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美の特攻隊

てのひら小説

青春怪談ぬま少女〜12

今日一日はもう語らなくていい。あっ、違うんです。取り澄ましたふうな口調ですけど、そんなに覚めた感情ではありません。
始まりの一日だからとても大切なのは承知してるし、気構えだってちゃんと備わってます。それに家のなかを隅々まで探ってみたあげくの果て、う~ん、これは失意でもないんだなあ、つまり割り切りなんです。この家はわたしのもの、明日から登校し帰るべきところ。そしておそらく単調な日々が続いてゆく。
誕生日にいつまでもしがみついているのと同じで、記念日にはさっとお祝いして翌日から平均値を保っていくべきなんです。毎日が祝祭ならきっとあたまが爆発してしまう。
納得したのでしょうね。なにやら家政婦さんつきの妙に優雅な待遇みたいだし、もっとも高級収容所なぞと呼べそうだけど、それはやめておいて、家なき子の境遇とかに比べたらありがたき暮らしですから、とにかく幽霊だろうがきっぱり生きている、餓死はしません、日々の糧にあくせくすることなくやり過ごすまで。
なんて一丁前な口をたたいておりますが、実のところ思考をストップさせたかったのです。ちょうど分厚い小説を読み続けるのをやめてしまうように。
あれ、この覚悟さっきも言いましたっけ。やれやれ自覚している以上に困惑は隠せませんね。
ともあれ、お昼ごはんも夕ご飯はそれなりに、お風呂も着替えも、それに物思いすら日常生活の流れとしてやり過ごしました。

問題は厳めしい先生から促されたたユメだった。
考え尽くしたのは謎めいているってことだけで、いざベッドに入ると眠気を駆逐する勢いでユメのあれこれが浮遊してくる。
あれこれって変な言い方だけど、とりとめない映像や画像が飛びまわってみたり、かと思えばじっと一点にとどまってもじもじしたり、それらは不思議な技で重なり合い、乱れ散り、暴れながらも妙な静けさに包まれどこか遠い場所へと運ばれて行った。
まぶたの裏に映しだされている。今度は天井がはっきり見えた。首を少し傾げると壁紙やカーテンの色彩が鮮やかに、しかしどこか物寂しげにささやいていたわ。
えっ、ささやく、、、耳鳴り、透明なガラスに水滴がしたたり、やがて視界をはばむよう記憶の粒子はゆくえをくらますと薄靄にわたしは取り囲まれた。
意識の底辺が心地よく揺れ、次第に夜の吐息を感じていたわ。絶え間ない連鎖、だが網膜はやわらげに役割を成し終え、鼓動のみがベッドのうえを軽く、薄く、羽蟻みたいに這っていく。浅い呼吸は決して鼓膜を刺激しない。
霧の形状はわたしのマント、覚束ないまま見通しのよくない光景を知った。夜気にとらえられている。はじめてのようであってよく慣れ親しんだ暗さ。
死んだ自分で言うのもおかしいけど、生まれてくる以前から常に抱きしめられていて、それは寒気やぬくもりでもなく、風でもない、あたりまえに土や草なんかじゃないもっと違う、でも間違いない何か、暗黒の夜空を突き抜けたどりついた願い、、、あれ、生まれてないのにお願いなんてありっこないはずだ。
文章ならきっとこんな常套句が使われる「そのときだった」でも、そんな感覚とも別な不意打ちに襲われたの。
時間がかかりそうね、なんてつぶやきが絹糸をよじったふうに消されてしまうと、一気に夜のしじまが全身を緊縛し、そのまま宙に舞い上がった。
抜け出たのね、沼底からやっと水面に浮上した。
夢にまで見た異界からの脱出、これは矛盾してます。願望と夢幻がよくかみ合っていないのに、いびつな歓びに溺れようとしている。
それでもいいわ、これこそ高見の見物よ、そんな横柄な態度に踊らされるよう、まわりを眺めてみれば、やはり暗いです。外も夜なんですね。視界がさえぎられているというより、ひたすらまぶたが閉ざれた感じがして、しめつけられるような苦しさばかりに気をとられていました。
そんなものでしょう、いくら悪びれてみたところで唐突な情況をさめた目で見まわすなんて無理、なすがまま夜の深い世界にぽつりとたたずむだけ。
えっ、わたしの足もとはどこに立脚してるの。
そうなんです、外界をつかみとろうと躍起になり、肝心な事態をよくのみ込めてなかった。浮かんでいる、水面に、裸足でした。
パジャマ姿のそれなりの格好、たぶん寝たときのままです。浮標みたいな責務を担ってそうで波間と戯れているような心持ち、必要とされる最低限の意思表示、ああ、なるほどこれが幽霊の身体感覚なんだって思った。
すると蒙昧な目にわずかだけどひかりが灯ったの。あたかも闇夜の海原を航海するひとたちに届けられるだろう少しの明かりが。
きっと誰かがわたしを見ている、いえ、見つけてくれる、そして声をかけてもらえるだろうか、でも手は振ってもらえないだろうな、だって気色悪いし怖いもんね。
あっ、分かった、お化け屋敷と同じ原理なんだ。わたしはみんなから好かれ慕われる存在じゃなくて、怖がられる使命を背負ってるんだわ。
急流を勢いよく下るボートのごとく意想が駆け降りてゆく反面、なんだかとても悲しい気持ちが後追いしてきた。顔さえ覚束ない家族にもし出会ったら、それにとても仲良しだった友達、いたかも知れない彼氏、なんて望郷の念が波打っている。
またもや引き裂かれるんですか、わたしは自問自答しました。ということはこの意識はユメでありながら、覚醒していますね。なんか変だなって思ったけど、それほど不思議ではない。
ユメはめちゃくちゃだけど、会話だってそれらしく成立する場合もあるし、なにより現実の影絵だと思い描けば、迷路へあえて足を踏み入れる危うさは魅惑の道しるべに違いない。
そんな考えがよぎるとこをみると過去の記憶が全部ぬぐわれたわけではなさそうね。やはりどうしてもそこに立ち戻ってしまうのよ。
里心はさておき、頼りない風車のようにまわりだした意識はとびきりとまではいかないけど、新鮮な感情をはらませていたわ。
よく目を凝らす、しっかり耳をそばだてる、口を閉ざす、無心になる。
からだが微かにゆれている。冷えきっていた頬に朱が返ってきたのか、冷気が気持ちいい。髪がそよいでる。

「おはようございます。志呉さん」
「あっ、はい」
ヤモリさんだ。慣れてないにもかかわらず瞬時に目覚めたわ。
「ひさしぶりの登校ですから見送りに来ました。朝食の準備できてますよ」
「わかりました、どうも」
さてとでは新たな人生の、ちょっとオーバーかな、清らかな一日の、うん、これでいい始まりです。