美の特攻隊

てのひら小説

ペルソナ〜38

固定された視線に輪郭が浮かび上がる。
ドアのうしろにひとの気配を感じたのと深沢夫人が、
三上陽子さんという方がみえていますけど」
声を出すのがきまり悪そうに告げに来たのはほとんど同時であった。
美代のまなざしは動じない。純一と砂里はふたりして恐懼に肩をこわばらせ孝之へ哀願しているよう映った。だが実際は驚愕を共にしたいのだろう、そんな合意を求める性急さによって真剣の火花がまぶたの裏に散る。
孝之はたじろがざる得なかったが、切っ先が合わさった刹那に悠久の間合いをそこに見出してしまった。剣豪が次なる一太刀にてすべてが終わるの熟知しているかのごとく、虚しい血けむりがあらゆるものを純化させる。血縁も、美代の透けた血管も、処女の血も、吸血鬼の影も。

「父さん、実は、、、」
間合いに同調するべきして、吐露されるものが耳に届けられようとしていた。ところが純一の気弱な声をかき消す勢いで、
「ごめんなさい、わたし嘘ついてました。本当はひとりじゃなかったんです」
と、既視感を浮き出させる悲痛な叫びが砂里によってもたらされた。

「母と同じ列車でこのまちに来ました。わたしだけ先に駅から飛び出してごまかしたのです。どうしてかって、、、それは美代さんの事件を偶然手にした週刊誌で知ってしまい、胸の騒ぎを鎮めることができずにいたからなのです。小さく掲載された顔写真には見覚えがあります。わたしは可能な限りの方法でこのまちに縁故のある者をあたりました。
でも真意をただすまでには至らず名前と顔を尋ねてみただけでした。答えはみんな同じです。それ以上の詰問は薄ら寒さによって阻まれました。こう言えばわかってもらえるでしょう。掲載されたものの現物に違いない写真が以前よりうちで眠っていたのです。
それは母のクローゼット奥深く、人目につくことなく箱のなかに隠されていました。最初に見つけたのは、わたしが十歳くらいのときです。かくれんぼをしている最中に見つけてしまい、そして緊縛されたまま、誰にもそれを話すことはなかったのです。
写真は二十枚ほどあって、母の少女時代の顔もそこに写っていました。掲載されたひとの顔と並んでいるのが母だとすぐには認めたくありませんでしたが、まるで子猫が寄り添うみたいに頬と頬がひっついている。
色褪せた写真特有の時代がかった主張は妙に生やさしく、反面ぶっきらぼうで、、、つまり経年のなせるわざに委ようとする姑息な意識が緩和材の役目を果たしてくれたのでしょう。
でもお互いのくちびるが重なっている構図には意図的な戯れとは離れた、もっと生真面目な表情が底なし沼に浮かんでいるようで、鳥肌が立ちました。身震いがしました。とても孤独な気分に襲われました。なにより写真を見てしまったことを母に気づかれるのが怖くて仕方なかったのです」

砂里の胸の奥に積もりに積もった土砂が吐きだされた。
孝之は確信的にそう思った。裏付けはすでに美代の直言で為されている。そして砂里が急に部屋から出ていった経緯も、純一の怪訝な態度も、小さな太陽にたとえられた笑みの泣きはらしている情況が明瞭に物語っていた。
そこで純一は補足を加えるのが使命だと覚悟したのか、
「砂里ちゃんに出会ったのも運命さ、いつしかぼくの方からこのまちでの事件を喋り始めたんだ」
堰を切って出たついでの便乗は自棄的な語気に流された。
「十歳の頃から抱え込んだ重荷からやっと解放される、そう言って砂里ちゃんは写真の件に付随する秘密を打ちあけてくれた。とても辛そうな顔をしながら、、、でもありのままを教えてくれたんだ。写真の母によって呪縛されたのか、あるいは生来なのかは判断しづらいけど、これまで異性に対しまったく関心を持ったことがないと」
「純一くん、ごめんなさい」
砂里はすっかりうなだれてしまった。純一はそんな消沈を脇にかかえ隻眼にひかりを集め咆哮をあげた。

「ぼくらはいうなれば秘密結社だよ、はなから恋人同士なんかじゃない。お互いちぐはぐな縫い目に掛けられたボタンの連なりさ。父さんがふたたびこのまちに向かうことを知り、どうしても美代さんに合わなくてはと念いはじめた。
むろん彼女の母親はぼくの存在を煙たがっていた。しかし秘密結社として何食わぬ素振りで砂里ちゃんとつき合っていた。ぼくにとって父さんの探求とやらは相当に引っかかったから、煙たがれればなるほどに余計この身を霧がくれの術で不透明にさせてみたかったんだ。そうすれば、きっと相手のすがたが見通せる」

孝之の肋骨あたりを冷たいすきま風が吹き抜けていった。そして上気とは逆の効能をあたえた。
美代がさきほど語った久道の歪んだ形相が、そのまま仮面となって被せられているような心持ちがわき起こり、先手は打ってあるけれど、思わぬ一手でかく乱される将棋台を想起するのだった。
用意周到なのは彼らであり、自分の妄念が突進した意向とまるで質が異なっているではないか。ある程度は推察されたけど、こんなに後手にまわっていようとは。
方向性が別口であることを唱えたのは理念であったのか、背理であったのか、たしかに己本意でしか采配をふるって来なかったし、所詮純一らは旅の道連れとたかをくくっていたのだ。
当惑の顔つきに変じてしまっている兄嫁の塚子のすがたをじっと見遣る。ろうそくの炎はほとんど揺らめいていない。
美代は静かに判決文を読みあげるふうにこう言った。
「陽子ねえさんをここに通して下さい」
固定された視線はほどけ、抑揚のない言葉に新たな息吹が授けられた。