美の特攻隊

てのひら小説

単線鉄道

鉄道の轍はどこまで行っても音響でしかないにもかかわらず、このように記憶の残像を呼び寄せてしまう加減は、、、祝福に包まれた光輝とも、災禍に圧しやられた苦渋とも異なる、がしかし、その双方を遠い彼方に想いかえしてしまう加減は、、、一体どこからこの耳に奥へと通じているのだろう。

単調な響きのもたらす催眠効果にも似た安定感が、切迫した情況を真綿で被ってしまうように、心臓の鼓動を決して増幅させることなく、反対に雲がかかった視界のごとく見定めを確定させない、意志を高揚させない、そして感情を隆起させないことで、こころの音をそっと静めてくれている。

また、予想すら覚束ない、無邪気な童心が表現してみせるあの蝶の飛翔と寸分の違いがないであろう、軽やかさはすぐさまに嗅覚的な領域へと想いことごと連れ去られ、鼻孔へ糸状の風がすっと抜けていったときには、それが何の臭いか判別つかないまま、すでにそれは或る遠い過去の光景を脳裏に描き始めようとし、次の瞬間には、現在の車両を運んでいる金属音が視覚をつんざく閃光となって道行を案内しはじめる。

 

私の胸中には、煩瑣な蜘蛛の糸が巣くっているはずだった。そうあるべきからこそ胸騒ぎが途切れることなく、ため息は焦燥への加速を増すための懸命な生体反応となり、禍いが強迫するいばらのトンネルをくぐらなくてはならなかった。

こころのどこかで予期していたとか、己の宿業などでは済まされない危機が、災禍のように発生し、この先を案じることさせ、どこかに捨て去りたいほどの絶望感に支配されている。

しかし、思念はところかまわず駆巡り、私のすべてを蝕みはじめ、負の方角からは来るべき使者が予言めいた口調で、早くも鎮魂に向けた説教を唱え出し、神経を必要以上に逆なでしはじめ、だがそれは悪夢が絶頂に到達する度合いと同じくらいの駿足で、不意に掻き消えてしまい、と云うのも明確な現状など把握していない故に、闇夜を暴走する荒馬となる妄念の行きつく先がどう転んでみても、自ら鞭打った結論でしかないことを薄々知るに及ぶからであって、では楽観すべき余地の土壌が拓かれているのとなれば、その場所には気安いなぐさめが不必要なように、安直な憂慮はまさに安直なまま、車窓のうしろへと流れ去ってゆくのだった。

胸のなかにどっかりと居座り続けるもの、、、それはやはり悪夢となんら変わりはない。しかし、夢のさなかにおいて、夢そのもの、夢の形式と云うもの、それを知悉した冷静さを経験したものならば、こう意識をねじ曲げることはそれほど無謀ではなかろう。

「これは夢の夢なのだ」

意識が膨満感に苛まれ、神経が末端を見失いかけるとき、伝家の宝刀はその鞘から抜かれ、妖しい銀色のひかりを放ち出す。月影の鎧武者の魂魄はそこに宿り、あの火事場の馬鹿力といった瞬発的な奇跡がこの世に展開する。

我々はそれを放心と呼んでいるではないか。長時間は保てないが、これは希望でも絶望でない、生体反応の燃え盛る一刹那は、私にとって幸運なことに、時間的連続体を端的にかいま見せる列車内と云う場面を提供してくれている。

悪心にせよ、何にせよ、泡沫のごとく消え去る運命にあるものは、決して私だけの精神ではない。