美の特攻隊

てのひら小説

ひめはぎ

うららかな春日和の過ぎゆきとは無縁だったのだろうか。やるせない午後の気色に身をまかせていると、階段を上る足音が聞こえてきた。遮光を願う意識には秘密がほの明るく灯されている。
性急な心持ちがやんわり抑えつけられてしまいそうに弱々しく、か細い、けれども衣擦れが束ねられ、目には見えない手毬となってつかれている明快な疎通が感じられた。
北に面した窓はなるべきして薄曇りに鈍り、カーテンを手にかける仕草は弁明を欲しながらも淡白な微笑で取り繕われた。三面鏡には女の顔が映っている。少年の焦点は定まっているようで浮遊していた。
女の見せる躊躇いとも恥じらいともつかない控えめな面持ちの背後には、無邪気な好意が待ち受けており、本人が自覚したにせよ、しないにせよ、伏し目勝ちのまま口もとからもれる呼気は薄白く甘く、白粉を身近に知った幼年時を呼び覚ませ、心もとなさで満たされてしまうのだった。

女は家族の留守を見計らって誘いの時刻を得、少年は二階の奥まった小部屋を提供した。
押し入れを半ばふさいで置かれた箪笥の向かいに母の三面鏡がひっそりと息をしていた。もう使われることもない色あせた木肌だったけれど、所々は古びた写真を思わせる光沢が、あのまぶしさの封じ込まれた片鱗が、特定の場面を持たずに輝いている。
女は必ずこの三面鏡をおもむろに開く。そして背を向ける姿勢ではじめ柔らかに、やがて息遣いを激しくしながら少年のくちびるを吸った。
不思議と最初の日から少年は冷静な神経を保っていると思い、幾度か淫靡な芳香をすりつける素振りをしつつ、指先を絡ませたり、髪の毛を軽やかに撫でたりしたあげく、頬ずりをそっとやめ、母性とは別のそれでいて明らかに情愛を帯びた艶かしさを放擲したふうな、哀願にも似た目つきで見おろした。
相手の瞳が水棲動物のように浅瀬から逃げ去るのを知り、女は安堵を持ちえて自らの悦楽をわけ与えようと努め、そのままゆっくりと仰向けになり衣服を脱いだ。
上着のボタンを自分で外した他は少年の覚束ない手先が裸身をあらわにさせた。スカートをめくり始めたときには、反対からだと、少し鼻にかかった声でいさめ、さっと腰を浮かせて手際をよくさせ、成熟した下着すがたを毅然とさらした。

畳の感触はひんやりとしていたが、後ろめたさみたいなものを却って新鮮な感情にすげ替えてくれる気がし、少女に戻った錯覚を頼りに静かに目を閉じてみた。
少年の指先はいつも沈着である。しかしその心中は穏やかであるはずもなく、衣服の種類によりかなり戸惑うことがあり、最後の一枚になった頃には慎重な手仕事、例えば機械類の解体とか、書類の整理とかの仕上げにようやくこぎ着けた気抜けがあった。
だが、それは放心状態をさしているのではなく、衣服をまとった女に対する警戒心が緊張を生んでいて、つまり日々のなかで接する大人の雰囲気にのまれている限りは、同等には向き合えない怖れに被われたままなので、できるだけ平静を装うのが少年なりの背伸びであり奮闘であった。
下着に手をかける瞬間は北側の薄暗い部屋が適しており、普段の遊びの延長線上からまだ離れてはいない、どれくらい距離があろうとも。
少年のからだよりひとまわりも大きな裸体が発散する色香を感じとれないのは薄々気がついていた。
女にしてみれば異性との落差を手放しで受け入れるほど、相手の精神は発酵しておらず、プロレスごっこみたいな遊戯に朽ちてしまう危惧があり、一抹の寂しさは拭われなかったけど、秘所を凝視していた心持ちには遊びとは異なる動悸がもたらされているのだろうか。
乳房に顔を埋めても、脇腹をなぞってみても、何度くちびるを押しつけても女体の醍醐味は得られず、あるいはまださなぎのような小さなものを口に含んであげても、果たして快楽にまで達しているのか分からなかった。
けれども生まれ出る為に造形された湿地にはこころ奪われたろうから、堅く立ち上がった少年をゆっくりと導いて火照った暗部に迎え入れた。
女は深く閉じた目を大きく開いて瞬きすら忘れ、相手の顔が苦痛とも嘆きともつかない、哀れな意思に翻弄させている様を突き刺すよう見つめていた。
腰を動かすまでもなく少年は一気に果てた。精通こそなかったが、女の襞には動脈が微かに打つのが聞こえた。
恥ずかしさを呼んだのは少年の騒乱であった。
女の股間から情けなく抜け出た自分のものを目にした刹那、そして上体を起き上がらせ、両膝を浮かせていた具合でその役目を終え濡れた有り様が瞭然と映れば、短距離走のごとく駆けた快感はすでにかき消えていて、これまで味わったことのない無気力でみじめな感じが羞恥に転じていた。笑みとは言い難い女の眼光がさらに少年を萎縮させたのである。
くすんだ天井へ視線を移したあとも女は無言で裸身を横たわらせていた。
絶頂をさずけた悦びはあの日から不動を保っていたし、少年の態度には愛玩動物に近い馴れ合いが現われはじめた。何より最初の交わりからして敏感な場所が反応するとは以外であった。短い空砲に湿らされたのが女としての性なら、きっぱりと気位などかなぐり捨て、少年相手でも欲情をまっとうするべきではないだろうか。
それから女は気持ちを改め、同等の目線まで降りる努めに徹した。口調も同世代の男性とかわす節度と美徳を備えた遜色のない恋人振りを発揮して、子供扱いすることを放棄したのだった。
すると少年の様子には成長盛りに即するような瞠目すべき変化が、例をあげれば、共働きの両親の帰り時間を正確に紙に書き寄越し、特定の曜日を選択するよう促して女を束縛しようと試みる一面をのぞかせたりした。むろん子供同士の約束ごとみたいな言いぶりではあったが、その澄んだ両目と言葉尻のあとにきつく結ばれる口もとには逢い引きを誓う信念が香っていた。もっと驚いたのは少年があれから自慰で精通を知り、一端の性知識を会得していたことである。
愛玩的な存在からそう簡単に成育するとは考えてもなかったので、女はたじろぎつつも自分の思惑が早々に鋳型へとはまった微妙な感慨を覚え、急速に冷やされていく行程が流れ星のごとくよぎった。
 
ことの起こりは咄嗟な戯れであったけれど、慰み程度に少年と触れあったわけではなく、この家に縁がある者として禁断を越える反動に制圧されたとしか言い様のない情念が渦巻き、あの懐かしい三面鏡のひかりに少年が向き合っている情景がすべてを決定してしまった。
真っ赤な口紅がひとすじ、意味をこじつけるのが無理なくらい、時計の音さえ途絶える恐懼がそこに潜んでいた。
女は少年の口をはじめ懐紙で、だが動じないまなざしに魅せられるよう自分のくちびるで拭ってしまったのだ。
余計なことを、、、落とすどころかこれでは上塗りでは、そうこころの中でつぶやてみたけれど、座敷牢を思わせる不穏な空気のよどみに足をとられ、よろめいたときにはすでに遅く、女は少年を愛していた。
もちろんのこと、この小部屋での過ぎゆきは日常から逸脱しており、その後の悠長な流れにふたりの密会は季節と関わりなしにより深まったという。