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美の特攻隊

てのひら小説

ペルソナ〜18

孝之も熱心に収集したには違いないのだったけれど、小学校に通いだした矢先であり、折からの切手ブームの余波がいつの間にやら到来していたのか、思い返してみてもよく定めきれない期間に訪れた没頭であったから、それも心底から欲して小さな絵柄のとりこになったわけでなく、表記価格を上回る値打ちに小躍りしながら玩具を扱う手つきとは異なる慎重さを覚え、初めて知る義務感に即していたあたりも曖昧ながら、薄味のカルピスをすするような感覚でよみがえる。

同級生の兄や近所に間借りしていた学校の先生の部屋で開かれた、切手帖にびっしり並べられた色彩が勝手にどよめいているふうな興奮は今でも、実物の彩りから隔てられた想起の裡に鮮やかに過ってゆくし、おそらく幾度かは目にしたことのあった年賀切手の干支を配した動物たちがかもす可愛らしさに、また赤や黄や青に空色、蜜柑色など原色が際立つ色合いに親しみを覚えた童心はもっともだと思いなす。
同年代の収集を次から次へと見てまわった記憶の先にあるのは、一世代は離れた者らよりまるで宝箱をひろげられるように目の当たりにした、本格的な収集の圧倒的存在感であり、聞き及んだのか向こうから自慢気に説明されたのか定かでないまま、一枚きりだとしか知らなかった切手がシートと云う形で綴られていること、その量的な印象は小銭しか手した試しがなく、紙幣などかいま見る機会がなかったあの時分にはとてつもない質感を伴っていたこと、そして豪奢な気分をコンパクトにあしらい高揚させてくれたのは、
「どこの家にだって古い葉書や封筒は捨てられないで残っているはずだから探してみればいい、消印がされてたって価値があるかもよ」
と云う、まるで財貨が分与される可能性が、この身に降り掛かってくるようなよろこびであった。
大人さえピンセットを操りながら切手帖のなかを整理したり、いかにも高価そうな子供の目線から窺っても骨董などと云う言葉も意にないはずなのだが、あくまで玩具の延長にあるような図柄とは一線を画した、単色刷りされている淡い色どりや、価格の表示が三桁で示されて、右端から先に下線が引かれているのが直感的に古風な代物だと認め、ましてや蝋紙でていねいに包まれているものに至っては、畏敬の念さえわき上がらせていた。
そうした切手の類いがいかに身近でないかは、自分の背丈を大人と比べる無意味さがあるごとく分かりきっているのだった。
当時はいわゆる静かなブームのさなかであったから、不相応な執着にとらわれる悲劇の成り立ちはそれなりに逃避行が駆使されて、過分な収集に陥るべくもなく、比較的廉価で入手可能な過ぎ去った年代のそれぞれ好みな切手をこつこつ集めたり、表記額で購入されるまだ見ぬ新発行の期日を心待ちにした。
他にも知人同士での交換や、先程の意見通り孝之の家からも、これは主に祖母からの提供であったが、仏壇下に取りつけられたこじんまりした引き戸の暗きなかより、探られ微かな黴臭さで取り出された戦争時代の葉書類に身震いし、小さな充足は光のない国に舞い降りた埃となって、未知なる時間を刻み始めた。
ものごころついた時分より我が家のちょうど真ん中あたりへ掲げられた柱時計の秒針に合わせつつ。

あとの想い出と云えば、消印のある海外切手の詰め合わせなどを土産でもらったり、思いがけなく引き出しから未使用の年賀シートが出てきたと両親から協力を得たりし、書店の片隅で過去の記念切手が単品で売られたりしていて、また早朝から郵便局に新発行のシートを始めて買いに並んだ記憶も残っているのは、もちろん現物が今でも保存されているからで、随分とそれらに目をやることもなかったけれど純一が幼い頃、どこかの切手マニアの家で触発されたらしく、久しぶりに切手帳を書架より取り出したとき、案外自分の集めた枚数がしれていることに落胆するのだった。
仲間内で同じ部類に偏らないよう、たとえば風景もの国立公園国定公園シリーズだったり、花や魚の動物類、オリンピック、国体などのスポーツ系などに分類された範囲で各自、精を出した想いがめぐって来る。
孝之のコレクションもそうした統一性が見られてよいはずだったのだが、よくよく眺めると整然とならんでいたのは当時の大人たちがひろげて見せた光景であり、そこに残された一冊にはとても意志を持ち揃えた形跡は窺えず、知人らと気の向くまま交換を重ねた形跡が歴然と示されているのだった。

純一にねだられるまま、あれから十年以上前のことにしても、記憶はひとつの居場所に留まってくれないものだろうか。
自分が欲してやまない高嶺の花だった「見返り美人」は三十歳くらいの折にふと足を踏み入れた古書店で購入したのをよく憶えているし、と云うのも自分の執着は国宝シリーズと切手趣味週間にあったから、通称「ビードロ」と呼ばれた喜多川歌麿のあの有名な絵や、写楽、春信から本格的に始まるこのシリーズは網羅していたつもりなのが、何枚かは欠落している、浮世絵から中世絵巻、源氏物語と時空を妖しく駆けては、昭和40年の上村松園「序の舞」より絢爛と連なる、藤島武二「蝶」、黒田清輝「湖畔」、土田麦僊「舞妓林泉」
そして45年の小林古径「髪」らの現代日本画が手のひらに十分収まった得も云われぬ魅力が放たれていた輝きは翌々年で途絶えてしまっている。
理由は多分に趣味の衰退と大阪万博の開催に夢中になってしまったことに違いあるまい。数枚の万博切手が場所をとっているところからもそれは頷けるのだった。

 

 

化粧11 - 美の特攻隊

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