美の特攻隊

てのひら小説

青春怪談ぬま少女〜16

「地縛霊ってそれ、、、」
わたしは挑むような目つきで先生の顔をうかがった。
「志呉さん、あのね、さっきもお話した通り、あなたはすでに霊なんだから、その言い方は少し変だと思います」
「じゃあ、人間を人間って呼ぶのもおかしいのでしょうか」
「人間は生きてます。まったくあり方が異なってるの分かりません。先生はふざけたことは嫌いなの」
「そんなつもりで言ったんじゃないです。霊にだって色んなタイプがあるだろうし、地縛霊を選んだにすぎません」
「でもねえ、わざわざ、冠を被りなおさなくてもいいのでは。文化祭のテーマが変容ってくらい分かっているでしょう」
「わかりません」
自分でも語気が荒くなるにつれ、高ぶる感情が反抗的な方向になびいてゆくのを感じる。
「困りましたね、扉学級で体得したものは意識の表層に上ってなくとも、しっかり根づいているはずなのに」
「そんな自覚なんか、わたしにはないです。10年間の結晶があるのなら、しっかりこの目でひかりを浴びてみたい、それとも光源がない代物なんですか」
先生の面にやや焦りの色が出てきた。
悟られまい素振りをしてるけど、眼球がキョロキョロしはじめた。それを懸命にこらえ返す言葉を探し求めている。大丈夫、巻き返しを受けるまえに今度はわたしが攻める番だわ。
「それに他のひとたちの意見だってふざけていると思います。抱きつくだの、裸になるだの、女装するだの、仮装のおちゃらけが常識なら、わたしの言い分はかなりまっとうじゃないですか。どうして霊らしく神妙に振る舞ったらダメなんでしょう。当たり前すぎて面白みに欠けるから、それとも何か不都合があるからなのですか、先生」
ひと息止める。
なだめすかすふうな声色で返答されたらすぐに言葉をつなぐ用意はあった。でも先生がどう崩しにかかるか具体的に考えてはなかった。それでいい、衝動はわたしを奮い立たせ、底力を発揮するに違いない。これでこそ修養の結果よ。
「よく聞いてほしいの、面白みの問題ではないのです」
予想した声遣いだ。
「なら何の問題ですか、問題には答えがあるはずでは。わたしが地縛霊だといけない根拠を教えてください」
ふたたび先生は間合いをとった。内心怒りに震えてると思う。ただ単に我慢強いだけなのか、それともプライドが邪魔してるのだろうか、考えは突風にあおられた洗濯ものみたいにはためき揺らめいたが、そんな推測に凱歌の訪れを先取りしてしまったのがいけなかった。

無鉄砲な態度は所詮、不安要素のかたまりに点火した冷たい炎、熱くなっているのは空まわり寸前の胸のうちだけ、あら探しでもなし突き抜けられない言いがかりには限界がある。
わたしの不穏なこころの動きはまるで障子に透ける影絵のように、駄々っ子が放そうとしない怖れを、取落ち着きのなさを映していたのだろう。自分でも気づくくらいだから先生からしてみれば、さぞかし勝機を得たと息をのんだはずだわ。
そして抵抗を演じなければならなかった心細さが露呈するに及んで、形式であるかのごとく敗色に青ざめるより仕方がなかった。
叱責の文句は教科書を読み上げるよりたやすくあたまの中でなぞれたから。
「あれこれ質問してはいけない」
いえ、決して忘れてはいなかった、逆に過重な教えとして念頭に居座っていたから、摩擦熱を欲するに似た投げやりで甘えを含んだ気構えになってしまった。やっぱり幽霊って冷たい感じがしたほうがお似合いね。

急に目線を下げたわたしに対する処罰は美しい様式に則っていた。
他の生徒たちの吐息が微かに背中に届いてくる錯覚さえ生じ、教室内にはもとの厳粛な空気が流れこんでいる。それは先生に最初に出会った場面へと立ち戻された緊迫をはらんでいた。
「志呉さん、ちがう仮装を考えなさい。悪いとか悪くないではないの、さっき言ったように冠は冠、缶詰は缶詰、中身はそれぞれよ」
ひどいたとえですね。はい、わかりましたよ。すっかりしょげきった振りをするのが精一杯の反撥、
「すいませんでした。でも今すぐには思いつきません」
「次の授業まででよろしいわ。今日はこれで帰りなさい。気にしなくていいのよ。今日は始業式みたいなものですから」
みたいなものってどういう意味、邪魔者、敵対者はよからぬ影響をまわりに与えるってこと、ええ、そうしますとも。ただしあくまでわたしは地縛霊になりきるつもりですからね。
「みなさんに挨拶を忘れないで」
「それではさようなら」
「さようなら」

なんなの、どうしょうもない気抜けした調子、でもよかった、あれからの時間は針のむしろだったかも知れない。そんな思惑と一緒にたちの良くない悪戯をしてしまったあとの後悔が、じんわり押し寄せてきた。
すると疑心が待ってましたという調子で登場して、あの10年学級はやはりお仕置きだったではとか、問題児専門の収容所に相当するのだろうなんて暗雲を呼び込んでは、明日からの登校が早くも気怠くなってくるのでした。
こんな日って過去に経験した悔しさで後押しされ、無性に寄り道したい衝動が立ち上がったけど、どこへ行くわけにもならず、ひたすら夕暮れには早すぎる足どりへ憂心をまぎれこませながら、まっすぐお家に戻ったの。
心痛は心痛なのです。が、行きも帰りも決してさかさまじゃない無機質なこの風景を背にしては、痛みのありかさえ芒洋でたどり着けず、善くも悪くも曇天の鈍さにのみ込まれていった。
やがて玄関先にわたしの影がうずくまると、家の中にひとの気配が、、、

「おかえりなさい」
えっ、ヤモリさんだわ。たしか初日だけって話していたはずなのに、どうしてかしら。
疑問符が飛び出すと同時にあの野菜スープの匂いが鼻をくすぐった。で、家に入り鼻をこすりながら訊ねましたよ。学校での件も手伝ってか自分でも感心するほど冷淡な口調で、
「おかしいですね。帰りを待っていてくれるなんて。どういう風の吹きまわしなのかしら」
言葉がついて出たとたん、ヤモリさんのひかえめな顔にすっと暗い影がおちるのが見てとれた。
指令とも演技ともつかない哀しみを帯びた表情が床に映りこんでいる。後悔なんかしない、そう意思を強く抱いたけど、騙されてもなお異性に委ねる心情みたいなものが妙にまとわりついてくる。ずいぶん大人びた言い方ですけど、そうなんだから仕方ありません。
「今日は早退されたと聞きましたもので」
ヤモリさんは消え入りそうな声で返事した。
「はあ、それにしても」
わたしの受け答えもトーンが下がる。
結局信頼にまで至らないのは、彼女もまた沼の支配人によって派遣されていると考えてしまうからで、かといってまったく疑心暗鬼のまま油断なきよう構えているわけではない、逆に不審を募らせる悪心がうまく緩和されていたと思う。
すでに何年もこの家で暮らし続けているような口ぶりだけど、まさに日没間際のおだやかな気配に辺りが包まれだした心持ちをこばめなかった。あれほど荒涼だったのに。
「今日の夕食は肉と野菜がいっぱいのソース焼きそばです、ワカメのお味噌汁と」
してやられた。
なんなの一体、気分なんてまったく当てにならないわね。すべてはぐらかされたんだろうけど、不思議とお腹から胸にかけて、じんわり暖かなものがこみあがってくるのが怖いほどよく知れたのでした。