美の特攻隊

てのひら小説

ペルソナ〜52

純一がうつむき加減になるまで他にも色々と砂里は語りかけていたし、合間にはそれなりの受け答えをしたつもりであったが、己の影にすっぽり包みこまれてしまった切なさが募り、外界からの情報を取り込む意欲を喪失しているようであった。
実りかけだした恋情があっさり消え去ってしまうのは予期した通りであったけれど、もっと別の流れで立ち消えるだろうと、くじ引きをする際に念じるあのさほど期待を持たない大らかさと同種の失望を思い浮かべていたので、これほど悲しみがこみあげてくるとは考えてもみなかった。

自分を突き放している姿を過信していたのがあだとなってしまい、ちょうど粗相を仕出かした子供が間をおいてから泣きべそをかきだす程合いに似て、こみあがってしまった悲しさの発端さえ覚束なかった。
結局は艶言を帯びた会話が交わされたにもかかわらず、不如意に傾く結果へ誘導されていただけだと逆恨みを抱いてしまうくらい実りは報われず、自責の念は額面を認めはしたものの、砂里から指摘された意見を噛みしめる余裕は持ち得ない。
そんな高波が押し寄せる船上で踏みしめているのがやっとみたいな、気配りには追いつけない有り様であったから、大概は保身にまわるところだろうが、今の純一はどこか投げやりな気分に支配されたまま悲哀へ身をゆだねてしまうばかりで、過言だったからと表情も豊かに声色も優し気に慰撫してくれる砂里の言葉をうまく聞き入れるのが難しかった。
いやむしろ、茫洋とした気分にくるまれた半信半疑な展望台に臨んだからこそ、失意の先鋒がかたくなに沈黙の塁壁だけを見つめてしまったのだろう。
消沈しきった面持ちに高揚をさずけようと懸命になっている気遣いはうれしかったのだが、、、


試してみたいとか、抱きたいのとか、純一くんを餌で釣るみたいなもの言いをしたのはいけないことだった、、、それはわたし自身が揺れ動いていたから、そしてその揺れがいい波長に合わさればなんて安易に案じてしまい、あとさきも考えずに口先に出たような気がする。
おそらく去年から音沙汰が途絶えてしまった不信と反感があんなふうに媚びた態度をあらわにした、そうすればちょっとした意趣晴らしになるし、わたしに対してもっと関心を持ってくれるのでは、恋愛感情が生じるのはほとんど可能性がないと、たかをくくっていたのは高慢でしかないけど、ほどほどにからかってみたい好奇が先行していまい、あなたにとっての心理はどうあれ異性に映る鏡の事実が何よりの強みになって、おおっぴらに隙を見せながらすり寄っていく素振りさえ示した。
ところが、そんなわたしを投げやりだと軽視されたあたりから、自分の浅はかさと意地の悪さが覗けるように思えて、純一くんの言ってる理屈が痛々しく伝わってきた。それでことさら言い返すつもりはなかったけれど、あんな調子で攻めるようなことまで話してしまった。

その先へはさすがに純一も意見をはさみ、攻めたてるなんてそんなんじゃない、君はとても素直でかわいらしいと、情にほだされた真摯な顔つきで応対した。あたかも相づちを打つ使命をよく心得ているかの調子で。
だが、この胸に沈滞している砂地の失意は残念ながら払拭されることなく「投げやりな」などと云う言葉を先んじて砂里に振っているのが妙に乾燥した印象を残してしまい、純一のなかに敷かれた砂をより粒だたせた。
偶然だった。今日この広い東京の街中を砂里にめぐり逢う為に出向いていたのではない。むろん彼女の存在がまっさらに意識から欠落するはずもなく、いつかばったり顔を会わせる機会もあるかも知れない、内心そう祈っていた。
昼飯も一緒に食べれたし、あの出来事にまつわる件も一端ながら話せて無沙汰の穴埋めにはなったはずだ。もうここらでふたりして席を立って別々の帰途についてもいいのではないか。未練がないと云えば嘘になるが、これ以上に虚しく実りを求める時間の経過は苦渋でしかない。
外は薄曇りだったけど、純一のこころには冬の陽特有のしめやかな光線が差し込んでいた。よりこころを乾かす為に得られたそんな効果を潤んだ瞳が反作用してみせる。
「それじゃ、それそろ出ようか」
自覚に成り得ないほどよそよそしい響きが口の中にとどまっていた。返事をするより早く、砂里は黙ってうなずいた。
上背のある純一を見上げるまなざしがそのとき一点に結ばれ、同時に口もとが、そこから静かにもれる呼気も、鼻の先がつんと上を向いた愛嬌も、透けるような白い肌も、そしてぎこちなく起立している全身が、ひとつの指針に操られているように張りつめられた。
すくんでしまったのは仕方のないこと、純一は須臾の間、辺りが凍結してしまう幻影を夢見た。
一切が止まってしまうわけではなく、時間はしめやかな冬の光を通し、寒々とした光景のなか白鳥の舞となって流れゆき、見果てぬ銀嶺の彼方へと飛翔すれば、白銀の世界は地平線を見失うことに永遠から認可され、天空からまばらに降ってくる一粒一粒の雪は、淡々とした安息を約束しようと語りかけてくれる。
純一の想いは夢遊病者の無碍にあった。