美の特攻隊

てのひら小説

ペルソナ〜50

「父さんどうなったか気にしてくれるんだ。想像してごらんって言いたいところだけど、『処女の生き血』ってウド・キア主演の映画を観てくれていれば感銘深いだろうね。至上最弱の吸血鬼なんだ、今度機会があれば鑑賞してほしいよ。
父さんは吸血鬼なったわけじゃないけど心底興味があったんだろう。あんな醜態をさらした以上もちろん引きこもっているよ。いいんだよ、そっとしてあげてるから。そのほうが父さんも納得してくれる。妙に心配されたり同情されるよりか、そのほうがいいんじゃない。笑って欲しいくらいさ。
大学のほうは休職届けを出して書斎に閉じこもって小説を書いている。えっ、どんなのかって、それこそ想像通りさ。この間こっそり原稿を読んでみたんだ。古風だよ、万年筆でこつこつと書いているんだ。そしたら案の定あとから覗き見したのばれてしまってね、いつもそうさ、書斎の本一冊拝借しただけでもわかってしまうから、たぶん又ねちねち嫌みたらしく小言を聞かされるかと観念してたら、こんなこと言い出してさ。
今まで論文やら批評は書いてきたけど創作は始めてなんでどうにも筆が進まない、これこれの筋なんだけどおまえどう思う、とかでさ。筋もなにも自分を投影した主人公に、ぼくそっくりの息子、怪奇小説のつもりで書いているらしいけど美代さんや深沢さんらしき人物設定もそのまま、まるで去年の夏だ。
おまけに砂里ちゃんまで登場しそうな伏線も敷かれてるんだよ。休職までしての執心だし、まあ本人の自由だけど」
「へえ、そうなの。わたしも登場するんだ。やっぱり女吸血鬼のまえで失神しちゃうのかな。それでレズだとか色々掘り下げてあって、純一くんとの関わりも結構ドラマチックに展開するわけかしら。面白そうじゃない、わたしでよかったら脚色なしで描いてもらっていいわ。血や肉を提供するわけでもなく、魂を売るのでもない、ただ現実の自分とは別のもうひとりの自分が虚構の世界におどりだすだけ。そんなわたしと対面してみたいわね」
「冗談じゃないよ、我が家の恥はもう十分だ。砂里ちゃんは身内じゃないから面白そうに映るんだろうけど、ごらんのようにこの片目だって元はといえば父さんから巡ってきた因果だ。その方面に関しては暗黙の示談が成立してるからまあいいとして」
「あら初耳よ、なんなの、その暗黙の示談って」

「話してなかったかなあ。犯罪めいたことは除外してぼくの生き方に一切口を挟まないって盟約、父母ともに了承済みさ。ぼくがひとり暮らしを決意したときにも色々と一悶着あって、それでこの目を無くしてからただでさえ腫れ物に触らないよう、刺激しないように家庭環境を保持してきたわけで、ぼくからすればそれほど厄介ではないという思い過ごしがあって、過敏になってしまったんだろうけど、そもそも悲劇はどこから発生したのか、こうして胸に手を当ててよく省みれば、両親に文句のもってき場がありそうでやはりないんだ。
父に対する陰険な報復なんて性根が腐っているから試みようとしてしまうのさ。父親に両手をついて詫びられる光景を浮かべるだけで気色悪くて、不快なのかどうかとは別の次元で鳥肌が立ってしまうじゃない。
いいんだ、正義や倫理を問うまえに日々の積み重ねと共に沈滞していく業を払い除けるべきだと信じている。業が積もればろくなことが生まれないからね。吸血事件なんか、まさに核家族における当主筆頭の祭礼だったよ。
家族の平和を温存させたいなら無理して波紋をひろげたりはしないよね。すり減ってしまうのは石鹸とか靴底とか包丁とかでいいんじゃない。それなのに自由気ままを貫こうなどと宣言したら恐ろしく家族みんなが神経をすり減らしてしまった。かつてはそうであったから、盟約なんていっても実は軋轢を避けるための方便なんだ。これで落ち着いてくれればよかったんだけど、分別がつきかけた矢先に父が暴走した。
もっとも父のなかでは日常など見捨てる気概にあふれていただろうが、まあ大した騒動にならかったのが救いだった。
塚子さんも一切口外してないみたいだし、お宅のお母さんだって同様だろう。ああ、話しが見えにくいって、それはいまから補足するよ。ぼくらは関知しないふりしてるけど、実際には平和を乱す予行演習みたいに休職し、脱稿したら公にするのかどうか知らないけど、読むべきものが読めば、波紋が生じる可能性だってある不穏な内容を書き紡いる心境が今ひとつ腑に落ちない。所詮は学者気質を隠れ蓑にしたエゴイズムとしか映らないんだ」

「もうそれでいいわ。お父さんはきっと一気に神経をすり減らそうって奮起してるんじゃないかしら。日々の連鎖で消耗してゆく何かを見つめ直しているような気がする。だから、いいの、あなたの家の事情まで知ってもあまり意味がない。いいえ、決して興味がなくてそう言ってるのじゃなくて、関わりになりたくないとかでもなく、やはりそっとしておいてあげてほしいの。
わたしが関心を示さないって行為、そうね、笑ってあげてくれっていうのもわかるけど、残念だけど笑えない。そのかわり小説のなかで自由に羽ばたいているすがたを思い浮かべる、、、わたしからお父さんの件を振っておきながらごめんなさい。
あのことに戻ろうか。あらどうしたの、そんな驚いた顔して、純一くんの気持ちについてよ。わたしを好きなんでしょ」