美の特攻隊

てのひら小説

謹賀新年

「なにも答えられない、そう思われるのはわかっていました。
手ごたえのなさに失望してしまう君の表情をただあるがまま浮かべているだけ、それは予感どころか、僕にとってなんとしても回避させなければいけない神経経路でした。しかしたえられないのは君だけではありませんよね。
めぐりあう時間を無造作に切り捨てる傲慢さがどこに由来するのかは知りませんけど、少なくとも今の僕はどのような形であれ好意という感情に傾斜をつけることなど出来ないのです。憐れみを投げつけるなんて術はどこにありようはずもなくて、ひたすら感謝の気持ちでいっぱいですから。
たしかにお手紙をいただいた日は驚きでいっぱいになりました。まったく思いもよらなかった告白、しかも僕の実情を鋭い嗅覚で忖度するような筆使いには理知が走り、夢の光景さえあぶり出して、なんらかの展望をまばゆく語っているではないですか。
何回も何回も読み返しましたよ。もちろんちゃんと家に帰ってからです。思い出すのが気恥ずかしいほどあわてふためき、汗をかきながら、けっして不快なしたたりではなく、森林の冷涼な空気が玄関まで運ばれてきたような、さりげない落ち着きを靴底に踏みしめ、ようやく部屋へ飛びこんだときの高揚が忘れられません。
でも一読してあなたの文意を理解するには及ばず、なぜかと言えば、図書室で借りた書物の頁をめくるふうな日々の延長が断ち切られる衝撃がそこには綴られていたからで、君は光の束になったと表現されていたけれど、僕の方こそまぶし過ぎていつもの視線はさえぎられ、一句一句かみしめながらでもなかなか判読しづらく、末尾へたどり着いたはずなのにまた校舎を背にした君のすがたが、西日を受け朱に染まることを覚えつつはにかんでいるうつむき加減が、幻灯機の保有するはかない華美と相まってよみがえり、まるで銀幕に写しだされた女優と男優とがくりひろげる恋愛模様を、あるいはそれ以上の澄み渡った大気に祝福される吐息の距離を、優雅に胸の狭間へと投げかけるものだから、ついそっちに気をとられてしまい、肝心のあらすじにそえないまま、あっという間に夜のとばりが下り闇がすべてを覆いそうになってきたので、僕は枕のうらに君の手紙をもぐりこませ、まだ見たことのないの蛍の明滅をおぼろですが、寝床にまねき寄せ眠りの向こうからしめやかな夜景へと眺めやっては、君の心情をはかっているしかなかったのでした。
そうしてはじめてまばゆさに共感しあえるよう感じたというのは、やはり不遜でしょうね。
あなたは少々、僕とは違う意見で夢をとらえているのでまるっきりの共感とは言いませんけど、鏡の効果に言及しているところから察するまでもなく、自己像の直截的なあり方より他者がどう見えてくるのか、異質の加減、その微妙な陰りやほのかさを通じて感じとろうとしているし、成育の違和によって導きだされるものを見据えており、とても晴れ晴れしい気分になりました。
ただし、晴れやかさは白昼の高い天だけにとどまりません。むしろ後ろめたさをはらむ場合が多いので乙女の通行手形と異なって、不親切なのは一緒かも知れませんが、少年に配られる切符、まったく線路を記憶していない、けれどもなぜか脱線には覚えがあって、いつも不吉さを優先しているような均衡をありがたがる乗り越しが沈滞しているような気がするのもほんとうです。
ああ、やはりこういう言い方には好感は持てませんか。終着駅と潮流を、その宿りを直感だけで探りあてているような慧眼をもってしても、汚らわしいと顔をそむけてしまうでしょうか。でも灯されるぬくもりに肉体の盛りを夢見るのはやはり男子の本性なのです。
そして自己愛を拭きとろうと勝手に動き出す意思こそ生命の根源に直結しているのです。
ここが境界かも知れませんね。
君のもつ気まぐれな野性は過敏な知性とよく調和しているような感じがしてしまうのですけど。
もし僕が兄であったとしたならどう感じただろう、不意にあり得ない想像をしながら、同様に姉という存在を想像してみたこと、その不在を埋めるため、映像として写しだされる美神に気分を捧げたこと、まぼろしと現実の不一致がなにより怖かったこと、意識を預けいまだ引き落とす方便に出会えないまま、指標は風化を疑らず、極めておうとつのない変哲のない時間と空間にさまよう姿勢へのびしろをあてがってしまうような自分のことが嫌でたまりませんでした。
岩石は僕自身がつくり出した幻影ですから、いや、たぶん産声のたなびく彼方をもの欲しそうにねだりはじめた頃より、障子を透かす陽光に見とがめられた塵埃の舞うさまが起源なのでけっして君のせいではない、あくまで薄色の堆積によるもの、着ぶくれした真冬の寒気のあざけりが、毛糸や布団の自由気ままをいくらか封じていたのでように思われます。
それが陽光になればまわりがぱっと色濃くなって、ところどころにけばけばしい装いをほどこしてゆくのです。
厚化粧と知りつつ発汗の理に抵抗する彩度が、派手さを強調してやまない洋服や太陽に挑みかけては細めてしまう眼と結託し、豪華なクレヨンをまえにした児童の会心の笑みがさらに画用紙をきらきらと純白に仕立てるのです。
この季節、寒空にかじかむ手足や指先のささくれをひどく懐かしがるのは、塵が湿気で膨張したかのようなうぬぼれを間近に感じ、信頼が暖炉でくべられる不敵をあらためて認め合うためなのでしょうか。
冬景色と夏の画用紙が透徹した純度で結ばれるように。
そして吸い取り紙みたいな効果を信じるひややかさ、それは鏡の魔法がたしなめる推移への謳歌なのでしょうね。保温という優しさへの期待に寄り添う横顔を僕はたしかに見届けました。

あの夏、目覚めとともに僕を襲ったのはやぶ蚊のかゆみだけではありませんでした。
毎夜、蚊遣りを煙らしてもどこかしら皮膚に赤みを残していく風物詩は無惨にかき消え、実際にかゆさを感じなかったわけではなかったけれど、それを遥かにうわまわるくらい、あなたへの関心が強まったということです。
正直に言うといったん気抜けした、つまり見届けるもなにも僕の思惑などはなから下手な将棋に等しく、どう転がってみてもどこで起き上がってみようが、いくらでも君には打つ手があるのがわかったように思われました。。
額面通りに返信せずいたならどうなるのだろう。僕の怠慢で育まれるのは間延びした冬休みなんかじゃない、反対にひりつくような焦燥に駆られ、いてもたってもいられなくなるにちがいない。
なるほど住所を記さなかった理由は羞恥に促され整然と述べらていますが、氏名と学年学級を明かした以上、一方通行の恋情に終始してしまう、一度限りの手紙ですべてを燃え尽くしてしまうとは考えられません。
しかし、嫌味なまなじりで深読みするまでもなく本当にあるがままを懸命に伝えたかっただけだとしたら。
そうだとすればやはりあの手紙はまったくの恋文にほかならず、僕は黙って気持ちを受け止めるしかありません。
不甲斐ない男だと思われても仕方ないのですが、ある事情で沈黙に準ずることに対し辟易していた矢先だったので、ここに来てふたたび別な方角から似たような心境へと沈んでゆかなければならないのか、どうして未来は遥か遠くでしか約束を交わさず、そしてあなたの場合は未来がすでに過去であるという意味で遠く、いくら胸に生き続けると言い聞かせてみても、失意は押し寄せてくるばかりなのです。
が、ずっと負の襲来に身をまかせているのは悲惨すぎる、そこで思案しました。
とにかく冬休みに入るまえにはあなたと直に会って短くてもかまわないから、ひと言ありがとうとだけ伝えよう、そして君の態度や顔色をよくうかがってみて、文面にのぞかせた意向はやはり一縷の希望を託している様子であれば、返事がいらないなんてどれだけ僕を気遣う口ぶりであってもそれは弁明、自分の想いを訴えたのだから、どう相手にとらえられたのか知りたいはず、これが返事ですと君に手渡す、といってもその後の進展など特に求めはせず、僕は残り少ない学年を送るだけ、かりに気持ちが通じ合い親しくなってもいずれは離ればなれになるけれど、文通の意志さえあれば恋情は燃え盛ることのみに意義を欲せず、冬景色の凜とした情調へ歩み寄るのだから、とても季節に則った素晴らしいことではないですか。
あなたの横顔を僕はたしかに見届けました、そこまでが返事でした。
早速、僕は君のすがたを待ち受けました。そしてこの時点でいかに思い上がりが大きかったかが判然としました。
返信を勝手にしたため失意を転じたと浮かれていたのだからもっともなことです。転じたのはあくまで僕の意識であって、君のものではありませんよね。郵便受けには最初よりもっと激しい手紙が届けられる夢想がかなりつまっていました。
ところが図書室にも昼休みにも放課後にも二年生の校舎付近にも、どの時間もどの場所にも君のすがたはありません。所詮、待ち受けていたに過ぎない怯懦を悟り、見当たらないなら堂々と君の教室までゆけばいいものをそこまでしなかったのは僕の高慢以外の何者でもありません。どの時間やどの場所なんて限りなく最小の点描を用いた絵日記の戯言です。
しかもその絵日記には憚りもなくあなたがおっしゃた例のあだなの文字が刻まれていたから始末におえませんでした。
僕は君がつけてくれただろうあだ名にすっかり舞い上がってしまい、いつになったら自分の耳に入るのだろうと冬休みを怖れつつも密かに遠ざけていたのです。
年越し・・・もう遠くあるはずもなく、けど近くには確実に見出せそうな時節。
ごめんなさい、神経やら、とまどいやら、情念はもうたくさんですよね、謹賀新年。
僕の言葉の末端ではありません。始めの産声のような喉のなり響きです」