美の特攻隊

てのひら小説

花火~過ぎた夏

白ワインの冷たさは格別だった。

純一は三好からすすめられたビールをひとくち飲み干したあと、いつにない酔いが全身を巡ると云うよりも襲ってきて、体調を崩すか寝込んでしまいかねないと思い、それ以上は杯を重ねないまま、ぼちぼち打ち上がりはじまりだした花火を港で見物する三好ら家人を見送りしな、せっかく彼のために配膳された肴にほとんど手をつけないのも心許なく、失礼にあたるなどと考えている心中を察してか、と云うより今朝、東京を発つとき新幹線で車内販売の軽食をとっただけで、乗り換え列車にあわてて乗り込んだため、結局食事らしい食事をしないままだったので、心労と空腹が酔いを急激なものにしてしまったこともあり、三好の奥さんの「遠慮しないで箸をつけて下さい」と云う言葉に誘導されるようにして木桶を所望し、持参のワインを冷やしておいたのだったが、家人らが全員外出してしまうと、どことなく自由な感覚が甦ったようでもあって、さきほど少しだけ食してみたあじととびうおの造りをつまみながら、焼きなすときゅうりのしそあえを口にすると俄然食欲が復活したようで、更には卓台中央に大皿で盛られた、昔ながらのマヨネーズ味のスパゲッティサラダに桃やりんごの細切れを見いだすに及び、まるで主食を平らげる勢いをもって無心に食し、氷が十分に張られたとはいえ、まだ適温まで冷えてはいないだろうと思った白ワインを手にしてみると、その木桶の以外な深みが幸いしたのか、ボトルに手をあててみれば迷わず開栓してしまい、小ぶりのタンブラーに冷酒を注ぐ案配で一献傾け、意味あり気に瞠目してから、まずは軽く口中に含み酸味と甘味、わけても熟した果実を連想させる味わい深い残り香りをおしみながら喉に流しこんだ。

舌さきを幽かにもったいつける加減で刺激する柑橘系の酸味は、サラダに混ぜられた桃やりんごと抜群の相性を誘発することで更なる一杯を希求させ、口中のマヨネーズがもたらしている停滞感をさながら洗浄しつつ互いに反撥した同じ酸性を加味されたもの同士、最終的には見事なる融和のうちに賞味しつくして、次なる白身魚の刺身をより鮮明な感触と味覚へ招待させるのだった。

あじの身はほどよい脂が乗っており、噛みしめればうまみが口もとだけではなく上あごあたりまで伝わって、飲みこむあたりを見計らい、今度は少量を注ぎ、後追いさせる気持ちを抑え気味に保ちながらもぐいっと一息で決めれば、至上の瞬間は決してもったいぶった余韻で主張するわけでもなく、かと云って淡白な控えめさを哀切で訴えるのでもない、それはまだ前菜を味わう過程での醍醐味であり、続いてまだわずかに温かさを保持している焼きなすを頬張るときに覚える、安堵にも似た満足感が実は仮想の性質を秘めていることで、他でもない、その焼き汁のこぼれ具合と夏野菜独特の瑞々しさが決して満点の充足を授けないという意味において仮想的だと感じるのであった。

もう一本を開ける頃には、純一はしたたかに酔っている自分を知った。あのビールひとくちの疲労感に支配された酔いではない。もちろん、二本目は夏の夜の奇跡のごとく毅然とした美しさで冷えていた。

何故か感情がこみあげてくるものがあり、その木桶の縁を両手で優しくそえるようにしてつかみながら、顔を氷みずの中に埋めようとした。

木桶からだろうか、微かに潮の移り香が放たれている。氷はあめ玉くらい小さくなって水中に浮かびながら、その姿を冷水に還元しようと努めているかのようだ。

純一の両目からいきなり大粒の涙が木桶のなかにこぼれ落ちた。

「悲しいのだろうか、、、」

酔眼からしたたり出る涙など、それほど意味などない。が、あいつはこんな涙を知っているのだろうか。

「いや、おそらく知らない」

大輪の火花は夜空を飾り、硝煙たなびく様はまるで銀河の果ての星雲のように壮大に見えた。

そして、月影がこの様子を静かに見つめていることを今は忘れ去ってしまっているのだった。