美の特攻隊

てのひら小説

ちび六の冒険

明るみと呼ぶには似つかわしくない場所、けれども明かりが必要とされる日々のありきたりな、気にとめることなんてほとんどないところ、例えば玄関の片隅、寝室へと向かう階段の陰、そして寝室そのもの、醸し出されるのは柔らかな吸収力を秘めており、太陽光線を知りつくしながらも暖色のカーテンの襞の裏地はいつも仄暗さを提供してくれる。ベッドの脇に置かれたシェード、謎めく探偵小説にしおりをはさんだときにはもう瞳の照度は下がっていて、小さな灯火だけが取り残されるの待っているのだろうか。そう思いたくもあり、思いたくもない、眠りはすぐそこに来ているし、夢のエントランスからも呼び声が細くもれている。

眠り人を見守るものらをあげつらう無粋は抜きにして、子供の洋服のポッケよりもっと小さなお話をしよう。

 

 

ちび六がはじめてせかいを知ったのは、あとからすればですけど、やはりふろばだったと胸にきざまれるのでした。きざまれるといってもそんな、ぎしぎし、こんこん、とかとか、したものではなくて、もっとまろやかなかげんだったので、どうもへんだと感じていたのですが、せいちょうしてからはなんども目にしたからまちがいありません。

あれはすいてきでした。生まれたばかりのちび六にはおおきさよりも、そうですね、じぶんのからだくらいあったのですから、とにかくきらきらと輝いているのがふしぎでたまらず、すいよせられてしまったのです。あのままちかづいていたら、どうなっていたことでしょう。

聞くところによれば、きれいなおねえさんがふーふーと息をかけてくれ、すいてきもちび六もはなればなれになって、たすかったそうなのです。おねえさんはくもが嫌いでなかったのでしょうね。

ちび六はあるひ、べんじょさまと呼ばれる老くもにいろいろおそわりました。六とつくならきっとおまえにもきょうだいがあったろうさ、ちび五郎とか、ちび子、ちび末、ちび次にちび和、ちびりにびびり、じぶりにそぶり、また驚いたことにいんすたんとらーめんにもそうした名のものがかつてあったというのですから、すでにいっぱしのらーめん通になっていたちび六のくちさきはむずむずってなりました。

だいどころのさんかくのあみめには、こまかくちぎれたらーめんのきれはしや、肉らしきぐがこびりついていることがよくあります。ほかのなかまたちは糸をはってえものをとらえるそうですけど、べんじょさまがいうには、しゅうせいにならうばかりが道ではないぞ、にんげんがこうしてさんかくあみをおいてくれているんじゃ、しかもわしらをつかまえるわけでもなし、ただのみずきりとたいまん、いや、べんりだよ、そこをじっとながめておるのが一番、たいまんだがなと。

だいどころにはしょうゆやみそ、しお、こしょうなどがありましから、らーめんにしみついたかおりでおおよその味くらべができるようになり、しだいにくちがこえてきます。なかでも、でまえいっちょう、きんちゃんぬーどる、ちゃるめら、かっぷすたー、しげきはちょっとつよいのですけど、かれーぬーどるが好みで、ときにはどんべいという白いめんや、どろりとしたふうみをもった、ぺやんぐそーすやきそばなどをありがたくいただきました。

このいえにはさまざまのしゅるいのなかまがいましたが、わけてもくも男爵とみなからいちもくおかれているりっぱなふんいきをしたものがおりまして、ちび六はわかげのいたりだったのでしょう、かっぷぬーどるのぐの肉をさいころすてーきだったとじまんげにはなしたところ、くも男爵はしがにもかけない顔をして、それならしーふーどぬーどるをしっているかとはんたいに聞かれてしまったのです。

もちろんはじめての名でしるはずもなく、ちび六はおおいにどうようしていまいました。そんなあいてをさとすよう男爵はうみのさちをふんだんにとりいれたかっぷめんだといい、さらにはうみのゆうだいなふうけいを語りだしましたが、しばらくしてあっけにとられているようすに気づいたようで、ざんねんながらこのいえのひとらはしーふーどぬーどるを食べないみたいだけどな、だが、てれびでもりょうりにんがこのよで一番うまいといっていたから、そういい残してしゅーといなくなってしまいました。

その夜からちび六のあたまにはみっつのうずがまきだします。

それがなにかは言うまでもないですね、しかし若さゆえでしょうか、さっそくけんしょうにでたのです。まずはてれびですけど、ひとけのあるにもかかわらずてんじょうのすみっこからおちついてよく見つめていれば、なるほどいろんなけしきやばめんが映っています。にんげんだけでなく、いぬやねこ、ねずみにとり、みしったどうぶつがいっぱいです。ぎゃくにけんとうもつかない生きものやふうけいがとうじょうして、どぎもをぬかれたり感心したり、もうくたくたになってしまいました。でもしゅうかくはちゃんとあったようです。

がんせいひろうをこらえながら、どあのすきまからねぐらにもどったとき、その影にまぎれてたずねてきたものからのように、でんごんを受けとったのでした。そうだ、おもいだしたぞ、べんじょさまがいつか大雨のふったひにそとのみちがまるでかわのようだなってつぶやいたことがめぐり、さっきのてれびでもそのかわらしい流れがおおきなみずたまりにむかっているのが、、、そう、あれがうみだ、あまりのひろさにくらくらとなりましたが、いがいやちび六はれいせいで、じぶんの棲むせかいとはかけはなれているからと、ふたたびしーふーどぬーどるのみかくにおもいはせるのでした。

けれども男爵がいってたようにどうにもありつけることはなさそうで、こちらもきっぱりあきらめがついてしまい、するとあのてれび自体にいしきがかたむくばかりで、どうしていままで見おとしていたのだろう、あんなにたくさんのいろあいがつぎからつぎへとあらわれてくるのに、、、においも味もしないけれど、さわることもできないけれど、しんどうはつたわってきますし、そのしんどうにもさまざまなへんかがあって、いのちのおんじん、あのきれいなおねえさんを胸に描きそうになるばめんでは、どうやらねいろもやさしくなっているようなのです。ええ、ちび六はそれくらいはわかっていました。てれびに映るおねえさんはけっしてあのときのひとでなく、どうきばってみても触れるのはふかのうなことを。

はるのとうらいをつげるふゆのさむさに生をうけたちび六は、だれよりもげんきにそこらじゅうをはいまわり、らーめんいがいのたべものも味わいましたが、さいしょがそうであったのと、このいえのひとが夜食にほかのものをこしらえないありありとしたげんじつを知り、せかいのひろさとかぎりをみとめたころには、もうてれびのがめんからきょりをとれるようになっていました。そして、まったくわすれていたことに気づいたのです。

どうしてそんなみじかなくうきを感じられなかったのだろう、、、きれいなおねえさんはすぐそこにいて、そばによったりしたことも、かたにのせてもらったこともあったのです。

ふーふーと息をかけてもらえなかったからわからなかったのでしょうか。そうかもしれませんね。ちび六はあわてものですから。