるのも、またして危険な橋を渡らせてしまうと云うより、そもそも危険な橋が問題なのでなく、その足取りがとにかく一番大事な問題なのだ。
軽やかな道行きを決意したのは風向きにのったまで、久道が遺書を記さなかったのも奇跡が的外れだっただけ、しかし憑依の形相に耽溺する為にはある模擬試験をこなさなくてはならない。
実際には本番なのだろうが、死者からのメッセージを直接受けとれない以上、色々と想像をめぐらせながら現地調査に赴かなければいけないだろう。
そこで孝之は我ながら呆れてしまう妄念をはぐくませ祈願とした。

「深沢になりかわり美代の首すじを咬む」

到底それは純一に知らすべきことであってはならない。
久道から聞き及んだ年少時の体験も同様に。息子の察するところはおそらく例の吸血事件にまつわる耽美的な香りと、その兄の死だけだろう。
帰郷の日取りを四十九日に定めたのは別段揺るぎがたい理由があるわけではなかった。
ただ気運が負のベクトルで解放され、歴史の彼方へしめやかに帰ってゆけるだろうと願ったからである。美代が葬儀に現われなかったのを知り得た時点から、祈願はより一層妖しく募りだしていた。

期日が迫ったある宵の口、孝之は純一に一枚の記念切手を見せた。
「おまえは小さい頃よくこの切手を見せてくれって言ってたよな、憶えているかい」
小林古径の髪だろう。当時はもちろん名前は知らないよ、でも切手趣味週間って漢字はあのあと書けるようになったんだ。ああ、それからもふとしたことで思い返す機会があって調べてみたよ。それに父さんはこれ一枚だろ、ぼくはシートで買ってもってるよ」

 

 

化粧10 - 美の特攻隊

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